Bユースが日本バスケを変えていくために ~サンロッカーズ渋谷 山田将樹ユースディレクター ~
成長を間近で感じられることがやっぱり1番楽しい
宮本 山田さんが宇都宮ブレックスのユースからサンロッカーズ渋谷のユースに移籍されたのは、僕の中で今シーズンのビッグニュースのひとつです! 初めてお話をさせていただいたのは、3年前ぐらいですかね。ブレックスユースでさまざまな取り組みをされていて、U18の荒井コーチとU15の本谷コーチと一緒にクラブのカルチャーを積み上げていらっしゃいました。この4月から新しいチャレンジとして、サンロッカーズ渋谷のユースディレクターに就任されました。まずはブレックスユース時代にサンロッカーズ渋谷ユースがどういう存在だったのか。どのように見ていたのかを伺ってみたいです。
山田 サンロッカーズのユースを見ていて印象的だったのは、とにかくスタッフが充実していることでした。純粋にうらやましいという(笑)。
宮本 そうですよね。僕も毎年サンロッカーズのユーススタッフが増えていくのは、驚きでした(笑)。トレーナーがいるのにアシスタントトレーナーもいたりとか。
山田 そうなんですよ。それにプラスしてストレングスコーチもいるんです。ユースだと1人のトレーナーがメディカルとトレーニングを兼任することがほとんどです。それが3カテゴリーにそれぞれのトレーナーがいて、ストレングスコーチもいる。渋谷に来てからは本当にありがたい環境だなと思う毎日です。
宮本 山田さんはユース事業に関わられて何年ですか?
山田 ブレックスのユースが2016年に設立したので、渋谷も入れると8年になります。
宮本 ユースができる前は、ブレックスでどのような業務をされていたんですか?
山田 スクール事業とホームゲームに関するいろんなことをやってました。JBLの頃は会社も小さかったので、メインの担当は決まっていたんですけど、なんでもやるという状況でしたね。
宮本 はいはい。そういう時代でしたよね。懐かしいですよ、そういう時代!
一同 ハハハハハ!
宮本 Dライズ(当時活動していたブレックスの育成チーム)のメンバーが、練習後にスクールをやっていたり。
山田 そうですね。
宮本 そこからBリーグが誕生して、バスケットボール業界は大きく成長しました。それでも正直なことを言えば、ユースに人員を割いていくことはなかなか難しい状況です。それこそ、ライセンスの問題があったからユースを作らなくてはいけないという始まりだったチームがほとんどだと思います。JBL時代からスクール事業に関わっていたということは、バスケの仕事をしている多くの時間を育成年代に関わっているということですよね。山田さんが思うスクールやユースの面白さ、楽しさってなんですか?
山田 そうですね。バスケを仕事にしてから、どちらかと言えばスクールを通じてバスケの普及というよりも強化をする方に携わりたいと思っていました。今で言えばユースに関わりたかったんです。自分が声をかけた選手が上手くなって、結果を出してくれる。やっぱりその瞬間は喜びを感じますし、単純に面白いなと思います。大会に参加したり、各地域の指導者の方々とコミュニケーションを取る中で、「こういう選手がいるぞ」という話を聞いて見に行ってみる。そういう才能だったり、原石を発見する面白さもありました。スクールの場合は、どうしても週1回前後の関わりになってしまうので、多くの時間を一緒に過ごして、成長を間近で感じられることがやっぱり1番楽しいですかね。
栃木出身だからこそ、地元を出ると思われていなかった
宮本 僕もコーチライセンスを持っていて、U15、U18、U22のコーチをやってきました。その喜びや楽しさは共感しかありません。ただ現実に目を向けると、サンロッカーズ渋谷ユースのようにユースに人員を増やそう。投資していこうとはなってないじゃないですか。この歯痒さって表現が難しいというか。
山田 そうですね……。Bリーグになって、ユースができました。それによって育成年代を取り巻く環境も大きく変わったと思います。ただ、U18からトップチームまでの距離がものすごく遠い。ユースが存在する以上、トップチームに送り込める選手を育成するという責任があります。しかし、Bリーグができたことによって、日本バスケの進化も驚くほど早くなったので、その距離がずっと遠いんです。そうなるとユースの重要性が伝わりにくい。これはものすごくもどかしいです。
宮本 そうなると、増収してもユース以外のところの投資が優先になりますもんね。
山田 そうですね。その中でサンロッカーズ渋谷は、以前から松岡さん(松岡亮太GM)がユースやスクールもちゃんと見ていきたいと話してくれていました。それはトップチームの編成担当とユースディレクターを兼務していたときからおっしゃっていましたね。僕に声をかけていただいたときも、「これからユースもやっていきたいと思っているけれど、どちらも年々規模が大きくなっていく中で、この先トップとユースのことを自分自身が両方やることは難しくなるだろうと感じている。だからこそ、自分たちが創り上げたユースをユース界の先輩である山田さんに託して日本一の育成組織という大きな目標を達成するために力を貸してほしい」と。その頃からサンロッカーズ渋谷のユースはグッと伸びてきていました。もちろんブレックスユースへの想いは強かったんですけど、単純に面白いかもしれないと思いましたね。
宮本 今のお話だと、お声がかかったのは割と最近ではない感じですか?
山田 そうですね。最初に声をかけていただいたのは、栃木国体(2022年)のときでした。
宮本 そうなんですね!
山田 実は1回流れてるんですよ。言っていいのかわからないですけど(笑)。栃木国体のときに少年男子の東京代表が勝ち進んでいたんです。当時の東京代表はサンロッカーズU18からも選手が選出されていたこともあり、松岡さんが応援も兼ねてくると連絡をもらったときに、「時間ありますか?」って言われて。なんだろうなーって思いながら、「大丈夫ですよ!」とお返事をしたら、「(先程お話した内容や将来構想も踏めて)渋谷のユースに来ることを考えてもらえませんか?」という話をされました。実は、僕もちょうど悩んでいた時期だったんです。栃木国体を境にこれからどうしようかなって。だからそのお話を聞いて、かなり悩みましたね。通常だとそういうお話をいただいて、次の話では条件提示をされる。そしてイエスかノーじゃないですか。
宮本 はいはい。
山田 ただ、その前後ぐらいでサンロッカーズも日立からセガサミーにオーナーが変わったり、内部での体制変更もあったりしたみたいでクラブとして色々と転換期を迎えていたそうなんです。最終的には条件提示の前に流れてしまった。声をかけたのにごめんなさいってなっちゃったんですよ。
宮本 なるほど。
山田 ただ僕の個人的なところで言うと、ブレックスに残るか移籍をするのか。本当に半々でものすごく悩んでいて、その時間が苦しすぎたんです(笑)。逆にごめんなさいと言ってもらえたことで、「よし、ブレックスでやっていくんだ」ってなったので、気持ちがすごくスッキリしました。
宮本 またブレックスで頑張ろうっていう。ある意味清々しい気持ちというか。
山田 そうです。ただ僕は栃木県出身なんで、周りのチームの方々からするとブレックスを出るとは思ってなかったらしいんですよ。
宮本 いや、僕も思ってなかったですよ! だって山田さんの名前はどの時代のブレックスを見てもどこかしらにあるじゃないですか。それこそJBLのときから。
山田 あー、そうですね。JBLでブレックスが初めて優勝したとき。川村卓也選手(新潟アルビレックスBB)がブザービーターで優勝した次のシーズンから在籍していたので。(2010年7月入社)
宮本 ブレックスにいた選手とか、関わりのあった人はみんな山田さんを知っています。だから、僕も出るとは思いませんでした。
山田 そうなんですよね。そう思われてなかったので、松岡さんに声をかけてもらったからか、「いや、そんなことはないんですよ」って言う機会は増えました。そしたら口頭レベルですけど、いろいろお話をいただくようになって。
宮本 ユース界隈で他にもオファーがあったっていうことですか?
山田 口頭レベルですけどね。ありがたかったです。ただ年齢もそうだし、地元が栃木で親も栃木にいるので、行くなら関東かなって思いながら、いろいろ考えるようになりました。Bリーグができて、Bユースができて、やっぱりユースで何かを成し遂げたいという思いも強くなった部分もあります。ブレックスユースで成し遂げるんだっていうビジョンも持ちながらも、ブレックスユースが良くなるためにはユース全体が良くなる必要性があるんじゃないか……とか。そうなると移籍も必要なのかもしれない。ただ、これがおそらく最後の転職だろうし、地元を出るという意味でもかなり悩みました。気づいたら、いろんな視点で考えていましたね。
宮本 そこで渋谷が2度目のオファーをっていうことですよね?
山田 そうですね。2度目のオファーが去年の秋ぐらいでした。松岡さんから、「恥を承知で、もう一度声をかけさせてください」と。分かりましたとお答えして、面談を受けて、今度は順調に進み条件が出てきました。前回も悩んでいたのに、正式にオファーをもらうとまためちゃめちゃ悩んで(笑)。ブレックスのU15でジュニアウインターカップ(1月開催)に出ることが決まっていたので、僕がモジモジ悩んでると、子供たちにもスタッフにも申し訳ない。だから、そこまでにはクリアにさせようと思っていましたね。
宮本 それで結果的には、サンロッカーズ渋谷に行こうと。
山田 そうですね。年末年始の時間を使って家族や親にもちゃんと報告しました。
宮本 読者の方がどうかわかりませんが、選手が移籍で色々と悩むことはイメージできると思います。でも、スタッフが移籍をするのに悩むっていうのは、あまり表に出てこないじゃないですか。何が一番引っ掛かったんですか?
山田 僕は2つありました。1つはやっぱり地元を出るということ。これは自分が思っていた以上に抵抗がありましたね。もうひとつはずっとバスケ業界にいた中で、自分がより成長できるチャンスであったり、チャレンジできるチャンスが広がった。もちろん地元であるブレックスへの想いはずっと変わらないんですけど、先ほども言ったようにチャレンジすれば何かを変えられるかもしれないという環境に、業界自体が変化してきたことは大きかったですね。
宮本 環境が10年前とは全然違いますもんね。関わっている子供たちへの思いなどはどうですか? 僕もU15とかU18のコーチをやっていたときに、何度かやめようと思ったときに、「やめたらこの子たちはどうなるんだろう」と思ってしまって……。
山田 そうですね……確かに。それは僕もかなりありました。
宮本 さっきの話になりますけど、業界が大きくなっているとはいえ、ユースは人が足りない状況なのは事実です。ただ、辞めても結局はなんとかなるんですけど(笑)。ある意味、トップよりもいろんなことを考えてしまうのが育成年代に関わる人の悩みな気がしています。
山田 確かに、そうかもしれないですね。
宮本 自分が抜けたらこの子たちはどうなるんだろうな……。自分がいい存在だったかはわからないけど、次にちゃんと人が入ってきてくれるかな……とか。
山田 そうですね。僕もいろんなことを考えて悩んだので、苦しかったんですけど、決断してからはこの選択が良かったと思えるようにしようと思いました。1回目にお誘いいただいたときとはまた違う形で、スッキリとしたところはありましたね。
U18にはチームのロールモデルになってほしい
宮本 サンロッカーズ渋谷のユースディレクターとして移籍を決断します。移籍してきて、驚いたところや発見などはすでにありますか?
山田 今までは栃木で活動していた中で、圧倒的な違いとメリットがいくつかあります。まずはシンプルに人口が多いことですね。だから、めちゃくちゃ埋もれている選手がいる。この間も都内に200cmの高校生がいると言われて、本当かよって思ったんですけど。
宮本 え?!
山田 いたんですよ! 200cmの日本人で高校からバスケットを始めた子が(笑)。栃木だったら、絶対に注目が集まっているんです。東京にはそういった埋もれている選手がたくさんいるので、見つけるためのアンテナだったり、選手を見る目をもっと養っていかないといけないと感じました。あとは大学の付属高校がたくさんあるので、進路の選択肢が多いところはうまく絡めていきたいと考えています。実際にサンロッカーズ渋谷のユースにも付属の学校に通っている選手は多くいます。中にはその大学に行きたくて付属高校に入っている選手もいると思うので、その大学でバスケットをやりたいから付属高校に入って、サンロッカーズ渋谷のユースに入るというのもありかもしれません。そうなるとこちらとしても進路のフォローが楽になるし、選手もバスケに集中できるのでメリットが大きいと思います。
宮本 確かに。逆に課題であったり、解決していきたいところは何かありますか?
山田 まずは練習場が固定じゃないところですね。千葉さんのロックアイスベースみたいなものが都内にあればいいなと考えています。もしくは、ブレックスのように空き物件を利用したコートを作ってみたいという思いもありますね。あと選手寮ですね。先ほどお話しした通り、都内は進路の選択肢がたくさんあるので、勉強を頑張りたい選手はこの学校がいいんじゃないとか。あの大学の附属はどうだろうなどは進められるんですけど、選手寮がないんですよ。ただ選手寮も練習拠点の近くに作るべきだと思っているので、練習拠点を作ることが先ですね。あと、これは課題というよりも願望ですが、海外へ当たり前に行くような文化も必要だと考えています。今だとアメリカに行くのが主流ですけど、ヨーロッパにもルートを広げたい。東京は空港への移動が楽なので、そういった文化もどんどん作っていきたいですね。
宮本 なるほど。今のはどちらかというと外的要素が多かったですが、内的要素での課題はチームに合流して感じるところはありますか?
山田 それで言うと、サンロッカーズ渋谷のユースの子たちはめちゃくちゃ静かなんですよ。僕が合流して一番最初のミーティングでも全カテゴリーに、「もっと騒いでいいんだよ」という話しをしました。いい意味でやんちゃだったり、騒いだりすることがないんですよね。そこに関しては、ブレックスにいるときから、「サンロッカーズのユースはなんか静かだな」と思っていました。実際にチーム練習を見ていても、U12もU15もU18も淡々とやっている印象です。もちろんコーチ陣は、「声を出しなさいよ」と伝えたり、声を出す大切さを強調しています。元が静かなのか、東京の子供たちの特徴なのか。
宮本 それは僕も感じていました。試合になるとより顕著というか。昨シーズンのU18日清ブロックリーグを取材させてもらったときに感じたのが、飲まれやすいというか……。
山田 あー、そうかもしれないですね。昨シーズンのU18チャンピオンシップでサンロッカーズ渋谷U18対横浜ビー・コルセアーズU18の試合があったんです。結論から言うと横浜が勝ったんですけど、下馬評ではサンロッカーズが優勢と言われていました。TOがブレックスだったので、サポートで後ろに立っていたんです。横浜BCU18は、「絶対に勝つ」みたいな空気感があって、ベンチの盛り上がりは最初からすごかった。一方でサンロッカーズU18はまずい雰囲気になっても、静かだったんですよね。それを見て、「これはまずいかもしれないな」と思いました。案の定、そのままの流れで横浜BCU18ペースで試合が進んで、サンロッカーズU18が負けたんです。本人たちの中では戦ってるつもりなんでしょうけど、こっちからするともっと騒いでいいんだよって。いいプレーがあったら総立ちで盛り上がっていいのになーって。
宮本 すごく納得できます。ちょっと論点がずれますけど、5年前ぐらいの新潟U15が印象的だったんです。それこそDライズにもいた射矢さん(輪島射矢/大阪エヴェッサAC)が新潟にいたときに、よくベンチで射矢さんと優樹くん(佐藤優樹/新潟アルビレックスBB AC)がやっていたパフォーマンスをU15の選手たちが真似していたんですよね。
山田 あー、なるほど。
宮本 同じ場所に座って同じことをやってベンチを盛り上げる。ある意味、地域にチームが1つしかないと、子供たちは憧れの目として見やすいのかなって感じました。おそらくサンロッカーズのユースには昔からサンロッカーズが大好きですという選手は少ないと思うんですね。ポテンシャルは高いけど、トップチームに憧れを持って幼少期を過ごした子は、現状そこまで多くないのかなって。
山田 そうかもしれないですね。それこそU18の選手たちには、「(トップチームがあれだけコートでしゃべっているのに)トップチームに上がりたいと思っている君たちがどうしてやらないの?」という話はしました。特にU18に関しては、彼らが静かだったら下の世代が真似してしまう。やっぱりチームのロールモデルになってほしいですからね。
宮本 ある意味、そこは伸び代ですよね。他にまだ伸ばしていける部分ってありますか?
山田 フィジカルの部分、特に食事ですね。千葉ジェッツU18とリージョナルリーグを戦ったときに、並んだ瞬間から身体が全然違うとなりました。
宮本 サンロッカーズも大きいですよね?
山田 身長はそこまで変わらないんですけど、並んだときの幅ですね。これはまずいなと感じました(笑)。やっぱり、練習が終わった後にトップチームと同じ環境でウエイトができて、それが終わったらご飯も食べられる。これはすごく大事です。
宮本 そうですよね。ゴールデンタイム(運動後30分以内)のタイミングでちゃんと炭水化物を取って、エネルギーを補給する。
山田 そうなんです。うちを含めて大半のチームはそれができないので、補食などでカバーする形になってしまう。 フィジカル、食事の部分はもっと向上させたいですし、改善の余地が大いにある部分ですね。
サイズがなくてもトップに上がれるような育成環境を作りたい
宮本 ユースの素晴らしさを活かしながら、同時に課題を解決していく。そうやって、今シーズンU22枠で契約を果たした大森康瑛選手に続く選手をいかに育成していくか。これはサンロッカーズ渋谷に限らず、他のユースチームも目標のひとつになってくると思います。もちろん現状を続けていくことがベースでありつつ、何が必要だと考えていますか?
山田 大森選手に関して言えばサイズもあったし、英語も喋れるからコーチ陣と直接スムーズにコミュニケーションが取れる。持ち合わせたものと努力したもので素晴らしいアドバンテージを持っていました。彼に関しては僕もサンロッカーズ渋谷に来てから、その凄さを改めて体感しています。その中で、僕はサイズがなくてもトップに上がれるような育成環境を作りたいと思いましたね。
宮本 なるほど!
山田 もちろんサイズがあることは大きな魅力なので、サイズアップも必要です。ただ、小さい選手でもなれるんだという実績を作ると状況が大きく変わってくると思います。ちょっとネガティブな捉え方をすると、「大森だからでしょ」みたいに思っている子どもたちもいると思うんですよ。
宮本 もともと持ってるものが違ったよねっていう。
山田 そうですね。基本的には全ての選手に門が開いていることを理解してほしい。ただ、大森選手がU22枠で契約できたのは、才能とプラスして本人のとてつもない努力があったからです。そこは絶対なんですよね。その中で、河村勇輝選手(メンフィス・グリズリーズ)や富樫勇樹選手(千葉ジェッツ)のような小さい選手がサンロッカーズ渋谷のユースからトップチームに上がれば、もう言い訳ができない。ここに行って頑張ればどんな選手でもトップチームにたどり着ける可能性があるんだっていうのは作っていきたいですね。
宮本 そういう意味では、今の世代には河村選手と富樫選手が身近だと思いますが、僕ら世代でいうと田臥勇太選手(宇都宮ブレックス)がそういった存在ですよね。大学からプロ選手というルートでしたけど、あの年代ではずば抜けたプレーヤーでした。それこそ、彼をブレックス時代に近くで見ていた山田さんだからこそ知っている田臥選手の凄さがあると思います。
山田 田臥選手のすごいところは、自己管理の徹底力です。靴紐の話は有名ですが、練習に対する準備や食事に関してもプロフェッショナルです。それこそラーメンを十何年食べてないと話していました。
宮本 へー!
山田 そういう食事の管理も昔からすごく徹底していました。試合に出ていなくても、ベンチではずーっと喋っています。プレーの部分ではアシストに目が行きがちですが、スティールの感覚がとてつもない。いつも「どこから出てくるの?」って思っていました。
宮本 確かに。テレビ画面で見ていると全体が見えるから、「あ、田臥さんが走ってる」ってなるじゃないですか。僕も取材をさせてもらうようになって、コートエンドとかで見ていると、「え?いつの間に?!」ってなることが多くありました。
山田 何を考えて、どこを見て、判断しているのか。そういった感覚を子どもたちに植え付けられたら面白いんだろうなって思いますけどね。身体のケアとかもすごく時間をかけています。彼を見ていると、考えさせられることが本当に多くあります。
宮本 それこそ川村卓也選手も田臥選手からのパスは一番シュートが打ちやすいって話をしていました。(ダブドリVol.19より)
山田 なんか不思議なんですよね。どんな場面でも、ちゃんとここに(胸元)くるんですよ。間近で見ていたんですけど、どこを見てあんなプレーをしているのか……。これを子供たちに教えたいんだけど、どうしたらいいんだろうなって思って。
一同 ハハハハハ!
山田 そういう選手を作っていかないといけないとは思っています。そのためにはコーチが学べる環境も必要だと思います。その中で、松岡GMはユースのスタッフもいい素材がいれば、トップチームにあげていく文化を作ろうとしています。これもすごく惹かれたところです。
勉強を頑張りながら、Bユースでバスケットボールをやっていく
宮本 いろいろとお話をさせていただきましたが、これからBユースがどうなっていくべきなのか。大森選手をきっかけにバスケットボールシーンがひとつ変わっていくと感じています。それと同時に、Bプレミアが始まってドラフトができます。大学バスケも頑張っています。じゃあユースって何をするべきなのか。改めてそこを示していかなくてはいけないですよね。
山田 そうですね。いろいろと考えることはありますが、個人的にはまずU18のレベルを上げて、トップチームとの差を埋めていく必要があると考えています。先ほども話したように、そことの距離が遠すぎるので、仮にトップチームに選手を送り込めたとしても、「それってパフォーマンスでしょ」って思われてしまうのが正直なところだと思います。
宮本 「トップチームに行けるって見せたいんでしょ?」みたいなことですよね。山田 そうです。そう見られないために、まずはこの距離を埋める必要があります。U18が強ければ、U15やU12にもいい選手が集まりやすくなると思います。あとはU18日清食品トップリーグに呼ばれる最初のBユースになりたいですね!
宮本 そこはかなり大きいですよね。あの大会ができた意義はBユースにとってはかなり大きいと思います。
山田 本当にありがたいです。あとは能代カップとか。ああいう歴史ある大会に呼ばれる存在になりたいなって勝手に思ったりしています。素晴らしい大会ですし、強いチームばかりが集まるじゃないですか。呼ばれないかなって思いながら、まだまだ甘いか、もっと頑張らないとっていう話とかもしてましたけどね(笑)。
宮本 そういった大会に呼んでもらう。そして結果を出す。Bユースだからこそ、プロと同じ考え方だったり、チーム理念、システムで戦っていくバスケットボールで勝っていく。これをどのユースが示していくのか、注目しています。
山田 そうですね。バスケットボールの内容と環境と、あとは進路。先ほども話しましたが、それこそ大森選手のように勉強を頑張りながら、Bユースでバスケットボールをやっていく。これはサンロッカーズ渋谷の強みにしていきたいですね。ただ、同じ地区に國學院久我山さんというライバルがいますけど(笑)。
宮本 文武両道といえば(笑)!
山田 そうですね。でも、文武両道は推していきたいです。
宮本 僕もそこは大事にしてもらいたいと考えています。「ユースってただのプロ育成組織でしょ」って思われてはいけないと思うんですよ。
山田 そうですね。ちゃんと人間を育てたいという思いもありますね。
宮本 そういう意味で大森選手は大きかった。これからのBユースのロールモデルというか。別世界でも生きていけるんだけど、バスケットボールを選んだんですよっていう選手がどれだけ増えるか。これは別にBユースだけでなく、高校部活動にも言えることだと思います。サッカーもそうだったじゃないですか。中田英寿さんや日本サッカー協会の会長をされている宮本恒靖さん、川口能活さんも学力がすごく高くて、サッカー以外でもトップに行けたと思います。そういう意味では、青森ワッツの鍵冨太雅選手やFE名古屋の内尾聡理選手には個人的に注目しています。
山田 いぶし銀ですよね。考えてプレーができるからこそ、チームに必要なことを表現できるという側面はあると思います。別にめちゃくちゃお勉強をしろとは言いませんが、最低限のリテラシーを身につけてほしいし、僕らも指導していかなくてはいけないと思います。
宮本 ありがとうございます。あっという間に時間ですね。今日はありがとうございました。ダブドリvol.21にはU22枠で契約した大森選手とU18のキャプテンの松下湊人選手も登場いただきます。引き続き、ユースも注目させていただきます。
山田 ありがとうございます。よろしくお願いいたします!
ダブドリVol.21 10月30日発売!
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