稲井桃子 ―Last Message― #1
「好きなバスケットボール選手は?」
こう問われた時、あなたは誰を思い浮かべるだろうか。
僕は迷った末にこの選手の名前を答える。
「稲井桃子」
その並外れたパスセンスで多くのファンを魅了した彼女は昨シーズン終了後、静かにコートを去った。プレースタイルとは裏腹に素朴でもの静かで、けれど凛と咲く一輪の花のように強い意志を持つ彼女が、引退を経て思うことは……。応援してくれたすべての方に送る、稲井桃子のラストメッセージ。
「もっと練習しなきゃ」という葛藤
宮本 バスケットボールから離れてみて、今はどんな気持ちですか?
稲井 なんて言うんだろう、肩の荷が降りた感じです。両親がミニバスのコーチをやっていて、兄2人も姉もバスケをやっていたので、物心ついた時からバスケをしていました。バスケから離れたのは本当に初めてですね。
宮本 Wリーグの選手だった頃は毎年4月くらいにシーズンが終わって、6月くらいから次のシーズンに向けてトレーニングをするというサイクルで過ごしていたと思います。今はどんな感じで過ごしているんですか?
稲井 今はバスケから離れてのんびりしています。でも、ふと「何しているんだろう」っていう気持ちにはなっちゃいます。今までは目標があって、それに向かって毎日練習をしたり、チームのことを考えたりしていたので、今の状況に違和感をもつことはあります。「目標を持って何かをやらないといけないんじゃないかな」っていう……不安ではないですけど、漠然と考えちゃうことはあります。
宮本 今の話を聞いてて思ったんですが、女子バスケは男子バスケに比べると練習量も多いイメージです。現役時代は「もっと練習しないと」って感じていたりしたんですか?
稲井 感じることはありました。デンソーで最後の2、3年はブラダ(ヴラディミール・ヴクサノヴィッチ/デンソーアイリスHC)とマリーナ(マリーナ・マルコヴィッチ/同アドバイザー)がヘッドコーチだったんですけど、練習の取り組み方が変わりました。ちゃんとオンオフを切り替えて、やる時は集中してやるという感じで、最初は「これで大丈夫なのかな」「練習量が足りないな」と感じて、結構不安でした。だから自主練を増やしたりしていたんですけど、必死にやるだけじゃなくて、そもそもバスケを楽しむとかバスケ以外にも趣味を持つ大切さとかは学ばせてもらいました。でも、そう思いつつも「もっと練習しなきゃ」とか、そういう思いもなくなったわけではなかったので、そこは葛藤しながらやっていましたね。
宮本 外国人ヘッドコーチになる前はどんな感じだったんですか?
稲井 それまでシーズン前に北海道の北見までトレーニング合宿に行ったりしてて、本当にきつかったんですよ(笑)。そこには戻れないです(笑)。
一同 ハハハハハ。
宮本 ちなみに趣味とかあるんですか?
稲井 ないです! なくて困っていました。韓国ドラマとかアニメが好きなので、それを見たりもしてましたけど、あまりチームメイトと出かけるタイプでもなくて、割と一人が好きなんです。一人でフラフラして、買い物したりしていました。でも、キャプテンになってからはコミュニケーションを大切にしようと考えていたので、昔よりは後輩とかとご飯に行ったりするように変わりましたね。
宮本 現役の最後の方はキャプテンを務めていました。やっぱりチームのことを考えることは増えましたか?
稲井 そうですね。3年前、キャプテンになった頃に、金沢総合高校の先輩でデンソーでも先輩の小畑亜章子さんがアシスタントコーチで来られて、色んな話をしてもらいました。私は基本的に自分のことしか考えてなかったんですけど、小畑さんから「チームを良くしていくために、あなたが変わらないといけないんだよ」ってよく言われました。最初は本当に意味がわからなくて、「何言ってるの、この人」って思っていたんですけど(笑)、教えてもらったことを私が実践するとチームも良くなっていくのが分かったし、本当に小畑さんの存在は大きかったです。
アシストと得点の間で揺らいだ気持ち
宮本 たまたまかもしれないですけど、3年前くらいから僕の感覚では稲井さんのプレーが変わったなと感じていました。ネガティブなんですけど、あまり楽しくなさそうというか(笑)。
稲井 あー(笑)。
宮本 もちろん能力としては上がっていたし、チームも準優勝したりしていましたけど、稲井桃子という「個」とキャプテンとして「チーム」の間で葛藤しているのかなと感じていました。
稲井 それは正直ありました。現役最後の2年間は本当に葛藤していました。今までは求められていなかったことを求められて……。選手である以上はヘッドコーチから求められていることをやらなくちゃいけない。でも、それは自分の強みとしていることとは全く違うことで、自分は何ができるんだろう……。やらなきゃいけないことはもちろん明確で、こういうプレーをして欲しいと言われていて、でも……っていうことがすごくありました。選手である以上は試合に出ないと意味がないと私は思っているので、ヘッドコーチの期待や要求に応えようと最後の2年間は必死にやっていましたね。
宮本 それはヘッドコーチからすると「これができたらもっと選手としてよくなるよ」っていうことだったんですかね?
稲井 そうですね。だからトライしてほしいって。特にディフェンスのことだったんですけど、もちろんガードの背中を見てチームのみんながディフェンスをしているので、やらなくちゃっていう責任感はありました。
宮本 でも、どちらかというとオフェンスに振り切っているタイプでしたよね?
稲井 フフフ。オフェンスが好きです。オフェンスでは得点を取ることよりもアシストが大好きなんですけど、最後の方は得点を取ることも求められていましたね。
宮本 僕は稲井さんのアシストが大好きなんですけど、現代バスケはスコアリングガードが増えてきて、バスケの進化に対して争うじゃないですけど、難しさはあるじゃないですか。
稲井 難しかったです。普通は得点を取ることが楽しくてバスケットをやると思うんですけど、私は本当に0点でも10アシストの方が嬉しいタイプなんですよ。
宮本 僕も全く同じタイプです(笑)。稲井さんの強みがアシストでした。ただ、さらに良くなっていくために得点も狙いましょうっていう流れになった、ということですよね。
稲井 はい。でも個人的にターンオーバーもしたくないと思っていたので…… 難しかったですね。
宮本 なるほど。トライすればターンオーバーが増えるわけで、そこの葛藤もあったわけですね。
稲井 そうなんです。毎試合ダブルダブルを目指してプレーしていました。
宮本 いきなりすごい話になった(笑)。
稲井 (笑)。でも、それを言われたタイミングはヘッドコーチがブラダに変わった時なんです。ブラダからも「ディフェンスよりもオフェンスにフォーカスしてほしい」って言われました。そこからは得点を取る楽しさを知りましたね。あと、やっぱり得点を取った方が評価もされるし、成長も感じられたので自分としても嬉しかったです。それが……3年前か。でも、スタッツを見てアシストが少ない時はちょっとショックだったりしました。本当に色んなことが難しかったです。得点は取れるようになってるけど、アシストは減っちゃうんだな……って。最後の3年間は嬉しかったり悲しかったり、毎試合色んな感情がありましたね。
取材・文・写真=宮本將廣
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