大は小を評し、小は大を評す
昔、ドイツ人の友人がfacebookで見ず知らずの外国人に「このナチ娘が!」といきなりクソリプを食らっていた。
書いた本人は軽い冗談のつもりかもしれない。
友人も特に反応することはなかった。
世間は、中国人観光客は声がでかく煩い連中だと蔑む。
全国津々浦々でこう言った行動が見聞きされてから、「中国人=煩くて礼儀知らずな連中」というレッテルが貼られるようにあってしまった。
頭の中にはそういう意識がある一方で、今日も中国人の同僚と仲良く会話を交わす。
“民主運動の女神”が突然逮捕され、香港・中国は「そういう国」だと世界に知れ渡った。
中国人の同僚が帰省から日本に戻ってこないということは起きないだろうか。
「そういう国」だから何をするかわからないし、彼らも何をされるかわからない。
ある“インフルエンサー”が炎上した。
彼は旅館の料理が廃棄前提で作られていると批判するが、これが世間の反感を買い、
所属しているオンラインサロンまで袋叩きにあった。
そういう人間を輩出しているロクでもない団体だという。
結局のところ、評価というものは、自分とは遠いところで決められ、自分とは関係ないものを決めてしまうのだ。
昨今の様々なニュースを見聞きし、戦後75年経っても「そういう評価」になっているドイツのことをふと思い出したのだった。
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