エスカレーターについての補足: 階段に足が向かない心理を考える
昨年末、「エスカレーターの右開け」について、下記のnoteを書いた。
この記事を投稿した後も、やはり「エスカレーターの両側に立ち、右側を歩くのはやめる」という新ルールは定着していないように思える。
年末年始の帰省シーズンは荷物が多くなるせいか、例外的に両側に立つ光景が見られたが、日常ではそうもいかないようだ。
これまでの行動様式を変えることが、いかに難しいかを思い知らされる。
一方で、自分はエスカレーターを避けるようになった。
移動経路にエスカレーターしかないときは周りの流れに従うが、基本的には階段を使って移動するように心がけている。
階段を使い続けていると、あることに気づき始める。
それは「急いでいる時の選択肢に、階段はなりにくいのではないか?」ということである。
どういうことか、考えられる理由をいくつか挙げてみたい。
①階段は完全な一方通行にならない
階段は双方向通行が可能な移動手段であり、エスカレーターのように一方通行を強制されるわけではない。
上り下りの境界が曖昧であることが多いし、人の流れを無視しようとすれば逆走もできる(狭い階段で、たまに発生しているのを見かける)。
エスカレーターは、ほぼ100%向かいからの障害物が現れることがなく、行きたい方向への移動を保証されている。
こういった心理から、急いでいる人は自然とエスカレーターに足が向くのではないだろうか。
②階段は急いでいる人だけの経路ではない
従来のルールでは、エスカレーターの右側は、歩く人=急ぐ人しか使わない。
同じ心理や考えで動く人ばかりなので、自然と「急いでいる人の場所」という共通認識が芽生え、急ぐのであればその場所に自然と足が向くようになる。
ところが階段はどうだろう?
急いでいる人だけが使う移動手段では無く、むしろ様々な人のペースで流れている。
当然、歩くのが遅い人がいれば遅くなるわけで、「急ぐことができる」わけではない。
急いで移動できることが保証されているわけではないのである。
エスカレーターの右側が、いつ乗っても変わらない速度で移動できるという一種の保証も、階段が選ばれずにエスカレーターに人が流れる原因ではなかろうか。
まとめ: 「階段=必ず急げる」という保証がないと行動は変わりにくいのでは?
長いこと「エスカレーターの右側は急ぐ人のために開けておく」という習慣は、
人々に「エスカレーターの右側に乗れば急げる」という保証も人々に与えてしまったのではないだろうか。
だとすれば、エスカレーターの両側に立つ新ルールは、定着がかなり難しいのではないかと思う。
せめて「階段は急ぐ人のためのものです」という共通概念か、もしくは「右側に乗っても急げないという、従来の保証の消滅」があれば、
新しいルールもそれなりに浸透するのではないかと思う。
ただ、日常的に階段を使い始めた自分から言わせれば、この変化を起こすのは相当難しいことだし、そもそも変化すること自体も何か“違う”ような気がしてならない。
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