見出し画像

死ぬ前までに食べたい100の美菓 栗饅頭

今年は全国的にも栗が豊作だという。しかし、熊の出没は平年並みか。

栗を使ったお菓子は多い。地元鶴岡にも木村屋のマロンがあるが、栗饅頭を銘菓にするお菓子さんもまた全国に多い。最近はコンビニスイーツでも見かけることがあるので、栗饅頭は全国ブランドなんだろうか。

起源は定かではないが、饅頭自体は江戸時代から庶民に親しまれていたもので、初期の栗饅頭は、単に栗の形を模したもので、栗のあんこが入っているわけではないという説がある。

ではいつの時代から今のようなスタイルになったのか。北九州の小倉では、明治時代の日清、日露戦争の時代に勝栗を包んだ饅頭が話題となり、また長崎では戦勝祝いとして栗型の饅頭が作られたという。

長崎の栗饅頭は、明治時代、長崎の町でカステラ職人をしていた田中旭榮堂の初代が、その製菓技法を応用し、鶏卵を使った饅頭に栗を入れ、レンガ作りのオーブンで焼き上げた饅頭が名物になったという歴史がある。

発売当初の栗饅頭は、和魂洋才の革新的な饅頭として評判を呼び、その後、お祭りやイベント・冠婚葬祭の引菓子として使われるようになったという。

キーワードはやはり、勝ち栗で縁起物だったことにある。その勝ち栗だが、元々は、搗栗(かちぐり)と書き、栗の実を棒で突いて搗(か)ちたもの(殻と渋皮をむいたもの)をそう呼んでたが、元々は栗の保存食だったが、勝栗と呼ぶようになったのは、勝ちの語句の方が縁起が良いことから、武家では戦勝の祝いに食膳に供えられたものだそうだ。

おとぎ話のさるかに合戦で、かにが木に登り、イガのままの栗を猿に投げつけ勝ったことから、民間伝承として搗栗を節分にまく風習がある土地もあるようだ。

選挙戦たけなわの今、陣中見舞いに栗饅頭を送ってみようか。

写真は創業明治31年、長崎の元祖栗饅頭
田中旭榮堂(たなかきょくえいどう)さんのホームページより。

いいなと思ったら応援しよう!