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死ぬ前までに食べたい100の美菓 仙台駄菓子

仙台で長く駄菓子屋を営んでいた、石橋幸作さんが昭和36年に書いた本、「駄菓子のふるさと」をゲットした。


その中に、「仙台、盛岡、会津、鶴岡は、東北四大駄菓子の里」と書いてあり、嬉しくなった。

拙著の「美菓の古道」の中にも、「鶴岡の美味しいお菓子、美しいお菓子のルーツには、京から北前船に乗ってきたお菓子と、酒井家入部の折、江戸や伊勢、近江、村上から移住してきた職人の手によるお菓子と、東北の農村に古くから伝わる駄菓子の、三つのルートがあり、それを美菓の古道と呼ぶことにした」と書いている。

仙台の石橋屋の店主が書いた本にも、仙台の駄菓子は江戸からのものと、農村から伝わったものがあると書いている。

仙台藩と庄内藩は、幕末の奧羽列藩同盟や、その前の伊達政宗、最上義満のつながりなど、何かと縁があり、根拠はまだ不明だが、仙台駄菓子と同じ形や味がする駄菓子が鶴岡には伝わっている。例えば、からからせんべいは仙台や会津にもあり、江戸の下町にもある。

仙台弁と庄内弁も似たものがあり、「がおる」なんて言う方言は庄内弁にもある。

しおがまという駄菓子は、鶴岡の駄菓子屋にもあった。


仙台では昔、遊郭に行くことを、「草餅食ってくる」と誤魔化したらしいが、事実、仙台の遊郭の近くにはお菓子屋が多かったらしい。江戸吉原の近くにもお菓子屋は多く、鶴岡の七日町の近くにもお菓子屋は多い。

そう思うと、やはり鶴岡の美菓の古道には、やはり江戸や仙台、そして東北の農村から伝わってきたものがあることに間違いはない。

嗚呼、コロナ禍以来、仙台には行ってないな。国分町あたりで駄菓子をつまみに一献やりたいよ。

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