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「ゴミの中から宝物を探す」

あの人気バラエティ番組「水曜どうでしょう」の初期の企画で、「ゴミで家を作ろう」というものがある。
札幌中に捨てられたゴミの中から使えそうなものを掘り出し、それを動かして家を作ってみようという企画だ。


今回の都知事選、妻は「ゴミの中からマシなものを選ぶようなもの」と表現した。
自分はそれに大いに同意した。
候補者をゴミと言っては失礼かもしれないが、自分から率先して選びたい候補がいない以上、そういう表現になるのも、うなづける。

公約をほとんど達成できず、よくわからない言葉を並び立てて自分ばかりが目立った現職。
「弱者」の定義を曖昧に、救済ばかりを押し出す野党推薦候補。
過去の言動の不味さが取り上げられ、バラマキ政策を揶揄された政治パフォーマー。
まともな候補かと思いきや、ラジオ番組からの質問に支離滅裂な回答を捧げる元副知事。

自分から「この人になってほしい!」と思わせる候補がいない限り、投票率なんて上がらないんじゃないかと思う。
要は「ゴミ捨て場に自ら近づいて宝物を探す人がいますか?」という話。

前の記事で「自分の金の使われ方をジャッジするのが選挙」と書いたが、
「誰もがみんなゴミのようなお金の使い方しかしない」と思ってしまった瞬間に、自分の金などどうでもよくなる。
「どうせ捨てる金だ、クレてやるよ」みたいな感じだろうか。


投票率を上げる活動は、途方もなく難しいことがわかる。
ある種、投票に行ったことによる成功体験があれば、次も行ってみようという気になるのかもしれない。
しかし、最近の政治は失敗ばかりが取り上げられ、誰に投票したって「成功」にならない。
現職が公約を達成しまくって、この人には託す価値があると感じれば投票率も上がるのだろうが、果たしてそういう政治「屋」がどれだけいるだろうか。

もうゴミ捨て場には近づきたくないのだ。
一度悪臭を感じ取ってしまった者を、もう一度呼び戻すのは簡単ではないのである。

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追記:
今ではとんでもない人物として歴史に名を連ねるアドルフ・ヒトラーも、当時は選挙で合法的にトップに立っている
つまり、思想の根幹はとんでもないゴミでも、時として宝物に見せることのできる人間が存在するわけだ。
国民が冷笑的になったといえばそれまでだが、一方で自分を宝物のように見せられる政治家がいないのも事実なのかもしれない。

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