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No.4『テレーズ・デスケルウ』
カタカナのタイトルって、濁音やら区切り位置やら、正確に覚えるのが一層難しく感じるのは私だけでしょうか。
検索時の「もしかして:〇〇」機能に頼って、正しいタイトルへと辿り着くことがほとんどです。
フランスの作家フランソワ・モーリアックによる小説、『テレーズ・デスケルウ』です。こちらの作品の訳者は幾人かいますが、私が読んだのは『沈黙』などで有名な遠藤周作氏による訳本です。
タイトル名は、デスケルウ家へと嫁いだテレーズという女性の名前であり、この物語の主人公です。
一度物語が始まれば、そこからはずっと、彼女の果てしない孤独を目の当たりにすることになります。そしてここで言う「孤独」とは単に物理的に他者から切り離されたり、大切な人との死別を意味しているわけではなく、それはおそらく彼女自身のより根源的なところからやってくるもので、それにより他者との間に生まれてしまう不和をどう言葉にすればいいのか、どう伝えればいいのか、テレーズは戸惑います。
物語の表面上で彼女が直面している問題は、そうした概念的なものではなく、より実質的で、明瞭に言語化されています。
にもかかわらず、読者はそれらの明確で分かりやすい問題ごとをすり抜け、より曖昧で抽象的な彼女の抱える孤独へと誘われます。それが一体何なのか具体的に示されていなくとも、細い蜘蛛の糸のように物語のあらゆるところに張り巡らされていることを、きっと感じてしまうはずです。
こんなにも曖昧に描写され、どこか掴みどころのない孤独を宿すテレーズ。簡潔に言えば「得体のしれない」彼女なのに、気づけば、その孤独に寄り添い、そしてその孤独を一緒に抱えようとする自分がいました。
「解説」の中では、このテレーズという女性に魅了された日本人作家たちがいたこと、そして彼らによって彼女を下敷きとした作品が生まれたことが述べられています。
言葉で明瞭に語られずとも、物語全体の織り成す情調とテレーズ自身に与えられた魅力から、私たちはそこに確かな「孤独」を読み取ります。それは確かに、彼女が抱える孤独であり、また、私たちが抱える孤独でした。