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♦唯信:九坊院より言の葉だより♦
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《唯信:九坊院より言の葉だより》
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《和讃の時間;Time of WASAN 》
唯信◆2025(令和7)年3月号
{}和歌{}
明日ありと思う心の仇桜
夜半の嵐に吹かぬものかは
【伝・親鸞聖人 九歳御作】

{}唯信◆2025(令和7)年3月号{}
唯信◆2025(令和7)年3月号
謹みて 慈光照護のもとお念仏ご相続の事と拝察申し上げます。長引く寒波襲来の影響で滞っていた開花の便りが全国各地から届く日々をいかがお過ごしでしょうか。大量の花粉飛来の対策に奮闘される方も多いかと存じます。いずれにしてもご無理なくお過ごしの事を念じ申し上げるばかりです。
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明日ありと思う心の仇桜
夜半の嵐に吹かぬものかは
【伝・親鸞聖人 九歳御作】
意訳…明日になってから桜を見ようと思っていても、夜中に嵐が吹いて散ってしまえば花を眺めることはかないません。つまりは、明日に桜の花を見られると思う心ほどあてにならないものはありません。
歌の背景…幼名「若松丸」を名乗られていた九歳の親鸞聖人さまが詠まれたと伝わっています。四歳で父・日野有範(ひのありのり)を亡くし、八歳で母・吉光御前(きっこうごぜん)を亡くした若松丸は、伯父・日野範綱(ひののりつな)の案内を得て京都・青蓮院(しょうれいいん/総本山知恩院の北隣にある天台宗の門跡寺院)で出家得度を受式されることになりました。伯父に伴われ夜半に到着した若松丸を迎えた慈円和尚(法然聖人に帰依していた関白九条兼実の弟、慈鎮とも)は、「すでに時も遅いから今日はゆっくり休んで明朝に得度式を致しましょう」と勧めると、幼少ながら意を持って「今日これより得度を頂きたい」と答えました。重ねて和尚が「今からの準備では式は夜中になってしまう。やはり明日のほうが」となだめかかると、冒頭の歌を詠じたので、幼いながらもひとりの人として秘めている覚悟を察し式は執行されました。
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本当に九歳の子供が詠んだのかと疑うのであれば、まず戦乱鎌倉時代の貴族社会における男児のたしなみを調べてみることをお勧めします。
事の真偽よりもひとつの歌の本質をこそ聞かせて頂かねばなりません。たとえ何歳であろうとも、今日あるものが明日にもあるとは限らないという無常のことわりを承知している方は、現代の世にも大勢おられると思います。『命とはいかにも儚く、私もまた儚い命を生きながら悟りに至る道を歩きたい』と願われた親鸞聖人さまが二十年にも及ぶ比叡山での修学修行の日々に絶望されて、それでもなお求めた道が法然聖人さまが伝道されていた本願他力のお念仏であったことに、愚生は深いご因縁を見いださずにはおられません。
いのちの儚さから逃れる事はできないけれど、その真実と向き合ってこそ頂ける阿弥陀如来さまの御信心であると信知なされ親鸞さまのお心を仰ぐと、泥凡夫でしかない愚生にも数われる道がある、歩く道がある、乗せて頂ける船があると胸が熱くなります。
じきに嘆息するほど美しい桜吹雪が舞います。春爛漫の季節を迎えながら真っ暗闇の中、わずかに点るお灯明に照らされた少年が深い覚悟をもって得度された一夜に思いを馳せては如何でしょう。儚さを知り、儚さに耐え、それでも〝答え〟を見いだせず絶望する親鸞さまが阿弥陀仏のご本願をお聴聞されるご仏縁を賜り、生かされて活きている「私」と出遇われたうち震われる程の歓喜を、今を生きる私たちにもお伝え下さっています。この不可思議なる本願念佛相続の縁(えにし)を賜り、共々に歩かせて頂く道の尊さに報恩のお念仏を申し上げるばかりです。
合掌称佛
住職 北條不可思
合掌称佛
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派眞信山 蓮向寺
【相模原市当麻・九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。



◇ひっそりささやく愚螺の牛◇
~「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影~
{御影向の眼差し}#2
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。 たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞし。…
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり
正像末浄土和讃
夢告讃
無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
正像末和讃
願力無窮にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸もすてられず
正像末和讃
「本願を信じ念仏を申さば仏になる」
歎異抄第12章より
聖人(親鸞聖人)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
歎異抄第18章より
~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU


(西本願寺蓮如フェスタ1998年)

{}親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念{}
献歌コンサート「恩徳讃歌」2009年
(西本願寺特設ステージ)
『響流和讃:こうるわさん』
『響流和讃 : 恩徳讃歌』(2001年作品)
【親鸞聖人750回大遠忌記念献歌:(2011年発表) 】
★親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
★親鸞聖人御作
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
★親鸞聖人御作
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず
★北條不可思献詩
弥陀の願いをたずぬれば
さまよう我ら(泥凡夫の私)がためなりと
智慧慈悲際無き MAMO-AMIDA
あやしき闇夜に 響きおる
★ 親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
骨をくだきても謝すべし
Copyright© 2001,2006 renewed 2009 by Special JION Music
親鸞聖人の御和讃はそのままが尊く、懐かしく、有難い
それでもなお湧き起こる言の葉があるなら
詩を書き讃歌すればよい
NAMOWAMIDABUCHI
Song & BowzuMan
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1986年
Drawing By Fukashi Hojo :cassie
知人曰く: 「陽の沈む西方に向かう白道を歩いているようにも、
船に乗り海を渡り西方に向かっているようにも見える」そうだ。
野聖物語★★★親鸞聖人
http://fukashi.blog50.fc2.com/blog-entry-243.html
北條不可思
浄土真宗本願寺派
《本山 西本願寺♦首都圏 築地本願寺》
広島・呉市:蓮向寺 住職 {安芸教区安芸南祖}

photographCopyright © DAIJI HOJO JAPON
敦煌;絹の道 仏様の道 撮影;北條大慈
北條大慈
浄土真宗本願寺派
《本山 西本願寺♦首都圏 築地本願寺》
神奈川:相模原市:蓮向寺 住職
{東京教区神奈川祖}


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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢
Message from KUBOUIN
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市當麻九坊院】
有縁の方々にお送りいたしました通信です。

九坊院より言の葉だより♦
♦唯信:九坊院より言の葉だより&和讃の時間♦

北條不可思
法名:釋難思
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💎往還の船:OUGEN NO FUNE💎
『曇り硝子の四行詩』
{2021年作}
-親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年【2023年】を機縁に。
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『西路の船:sairo no fune』
{2020年作}
【西路は:西方浄土への船路の意】
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~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に阿彌陀如来様の慈慧の響きと平安を』
"Song & BowzuMan”
北條不可思
法名:釋難思

