「note」を選び、小説を捨てた話
スマホからの投稿にも慣れておこう、と思い立ってnoteのアプリから書いている。
前のノートで「小説は捨てた」と書いたが、その話について、忘れないうちに書き留めておこうと思い、筆を取った。
何故「note」を選んだのか。なぜ小説を捨てたのか。そのキッカケとなったのは、とあるnoteユーザー様のノートであった。
ご本人様の迷惑になるといけないので、リンクなどは貼らないでおくが、そこにはこんなことが書いてある。
エッセイだと思って読んでいると、実は小説だったりして、読み終わった後に残念な思いをする。
正確なコピペではないが、自分の中ではこう解釈した。
自分が書いていたのは、エッセイと小説の境界線が曖昧になった、まさにご指摘通りのものだった。
自分が小説を書いていた理由も、これまたこのノートに書かれていることドンピシャリで、休職中だったからである(もっとも、今も休職中であるが)。
休職については改めて書くとして、自分がやっている復職に向けたトレーニングでは「レポートを書くこと」が課題の一つになっている。
元々文章を書くのが好きなのでサクサクと書けるのだが、何回か提出と修正ポイントの指摘を受けているうちに、どことなく「復職のための納品物」の色が濃くなってきて、徐々に違和感を覚え始めていた。
何回も何回も添削と肉付けを要求されるので、やっているうちにかなりの飽きが襲ってくる。
元々仕事で文章やプレゼンを作るエネルギーはあったわけだから、同じレポートに何週間も対峙しているのでは、自ずと書くエネルギーをぶつける他の場が欲しくなってくる。
そこで自分が選んだのは、小説を書く、という道だった。
それも、納品物ではない、休職のありのままをテーマにした小説を書きたかった。
最初はいい。アイデアがいろいろと浮かんでくるし、ストーリーの骨格もなんとなく出来上がった。
ただ、ある程度書いたところで読み返してみると、びっくりするほど深みがなかった。
なぜ深みが出ないのか。やはり自分目線で書いているから自分以外の登場人物のキャラが薄すぎること、そしてファクトとフェイク(フィクション)の境界線が曖昧になってしまっていて、読み手に訴えかけるものが弱くなってしまっていること、この二つが致命的な欠点だと感じた。
(そう考えると、西加奈子さんの「サラバ!」にはある程度ご自身の経験が混ざっているはずなのに、あそこまでいろいろなキャラをフィクションとして際立たせることができるのは、本当にすごいと思う)
そもそも本気で小説家になりたかったわけではなく、書きたいというエネルギーをぶつけたかっただけなので、断念するのは簡単だった。
万が一書籍化されたとしても、書き手は売れるように四苦八苦しなければいけないことがわかりつつあったし、自分のエッセイのような小説のようなものを望む読者は少ないだろうと感じたのも、諦めを後押しした。
自分は書きたいものを書く。自分には読み手を意識しなければいけない小説よりも、こうやって「note」に書き殴った方が性に合っていると思った。
小説を書くとなると、やれ書き方がどうだとか、締め切りはいつだとか、雑念がストレスになってしまうが、「note」は自由だ。締め切りもテーマもない。書きたいものを書きたいタイミングで書けばいい。
「note」に出会わせてくださったそのユーザー様に、陰ながら感謝である。
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