倫理学のお話

こんばんは。お疲れ様です。

生きていると他人と口論になること、多々ありますよね。そして大抵の場合は折り合いが付かないと思います。どんなに相手の主張が間違っているように見えても(もちろん自分が狂ってる場合も多々あるものですが)相手が精神病でイカれてる訳でも無い限り、その主張には前提としてる思想と論理があるものです。

相手が妥当に解決を望んでいるにも関わらず話がすれ違う場合は、この前提と論理を読み違えていることが多くあると思います。勿論相手がそんなこと関係なくただ喚いて自分の不機嫌さを発散したいという場合もありますが、今回はそのケース(けれどもよくあるケース)は除きます。うるさかったら殴りましょう。理性で戦えないなら暴力しかないですから。

人間は複雑な在り方をしているのでその前提を概して話すのはとても骨の折れる作業だとは思いますが、人類は社会性を獲得しそれを運用し始めてから、一般的に何が正しく、何が間違っているのか、どうして正しいと言えるのか、を考え続けてきました。この積み重ねを「倫理学」と言います。

全ての人類はこの倫理という秩序を持っており、意識するしないに関わらず倫理を背景に正しい行いか不正な行いかを判断しています。今回はその倫理について考えてみよう、というお話です。

1倫理学は不要な学問か

文系排除の流れが激しい昨今、特に意味が無いと思われ槍玉に挙げられやすい学問の1つだと思います。確かに哲学というものは「正義」や「愛」等の抽象概念を取り扱う学問ですので答えがない(=学問ではない)として不要という発想になるのは分かります。しかしながら人間と人間がかかわり合う社会の中で、お互いの正しさの衝突は避けられない問題です。この衝突は大抵の場合答えはありません。そこに倫理学的分析を持ち込むことで答えが出る場合もありますし、答えが出なくても分析の最中にまた別のものを提示することもあります。答えがないからと言って思考を止めるという必要もないですしね。

我々は普段、道徳と倫理という言葉を大別せずに使っていますが、実際は

・道徳•••ある社会における合理的なルール
・倫理•••普遍的に存在しているであろうルール

という違いがあります。
つまり道徳とは倫理がよりその社会に適応したものであるといえ、道徳を観察することによってその背後にある倫理を知ることができます。事実の観察、分析によってある法則を発見する、という手法は自然科学に通ずる所があり、一概に不要な学問だと否定することもないのではないか、というのが私の主張です。

今回は一旦ここまでにします。
次回からは倫理学における1つの大きな流れである規範倫理学について書いていこうと思います。

さよなら。