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僕らにしか伝えられないことがある(後編)

2022年3月13日、デフバスケットボールチーム「ONELYS誠family」が中心となり、様々な人との交流を図るチャリティーイベント「mix plus」が開催された。今回で8回目となるイベントの中心人物が認定NPO法人one-s futureの代表であり、デフバスケットボール日本代表の監督も務める上田頼飛だ。そこにBリーグ三遠ネオフェニックス、デフバスケットボール日本代表としても活躍する津屋一球が加わった。今回は2人にこのイベントの意義とこれからのデフバスケットボールの可能性について話を聞いた。聞き手は宮本將廣。(前編はこちらから)

宮本 今回のイベントについて印象的だったことをお伺いできればと思います。
上田 イベントの時はいつもイベントを通じてスタッフにもたくさんのことを経験してもらいたいと思っていて、今回、コロナで参加者もスタッフもすごく穴があいたんです。そこをみんなが率先してサポートしている姿を見ると、すごく親和性の高い方々の集まりだと思うと同時にイベントが人を育てたところもあるのかなと心が動かされました。あとは先ほどもお話ししましたが、聴覚障害のお子さんがいらっしゃって、ずっとこわばっていたけど津屋一球と出会って、ニコニコして走り回っている姿を見ると、なんかキュンとしましたね。
宮本 津屋選手はイベントに参加してどうでしたか?
津屋 改めて、自分の存在価値を確かめられた場でもあって、もっと頑張ろうと思いました。今回は本当に一部の方達ですけど、もっと日本全体に広がって自分が影響を与えることができればと思いますし、今回のmix plusで思ったことは、バスケをメインに交流する中で色んな方が助け合う場面が見られたがすごくほっこりしました。
宮本 そのお子さんとの交流はどうでしたか?
津屋 そうですね。その子と交流できたことで、目の前で喜んでもらえることは当たり前じゃないんだなと。その子も恥ずかしがりながらも喜んでくれて、可愛らしさもありつつ、自分が人に対して現時点で少しだけでも影響を与えられていることもあるんだなと思うと同時に、もっと頑張らなきゃなと思いました。今、目の前で喜んでくれている人達が僕に会えたことをもっと他の人に自慢できるようにしたいですね。
宮本 なるほど。Bリーグでプレーしている選手も色んな活動をする選手が増えてきた中で、聴覚障害があって、デフバスケの活動にも参加している選手は津屋選手しかいません。上田さんも先ほどおっしゃっていましたけど、厳しい言い方をすれば、聴こえない以外は健聴者と変わらない人が多い中で、同じような境遇の選手が津屋選手に続いてきてほしいみたいな気持ちはありますか?
津屋 もちろんあります。僕以外にもそういう選手が増えてくれれば、バスケットが盛り上がる要素の1つになるはずです。ほかのBリーガーはやろうと思ってもなかなか活動しづらいこともあると思います。その点僕は自分の特性を生かしてこういう活動をできているので、他の選手が僕をうまく使ってくれてもいいと思っているし、何なら一緒にやっていきたいです。
宮本 昨年の和歌山の断水の時に、東海大学の後輩達が支援をしてくれたようですが、それは津屋選手の働きかけがきっかけだったと伺いました。
津屋 上田さんから連絡をもらって、SNSでも発信をしていたので、僕も何かしたいと思って、それをSNSにアップしたら東海の後輩達が「俺らも何かするよ」と言ってくれました。すぐに地元のスーパーに言って、物資を送ってくれて、初めて近くにそういう考えを持った選手がいることを知ったんです。すごく嬉しかったですね。その時に改めて僕から色んな発信をしていけたらと思いました。
宮本 上田さんはそういう支援の輪がさらに広がった時はどんなお気持ちでした?
上田 若い子たちの行動は素晴らしいですよね。そして、その行動が生まれたのは津屋が後輩たちの心を育てたからだと思うんです。以前からそういう活動をしていることを知っているから、何かあった時に協力したいなという仲間意識が生まれているから、そういう行動になったのかなと思いました。

津屋_集合写真

宮本 昨年開催予定だったデフリンピックのブラジル大会が今年に延期になりました。バスケットボールの出場権はどのように得られるものなんですか?
上田 アジア選手権で2位までに入ったチームが本大会に出場可能となっていて、今回に関してはまずアジア大会が香港の暴動で延期になり、コロナで再び延期になった結果、アジアのチームが日本と香港だけになってしまったんですが、開催地のブラジルでコロナなど、今すごく大変なので日本も辞退させていただいたんです。
宮本 そうなんですね。
上田 今は2025年のデフリンピックを日本が招致しています。そこに集中してやっていこうと思っています。
宮本 デフリンピックはパラリンピックよりも歴史がありますが、パラリンピックよりも認知されていないのが正直なところだと思います。今回の東京オリンピックやパラリンピックを通じ、僕らも色んな競技や選手を知ったように、この2025年のデフリンピックは各競技、聴覚障害のあるアスリートの皆さんにとってもすごく意味のある位置付けになると思いますが、そこに向けてのお気持ちをお聞かせいただけますか?
上田 認知度が低いのは本当に競技人口が少ないのもありますし、単純にコミュニケーションがスムーズにいかない部分が影響しているのか、メディアを含めた色んな方とのやりとりが滞っていることが多いように感じています。僕としては2025年のデフリンピックでデフバスケの監督になってちょうど10年くらいになります。個人的に10年監督はダメだと思っていて、前理事長の篠原雅哉さんに前大会が終わった時に「新しい人を立てた方がいい」とお話をしたんですけど、「国際大会を積み重ねて来た中での集大成を見せてほしい」とおっしゃっていただきました。また津屋一球もBリーグでやりつつ、デフバスケも頑張りたいと言ってくれたので、2025年までは今の体制で頑張らせてもらうことにしました。その後は僕らも自分の事業を頑張って、デフバスケのスポンサーになりたいなと思っています。「10年前はこんなだったね、がんばれ!」と観客席で言いたいですね(笑)。
宮本 津屋選手はどうですか?
津屋 上田さんが積み上げてくれたものでもあるし、僕自身も2025年のデフリンピックはデフバスケの集大成にしたいです。だから結果はもちろんですが、色んな人に見てもらえるように今、頑張りたいと思っています。2025年に結果を残すことはデフバスケが広がるひとつの理由にもなると思いますし、僕自身を色んな世界の人達に知ってもらうチャンスでもあると思うので、楽しみですね。
宮本 津屋選手に関してはBリーガーとしてもプレーをしています。2016年にはU18、2017年にはU19の日本代表としてワールドカップにも参加されました。その時はあまりプレータイムがなく、悔しい思いをしたかもしれませんが、これからA代表を目指すことは、デフバスケ界を含めても希望だと思います。そこに対してはどのような気持ちを持っていますか?
津屋 そうですね。U18、U19であまり試合に出られず、大学でも代表活動にはあまり絡めなかった中で、Bリーガーになってもう一度日の丸を背負いたいという気持ちは強くなりました。まずは日本代表の候補に選ばれることにフォーカスしています。
宮本 デフバスケとBリーグの二軸でいくことは、僕も含めファンの方にとって、すごく励みになるというか嬉しいことだと思うので、ぜひA代表の座を狙ってほしいです。上田さんはそこに対してお考えとかありますか?
上田 2025年が集大成ということを言っていたんですけど、僕の中では正直どっちでもいいというか。今はデフバスケの普及のために「デフバスケの津屋」と言っていますけど、そもそもは津屋一球という人間なんです。だから分ける必要はないと思っていて、宮本さんがおっしゃったようにそれまでに両軸を立てていく。そしてBリーガーの津屋、デフバスケの津屋ではなく、「津屋一球」として多くの方に知ってもらうことが大事だと思います。それに津屋は世界と戦った経験の中で、どうやったら世界で通用するのかを理解していて、身体作りとかもすごく頑張っていると思っています。今、国内では速い人が優先の感じがありますけど、本気で国際大会で戦うとなった時は津屋のような選手が必要やろ、と阪神巨人戦を見ているおっちゃんみたいに見ています(笑)。
宮本 ハハハハ。なるほど。津屋選手だからこそ届けられるメッセージがあって、社会を変えていくきっかけを作れるとすごく感じるので、これからも応援しています。
上田 あとはデフバスケの活動を統合していく中で、ワンリーズ和歌山を立ち上げたことはすごく珍しい活動だと思います。津屋も関わってくれているので、ぜひそのあたりも注目してもらえたら嬉しいです。

津屋_logo

ONELYS wakayama(ワンリーズ和歌山) HP

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