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【ショートショート】第三者機関

点字ブロックアーティスト ダイサンシャキカン

名前の由来とその意味は?

ダイサンシャは、身体性を持たない機関でなければいけない。そうでなければクオリアとしてさえ、純粋なダイサンシャという像は浮かび上がらない。ダイサンシャの本質は、運動や活動といった現象に近いイメージだね。

そして機関とキカンも少し違う。機関とはただ反復を繰り返す純粋な舞台装置であり、キカンはそれに反復行為を擬態したものであり、より大きなズレを生じさせうるものだ。

活動の動機は何ですか?

ダイサンシャの立場から世界を見つめた時に、健常者の無自覚な盲目性を感じたから。それを暴いて白日の元に晒し、世に知らしめなければいけない。

貴方の芸術活動は道路法に反していますが、その事についてはどうお考えですか?

視覚障害者の為にある公共物の本質は、オブジェクトの形にある。視覚障害者は、視覚ではなく主に触覚や聴覚によって、世界を認識している。

私を裁くなら、人間の五感認識にはカーストが存在し、視覚中心的発想があると断言しよう。これこそが最大のルッキズムイデオロギーだよ。私の活動は盲目の者達の世界に存在しない範囲でしか行っていない。

道路法の制定理由とは、公共物を毀損する事を防ぐ為にあるのか?違反行為によって利用者に不利益が出る事を防ぐのが法の役割であり、市民に無意味な制限を課すのは非合理だよ。

子供がチョークで家の前の道路に落書きをする事は咎められていない。何故ならそれによって社会に大きな不利益が生じていないからだ。

点字ブロックに書かれた貴方の絵を見る為に集まった人のせいで、一人の視覚障害者が怪我をした事件について、どうお考えですか?

点字ブロックを利用している者達が憎んでいるのは私ではない。彼らにとって、私という虚構の主体は、全く無関係なダイサンシャだからだ。

彼らが憎んでいるのは、私の絵を見て点字ブロックを塞ぐ者達だ。しかし、それも過渡期に現れる一過性の現象に過ぎない。大いなる変革の為に、少数の犠牲者が生まれるのは仕方ない。

点字ブロックが落書きされ尽くすと、目の見えるもの達はその是非に疑問を抱いてしまう。その時に初めて気づくのだ。自らに根差した、世界認識における視覚中心的な思考の絶対性を。

視覚原理主義者である事の自覚は、彼等を真っ当な人間にしてやれる現代に復刻した唯一のビックイベント(通過儀礼)だよ。

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