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Message from KUBOUIN
♦唯信:九坊院より言の葉だより♦
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《唯信:九坊院より言の葉だより》
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《和讃の時間;Time of WASAN 》
唯信◆2025(令和7)年1月号
南無阿弥陀仏をとなふれば
(なもあみだぶつをとなふれば)
十方無量の諸仏は
(じっぽうむりょうのしょぶつは)
百重千重囲繞して
(ひゃくじゅうせんじゅういにょうして)
よろこびまもりたまふなり
(よろこびまもりたまふなり)
{}-浄土和讃-♦親鸞聖人{}
唯信◆2025(令和7)年1月号
謹みて 新春のご挨拶を申し上げます。厳しい寒さは続きますが、焦らず急がず自分の歩調をなるべく崩さず、『ナモアミダブツ/お念仏』ご相続の日々を本年も共々に致したく存じます。くれぐれもご自愛の程念じ申し上げます。
*
南無阿弥陀仏をとなふれば (なもあみだぶつをとなふれば)
十方無量の諸仏は (じっぽうむりょうのしょぶつは)
百重千重囲繞して (ひゃくじゅういにょうして)
よろこびまもりたまふなり (よろこびまもりたまふなり)
{浄土和讃:親鸞聖人}
【意訳】南無阿弥陀仏を称(とな)える身になると、すべての世界の数限りない仏がたは、百重千重にも取りかこみ、喜んでお護りになるのである。
(出典『三帖和讃』浄土真宗本願寺派編)
囲繞(いにょう)して…くるりととりまくこと。囲み巡ること。
*
*
阿弥陀如来さまの誓願不思議の御信心を賜り、『ナモアミダブツ』と称える身とならせて頂いたならば、十方世界に数えきれないほどおいでになられる無量の数の諸仏の方々が、「我が本意もお念仏を勧める事なので、こんなに喜ばしい事はありません」と「私」を取り囲んで護って下さっていると想像し、味わってみて下さい。
ご存知の通り、浄土真宗の御法議には、自らの力で積むべき徳も果たすべき行もありません。徳も積めず、行も修められない無力な「私」の為に涙を流して下さる阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)がご本尊さまです。決して捨てず決して落とさず、「我にまかせよ必ず救う」と「私」を呼んで下さる聲(こえ)の佛さまです。休みなくはたらいて下さる阿弥陀さまの御本意を数多の仏さま方も等しく正意に思われて、本願他力のお念仏を喜ぶ人を率先して護って下さっていると親鸞聖人さまは讃嘆されました。
古今東西世の中には、『人が出来ないよう程の苦しい行を修めてこそ、人には到底たどり着けない境地に達する事が出来る』という教えがあります。その教えの正しさを愚生は是々非々で語ることは出来ません。愚生こそが、『難行苦行のイロハさえも修められない者』なのです。その明確な自覚があればこそ、「煩悩具足の泥凡夫である私」のありのままの姿を見つめる内省と御安心(ごあんじん)を得ることが叶います。
努力によって他者よりも秀でて、他者人より秀でてこそ人もうらやむ人になれるという優劣を前提とした価値観は、様々な場面で正論となり得ます。まるで〝人生ゲーム〟必勝へのスローガンのようです。
しかしながらそれは、人の世ならではの《相対的》な正論なのでしょう。
不特定多数で構成する社会に生きているからこそ、いかなる状況にあろうとも「私」を見失わずに「我が人生を生き抜く事」を希求せずにはおられません。『負け組の論理』と思われますか。
浄土真宗は勝ち負けを超越したるご法義です。生老病死から逃れられない「私」は、永遠の不変を得られません。とはいえ、何もせず流れる水面に過ぎ行く時だけを見つめたままに歳月を重ねる事も出来ません。自我ある生き物だからこそ、成功に歓喜し失敗に落胆します。羨望や蔑み、評価や批判の声に「我」を見失ってしまえば、ただ聞こえてくる他者の言葉に切り刻まれ擦り切れてしまいます。不可思議にもご法縁を頂き共々に歩かせて頂く道は、阿弥陀さまの深い慈悲と智慧の眼(まなこ)を頂き、往生浄土の生死(しょうじ)を超えたる尊く有難き旅路です。
合掌称佛
住職 北條不可思
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派眞信山 蓮向寺
【相模原市当麻・九坊院】 有縁の方々にお送りいたしました通信です。
◇ひっそりささやく愚螺の牛◇
~「新しい領解文(浄土真宗のみ教え)」の幻影~
{御影向の眼差し}#2
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然聖人)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。
念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。 たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。そのゆゑは、自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が、念仏を申して地獄にもおちて候はばこそ、すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ。いづれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞし。…
弥陀の本願信ずべし
本願信ずるひとはみな
摂取不捨の利益にて
無上覚をばさとるなり
正像末浄土和讃
夢告讃
無明長夜の灯炬なり
智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり
罪障おもしとなげかざれ
正像末和讃
願力無窮にましませば
罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば
散乱放逸もすてられず
正像末和讃
「本願を信じ念仏を申さば仏になる」
歎異抄第12章より
聖人(親鸞聖人)のつねの仰せには、「弥陀の五劫思惟の願をよくよく案ずれば、ひとへに親鸞一人がためなりけり。されば、それほどの業をもちける身にてありけるを、たすけんとおぼしめしたちける本願のかたじけなさよ」
歎異抄第18章より
~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
(西本願寺蓮如フェスタ1998年)
{}親鸞聖人大谷本廟750回大遠忌記念{}
献歌コンサート「恩徳讃歌」2009年
(西本願寺特設ステージ)
『響流和讃:こうるわさん』
『響流和讃 : 恩徳讃歌』(2001年作品)
【親鸞聖人750回大遠忌記念献歌:(2011年発表) 】
★親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
★親鸞聖人御作
無明長夜の燈炬なり 智眼くらしとかなしむな
生死大海の船筏なり 罪障おもしとなげかざれ
★親鸞聖人御作
願力無窮にましませば 罪業深重もおもからず
仏智無辺にましませば 散乱放逸もすてられず
★北條不可思献詩
弥陀の願いをたずぬれば
さまよう我ら(泥凡夫の私)がためなりと
智慧慈悲際無き MAMO-AMIDA
あやしき闇夜に 響きおる
★ 親鸞聖人御作;恩徳讃
如来大悲の恩徳は 身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も 骨をくだきても謝すべし
骨をくだきても謝すべし
Copyright© 2001,2006 renewed 2009 by Special JION Music
親鸞聖人の御和讃はそのままが尊く、懐かしく、有難い
それでもなお湧き起こる言の葉があるなら
詩を書き讃歌すればよい
NAMOWAMIDABUCHI
Song & BowzuMan
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♦🔶♦唯信:九坊院より言の葉だより♦🔶♦
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♢和讃の時間;Time of WASAN ♢
Message from KUBOUIN
このメッセージレターは、北條不可思が住職をつとめる
浄土真宗本願寺派 眞信山 蓮向寺【相模原市當麻九坊院】
有縁の方々にお送りいたしました通信です。
九坊院より言の葉だより♦
♦唯信:九坊院より言の葉だより&和讃の時間♦
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💎往還の船:OUGEN NO FUNE💎
『曇り硝子の四行詩』
{2021年作}
-親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年【2023年】を機縁に。
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『西路の船:sairo no fune』
{2020年作}
【西路は:西方浄土への船路の意】
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~この逆謗の穢愚身、唯今ここに帰命尽十方無碍光如来~
南无阿彌陀佛
NAMOWAMIDABUCHI
NAMOAMIDABUTSU
『心に阿彌陀如来様の慈慧の響きと平安を』
"Song & BowzuMan”
北條不可思
法名:釋難思