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推しへの感情がオーバーフロウしたオタクの話

はじめに


最初に断っておきますが、これから私が語ることは決して誰しもがご覧になっていい気分になるものではありません。

「推しが好き」という感情が暴走してしまいそうになったオタクの話です。同意を求めているわけでも、憐憫の目を向けられたいわけでも、ましてや罵倒されたいわけでもありません。

こうやって形に残してしまうことに多少の後ろめたさはありますが、自分の感情の整理のため、そして今後の「楽しい推し活」のために書き残しておこうと思います。

2019年4月16日 職場

年度始めで仕事が忙しく、慌ただしい日々を送っていた。
3月末頃まで推しが出演していた「三百年の子守唄再演」へのふくらんで大きくなった感情も、忙しない仕事をこなす中でだんだんと萎みつつあった。

つまらない生活がしんどくなったら、みほとせの幻影を追って、推しを観ることが許されるいつかのために刺激のない生活を過ごしていく覚悟はできていた。

そのいつかは思いの外あっさりとやってくる。

8月からの刀ミュ新作公演に推しの名前を見つけた瞬間、わたしは崩れ落ちた。

やばい。


直感で出てきた感情はただただそれだった。
推しがまた、舞台の上で新たな物語を紡いでくれることは本当に本当に本当に嬉しかった。

ただその嬉しさよりも、私に圧倒的な質量をもって去来した感情があった。

これが最後かもしれない。

それは、この公演が終わってしまったら舞台の上で推しを観ることはこの先ないかもしれないという恐怖。

みほとせは再演したし、今回の公演の再演がもしあるとしても、おそらく数年は先。その間に演じられているキャストさんはキャリアをさらに積んでいくだろう。年齢のこともあるから、次再演があったとしても、キャストが変わっているかもしれない。そして、これまでの刀ミュの歴史を鑑みて、本公演に3演目出陣した男士はいない。

話はズレるが、私はマクロスFというアニメにハマっていた時期があった。キャラクターとしては銀河の妖精、ピンクブロンドのちょっとエッチなお姉さまシェリルが大好きだったのだが、楽曲はどの曲も素晴らしいと思っている。
そんなマクロスFシリーズの楽曲に、「放課後オーバーフロウ」という曲がある。シェリルと並ぶもう1人のヒロイン、ランカ=リーが歌っているのだが、その歌詞にこんな一節がある。

放課後別れたら明日はもう会えないかもしれない

まさにこの気持ちだった。今回の公演が終われば舞台で推しが観れなくなるかもしれない。最悪の場合、例年年末年始にある祭公演にも出演しなければ、2度と推しを観ることができなくなるかもしれない。そんな不安と恐怖に胸が締め付けられた。(そしてこの予想がこのあと現実味を帯びてくることになるのを、この時の私はまだ知らない)

そんな、嬉しさと不安と恐怖が入り交じった感情を抱えながら、絶対に後悔だけはしたくないから、チケットの確保すべく時間を費やした。


2019年8月12日 東京

新作「葵咲本紀」。初日から約1週間経ったこの日が私の初日であった。ネタバレは見ずに、、、と思っていたが誘惑に負けて、事前にゲネプロ映像だけ観た。観ていてよかったと思った。

観てなかったら劇場で変な声出てたに違いない。

推しが美しく倒れこむ姿が観られるなんて誰が想像した???圧倒的美。とにかく最高だった。

ところで、私はみほとせ初演からおこがましいとは思いつつも推しに対して2つのを持っていた。

そのうちのひとつは、ライブパートでのソロを歌う推しの姿を観ることである。同じ刀派である蜻蛉切さんがみほとせ初演でソロを歌い、劇場を一色に染め上げる光景がうらやましくて、いつか、と願わずにはいられなかった。(もうひとつは、各公演地の初日と楽の推しの挨拶を観ること。こちらは大阪公演、北九州公演、東京凱旋公演で叶った)

そしてその夢は、この日叶うこととなる。いつもは楽しみにしているライブMCも、この日は全く頭に入ってこなかった。MCののち1曲挟み、そして、推しが1人で劇場に立った。多分私は泣いていた。劇場がホットピンクに染まる。なんて美しい光景なんだろう。

夢みた瞬間が今ここにある。
そして、大千秋楽を迎えるその日までは、この瞬間を感じることができる。

この日までに、私はすでに14公演ぶんのチケットを持っていたのだが、増やすことに決めた。

こんなに輝いている推しを、あと13回しか観れないなんて冗談じゃない。
この瞬間を私は永遠に感じていたいのだ。

永遠


永遠ってなんだろう。物理的に永遠は存在しないのはわかっている。それでも推しのへの想いは止められないから、何度も通うことで心に刻み込みたい。
舞台の公演期間は限られていて、生身の人間が演じているけれど、目の前にあるキャラクターの存在は儚い。舞台の幕が降りれば、私の好きなキャラクターは、そこには存在しないのだ。

だからこそ、もう二度と「実在する」ことがないかもしれない推しを何度でも観なければ、後悔のないように。

そうすればきっと、焼きついた記憶は失われない。たくさんの観劇の記憶は永遠となる。それで私の推しへの気持ちは満たされるはずだ。

葵咲本紀が終わってしまうその時まで、出来る限りすべての時間を推しに費やすことを決意した、そんな1度目の観劇だった。


2019年10月27日 大千秋楽

大千秋楽公演は、ライブビューイングで観た。
ギリギリまで仕事が立て込んでいて、正直ライビュに行けるかどうかも危ぶまれたが、なんとか間に合った。

推しは、美しかった。

結局、観に行く予定だった公演が4公演中止になってしまった影響もあり当初の予定よりも減ったが、16公演(ライビュを入れれば17公演)観ることができた。

年末年始にかけての歌合公演には出演しないことが発表されていた。本当に、もう会えないのかもしれないと、覚悟を決めていた。
その覚悟を決めるために、多ステしたこと、全公演地を回ったこと、そこで観たもの感じたことには私にとってかけがえのない宝物になった。

ー永遠に忘れない。後悔などない。

最後の推しの言葉の中には「またいつか」が思い描けなかった。その事実に、ショックを受けている自分もいた。けれど、そんな感情よりも、発せられる美しく愛おしい言葉たちに、ただただ涙を流しながら、ひたすらに、私の心にあったのは、ありがとう、という言葉だった。

美しい記憶と感情をずっとずっと心に刻む。たくさんの思い出をありがとう。またいつか、がもう訪れないとしても、それでもいい。それだけの記憶と想いを持つことができた。ありがとう、ありがとう。

この日、推しへの気持ちは十二分に満たされていた。幸せだった。
大千秋楽を迎えてからも、葵咲本紀の日々を想い出せば幸せでいられた。アーカイブ配信を観ては、思い出にふける日々。満たされていた。

あの日が来るまでは。


2019年12月23日 広島

刀ミュ歌合公演が広島に来る、と発表があったとき、絶対に行く!と思った。
だけど、推しが出ないし、一緒に現場に行っている友人も都合がつかない。ということで、チケットを取っていなかったのだが、とあるご縁があり、観に行くことになった。

広島のあとのさいたま公演には友人と参戦予定ではあった。推しが好きなのはもちろんだが、前提として刀ミュというコンテンツが好きだし、推しが出ないから観ない、という選択肢はなかったことは理解してほしい。
友人と初見の感動を味わいたい気持ちもあったが、せっかく近くで公演があるのだし、みほとせ再演や葵咲本紀での多ステに慣れていたこともあり、やっぱり2公演は観にいかないとね、という気持ちで観に行くことにした。推しが出ていなくても楽しめる自信があった。それはひとえにミュージカル刀剣乱舞への信頼だった。

結論から言おう。


公演終了後、車の中で、私は涙が止まらなかった。


推しが歌っていた曲で、推しの色のペンライトを振ることができない苦痛。
推しが歌っていたデュエット曲を、違う組み合わせで歌われる不可思議。
本公演で顕現した推しはみんなに祝われていないという事実。

なんで、どうして。

推し色のペンライトが振ることができないことがこんなにしんどいなんて思わなかった。
他にもたくさん曲があるのになぜあえてそのデュエット曲をその組み合わせで歌わなせればいけなかったのか。
なんでたくさんの祝福の中で顕現する刀がいて、推しはそうじゃなかったのか。

なんでなんでなんでなんでなんでなんで。


なんで。どうして。


歌合自体が楽しくなかった、といえば嘘になる。でも、全力で楽しめなかった。
推しへの気持ちを踏みにじられた気さえした。

推しが2度と舞台の上に立つことはなくても、コンテンツは続いていく。
私は上書きされない永遠の思い出にすがりながら生きていくのに、推し以外の男士たちは新たな記憶を更新し続ける。

耐えられない。

あのパートは推しが歌っていたのに。
そこには本来推しがいるはずだったのに。

そして、私は知っている。推しが歌っていたパートを誰かが歌っていて、きっとその誰か、を応援している人にとっては、歓喜の一瞬であるということを。その事実が余計にしんどかった。

さいたま公演では、覚悟を持って臨んだ。推しのことはなるべく考えないように。
だけどデュエット曲だけは、ホットピンクを小さく振った。私にできた唯一の抵抗だった。

誰のせいでもない。
公演自体は非常によくできていたと思う。

私が楽しめなかったのは、私のせいだ。

推しへの大きくなりすぎた感情が、自分を苦しめるだなんて思わなかった。
大千秋楽のあの日、美しく舞台の幕を閉じたあの日の穢れひとつない気持ちが、こんな形でアップデートされてしまいたくなかった。


おわりに

さて、本当に楽しくない話でごめんなさい。
えっ、ここで終わるの!?って感じもするのでそれもごめんなさい。
2019年の下半期に起こった出来事とそれにまつわるたくさんの感情は、私にとって、どこかに吐き出さないと気持ちの整理がつかないものでした。
わたしがわたしのために書いた、ただの自己満足です。

何度も言いますが、私は歌合公演はいい公演だったと思っています。否定するつもりはありません。が、やはり観るとしんどくなるので円盤の購入予定はありません。こればかりはどうしようもないことだと、割り切っています。

月並みな言葉にはなりますが、推しがいる、ということは楽しいばかりではないんだな、と思います。
昨今、今をときめくアイドルたちのニュースの中に、療養のため活動休止、という文言をみることが増えた気がします。
前はそんなニュースを見ても何も思わなかったけど、それって応援しているファンにとっては言葉にできないくらいつらいことなんだと、想像できるようになりました。

推しが表舞台に出てこなくても、推しを取り巻く環境は前に進んでいく。
私に足りなかったのは、それを受け入れて、推しを、そしてコンテンツを愛する覚悟でした。

歌合公演から幾月か過ぎたからこそ、いろいろ考えて、自分の感情に向き合えた気がします。

ミュージカル刀剣乱舞が好き。

推しに出会わせてくれたコンテンツへの感謝を忘れずにいたい。
推しへのクソデカ感情と相容れないことがあっても、その想いだけは持ち続けようと思います。

余談になりますが、8月に大演練というイベントがあります。そこに推しが出ることが発表になりました。出演する人数も多ければ、会場のキャパも桁違いなので、どういった構成になるのか全くわかりません。そもそもこのご時世ですので、本当に開催されるのかもわかりません。しかし、2度と会えないかもしれないと覚悟していた推しの姿をまた観れるチャンスが訪れたことに胸が熱くなりました。

2019年10月27日から上書きされない推しの記憶が、新たに更新される日が来ることを祈って記事の終わりにいたします。ありがとうございました。

おわり

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