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報の道とはどんな道

自分は前々から、本気で報道機関やマスコミを目指す若者と話がしてみたいと思っている。
いったいどうして、彼らがその道を目指しているのか。
その裏にはどのような意志や夢があるのか。

報道機関やマスコミの嘘や欺瞞がネット上で簡単に明らかになるこの時代において、それら業態はどうしても叩かれる対象になりやすい。
なのになぜ本気で目指す若者がいるのか、自分には不思議でならない。


ずいぶん前の自分のつぶやきに、こんなものがある。
https://note.com/dachiyo47/n/n6f392a555be7

これはちょうど、京アニ放火事件の時だったと思う。
遺族感情を無視して「実名報道したい」という、世間の感覚から大きく乖離した報道機関のスタンスに嫌気が差した時だ。
たぶん、あの時もその前もこの後も、内部の論理で動く報道機関のスタンスは変わっていないのだろう。


今、世間がコロナに支配されてしまっているが、本当に有益な情報を流してくれる報道機関やマスコミがどれだけあるだろう。
安心や融和、一体を促すニュースがどれくらいあるだろう。
様々な報道が、社会を切り裂き、差別を助長し、世界を分断しているのではないか。

こんな時、ふと思うのは“報道”という言葉の意味だ。
一体どんな道なのだろうか。
なんとなく調べていると、答えがあった。

「報道」の倫理が問題になるので「道」は「人の道」の意味があるとも思えます。「報道」はどの「道」でしょうか?
「報道」の意味として辞書では「告げ知らせる、ニュース」とあります。いわゆる「みち」の意味ではなさそうです。
「道・みち」には、通路、道程、専門の仕事・分野、どんな順序・方法で進めばどんなところに到達するかという見通し、と小型辞書の説明にあります。
「報道」は「知らせる専門の分野」とも理解できそうです。
引用: https://www.nhk.or.jp/bunken/summary/kotoba/uraomote/019.html

報道の“道”は、人の道でもあるのだ。

そう考えると、このところ人の道から外れた「報道」が散見されるのは、残念でならない。

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