オカレモンと「ほんとか?」の先
先日、外出前に洗面台で支度を整えていた時のこと。最近乾燥がひどいので、顔に化粧水を塗ろうと思い立ちました。何の気なしにワックスの横に置いてあるスプレーを手に取り、顔に2回ほどプシプシと噴霧した瞬間。とてつもない違和感。匂いがキツすぎる。しかも吹きかけたそばから顔がヒリヒリする。ナンダコレ。不思議に思って握りしめたスプレーを見ると、そこにはParfum pour la chambre(お部屋用芳香剤)の文字。
ン、ンホォ……
あろうことか、お部屋を爽やかなレモンの香りで満たすルームフレグランスを顔面にぶちまけてしまったのです。リビングやら寝室やらに向かってバズのアストロブラスターよろしく狙い撃ちするはずの芳香剤を、目やら鼻やらがごった返す三畳一間の僕の顔面に発射してしまったのです。当然顔もヒリヒリするし、何より匂いが過激すぎる。レモンの木の切り株を一口サイズの短冊切りにして輪ゴムで束ねて、両方の鼻の穴に突っ込まれたかのよう。僕の頭に「やたら鼻の利く短髪」としてインプットされている瑛人も、真っ青のことでしょう。爽やかなレモンの香りというよりは、汗と涙の入り混じったオカレモンの着ぐるみの内側を想起させるほどの匂いのキツさでした(「めちゃイケ オカレモン」で検索!)。キッズダンサー達が僕の頭の中に大集合し、まぶしい笑顔で上体をのけぞらせながら「ぐいぐい来ております、ぐいぐい来ております」と叫んでいます。フガフガと口で息をしながら、家を後にしました。
最寄りの駅まで歩いている間も、人面レモン状態は続きます。暑さと匂いの挟み撃ちにヒイヒイ言いながら、昔ルームフレグランスをプレゼントで買った時のことを思い出しました。芳香剤なんて買ったこともないし、お店に入るのすら緊張したなぁ。店員さん、確か1プッシュでお部屋がスッキリした香りになりますよって言ってたなぁ。顔に2プッシュしたらあかんよなぁ。オーバーキルだよなぁ。てか本当に1プッシュで十分なのかな。十分な訳ないよな。あれ、ほんとか?
世の中には、「ほんとか?」と思う瞬間が意外とたくさんある気がします。例えば、「こちら側のどこからでも切れます」。全く切れない時、ざらにあります。リボンをつけて横に鎮座している、フランスの名家出身みたいなエセパックマンに嘲笑われている気持ちになってくる。ネットで「こちら側の」と打ったら、予測変換の一番上に「こちら側のどこからでも切れます 切れない」と出てきました。どうやら皆同じ苦しみを味わっているらしい。
あと、レストランとかラーメン屋の「ごゆっくりどうぞ」。めちゃくちゃ混んでいる時にも言ってくれますが、あれを信用してタラタラ食ってたら怒られるに決まってます。店員さんが明らかに忙しそうにしている時でも言ってくれる。急いでいたのでしょう、以前よく行くお店の店員さんが放った「ごゆっくりどうぞ」が早口すぎて「がっくりローソン」に聞こえたことがあります。
大学では、「盲目的に言説や事象を受容するのではなく、批判的な視点で問い直すプロセスを必ず経る」という練習を日々積みました。これは、「どんな時も一旦『ほんとか?』と問いただす」行為とも言えます。この世界における未だファジーな領域を「問い」の形で明るみに出す、先行研究に対する批判的検討を行い新たな可能性を提示する、自らの成果をも批判的に見直した上で今後の研究において着手されたい新たな「問い」を考える・・・。様々な場面で「ほんとか?」の精神が活きてきました。この姿勢は、知的好奇心に駆動された愉しい日々を送るためにも、社会における同調圧力に屈しないためにも重要なものであると考えています。
しかし。
「ほんとか?」と問うた先に何があるのか。どうすべきか。それは意外と大学では学んで来なかった領域かも知れないな、と思ったりもします。日常に「問い」を提起することは大事だし、何より愉しい。でも同時に、社会において実は「ほんとか?」と問うた上で何とかして折り合いをつける必要があるとも思います。もちろん首肯し難い主張や不条理な事象に対して「おかしくないか?」と言うことは重要。でも時には「まぁいっか」と割り切ったり、自分なりに解釈し直したりすることも求められると思うのです。「こちら側のどこからでも切れます」と豪語するパックマンを横目に、上から1/3の部分を狙い定めて切る。「がっくりローソン」の言葉に「ありがとうございます」と笑顔を返しながら、替え玉を我慢する。そういった「ほんとか?」の先に一歩踏み出す行為も、生きていく上では必要なのかも知れない。
気づくと駅に着いていました。顔は未だ強烈なレモン臭を放っています。ルームフレグランスを使う時は、一応3プッシュくらいしておこう。そう言い聞かせながら、改札をくぐり抜けました。