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『ダブドリ Vol.17』インタビュー03 エヴァンス・ルーク(ファイティングイーグルス名古屋)

2023年5月12日刊行の『ダブドリ Vol.17』(株式会社ダブドリ)より、エヴァンス・ルーク選手のインタビュー冒頭を無料公開します。

2021年11月、日本代表の候補のリストに珍しくB2チーム所属の選手が名を連ねていた。新たに日本人に帰化したエヴァンスルークだ。国籍を変えるという、人生において難しい決断である帰化申請を終え、バスケットボールキャリアが大きく変わったそんな彼を、彼のことを昔からよく知る及川啓史が直撃した。(取材日:2月7日)

Interview by 及川啓史/photo by 三浦雄司

代表選手としてプレーできることはとても誇らしい。

及川 まずは自己紹介をお願いします。
ルーク エヴァンスルーク、カリフォルニア出身の31歳。最初にバスケットボールをプレーしたのは3から5歳くらいの頃かな。2人の兄がいて、彼らがやっていたから兄たちのようになりたくて外で一緒になってプレーし始めたんだ。ちゃんとチームでプレーするようになったのは1年生の時で、父がコーチする5年生のチームと一緒にやっていた。
及川 大学卒業後はコロンビアでキャリアを始めたわけだけど、その後どうして日本に来ることになったの?
ルーク LAのサマープロリーグでプレーしていたら、それを見たエージェントが話しかけてくれて、日本で僕のようなプレーをする選手を探しているチームがいるって教えてくれたんだ。それが契約に繋がっていった。
及川 来る前から日本について興味はあった?
ルーク 寿司とポケモン以外、あまり知識はなかったね(笑)。
及川 最初に会ったのっていつだっけ? 東京エクセレンス(現横浜エクセレンス)?
ルーク 3x3をやってた時だと思うな。レノヴァ鹿児島(現レブナイズ)2年目の夏に3x3を始めて、それからエクセレンス入りしたから。
及川 その後は金沢(武士団)だよね。あまりプレータイムがもらえなくて、フリースローに苦しんだりもしていたけど、覚えてる?
ルーク もちろん覚えてるよ。金沢に入ったんだけど、彼らが求めているような選手像は僕が提供できるようなスタイルではなかったんだ。プレーし始めてから、彼らはよりウイングタイプの選手を求めていたことがわかってね。結局その後、ユーロの3、4番の選手を獲ったんじゃないかな。それでリリースされ、アースフレンズ東京Z(以下アスフレ)に移籍した。
及川 アスフレではプレータイムや得点も伸びていったよね。その後、越谷アルファーズ、豊田合成スコーピオンズを経て、B1の島根スサノオマジックと契約。
ルーク あれは新型コロナウイルスの影響が大きかったね。コロナで多くのチームが海外の選手を獲得できないっていう状況で、すでに日本にいたことで起用してもらえたんだ。
及川 そしてベルテックス静岡に入って、2021年、帰化申請が通って日本国籍取得が認められる。ファイティングイーグルス名古屋と契約し、日本代表にも選出された。初めて呼ばれた時はどんな気分だった?
ルーク 最初は驚きが大きかったかな。選択肢として検討されていることすら知らなかったから。コーチ(トム・ホーバス)と話し合って、どういった理由で選出したのかを確認したよ。彼はいわゆる伝統的な、ポストアップをたくさんするセンターではない選手を求めていた。さらに、今まで代表でプレーしていた帰化選手がなぜか参加しないという流れにも助けられて選出された。代表でプレーするのはとてもクールな経験だね。帰化したことで、日本は僕にとってもうホームになった。その代表選手としてプレーできることはとても誇らしい。
及川 ルークが代表に選出されたっていうニュースが出た時、西山(達哉、ルークのアスフレ時代のチームメイト)と一緒にいて、すごく喜んだんだ。それと同時に、日本代表選手になってものすごく偉くなっちゃうから、もう一緒に飲みに行ったりしてくれないんじゃないかって心配したよ。
ルーク それはないよ(笑)。
及川 でも僕らの仲間の中からそういった選手が出るのはすごく嬉しいことだった。

友人たちと話したり、自由に何かできるようになりたくて日本語を勉強するようになった。

及川 帰化申請についてちょっと聞かせてくれるかな。以前、ミックスの選手を2人、外国籍選手を2人、そして帰化選手を1人起用したラインナップを見て、ツイッターなんかで「日本人いないじゃないか」「ずるい」みたいな批判的な声が多く出たことがあったんだ。それってすごく敬意を欠く発言だなって感じて。日本国籍になるっていう大変さ、どれだけ難しい決断なのか、家族の想い等、是非もっと多くの人に知ってもらいたいと思ったのが、このインタビューをしたいと思ったきっかけなんだ。
ルーク ありがとう。
及川 ルークが帰化申請をしている段階で、一度君のお父さんと食事に行ったことがあって。なんでだったかは忘れたけど(笑)。その時に、息子が日本人に帰化しようとしていることについてどう感じているのか聞いたら、「やっぱり複雑ではある」って答えていたんだよね。でも、「最終的には彼がどこでどうプレーしていようが、自分の息子であることには変わらない」って話していたのがとても印象的だった。
ルーク 父さんはそういうタイプだね。
及川 エクセレンス時代から、君は日本語の学校に行ったり、必死に勉強していたりして、早い段階から日本の文化に馴染もうとしていた。だから、多くの帰化選手がいる中でも、君の話が一番面白いかなって思ったんだ。初めて帰化しようと思ったのはいつだった?
ルーク エクセレンスにいた頃はまだそんなに考えていなかったけど、時期がくればしてみようかなという気持ちが、頭の中のどこかにはあったかもしれない。当時は、日本にいるのに会話ができないことがもどかしかったんだ。アメリカ人のチームメイトや通訳を介して人と話すことはできるけど、自分ひとりでも友人たちと話したり、自由に何かできるようになりたいなっていう気持ちが強くて、それで日本語をとても勉強するようになったんだ。それが全てのきっかけかもしれない。
及川 なるほどね。
ルーク 自分で色々とできるようになってから、日本での居心地の良さだったり、日本への愛情だったりがどんどん深まっていった。気付けばもう日本に来て10年目だ。もう日本は自分にとってホームだよ。大人になってからの人生はずっと日本で過ごしているわけだからね。確かにアメリカで過ごした年数の方が長いかもしれないけど、いたのは大学まで。子供から大人に変わり始めるのってその辺りで、そこからコロンビアにも少し行っているけど、ほとんどが日本で過ごしている。
及川 最初にルークから帰化について聞いたのは、確かTACHIKAWA DICE(3x3チーム、ルークは2016年に入団)にいた時だったと思う。それからだいぶ時間が経ったよね。
ルーク 帰化申請はとにかく時間のかかるプロセスだからね。
及川 どういうプロセスなのかな?
ルーク 確か、最初に帰化申請を試みたのはアルファーズにいた時だと思う。だから4、5年前かな? 申請書を準備して提出した。でも、日本に来て5年目だったんだけど、最初の1年目がカウントされなかったんだ。なぜなら1年目はNBDL(当時の日本の2部リーグ)でプレーしていて、シーズンが5ヶ月ぐらいで、日本にいたのは実質7ヶ月ぐらいだった。帰化申請のルール上、90日以上出国していると1年としてカウントされなくなる。
大柴 90日!
ルーク その年は申請することを諦めて、翌年また最初から申請をやり直した。よく「そんなに難しくないでしょ」なんて言われるけど、とても大変なんだ。まず提出する書類の量が物すごく多い。自分の出生証明書だけではなく、親と兄弟の出生証明書、国籍を変更することを親が承認しているかどうか、税理関係の書類を山ほど。2回目の申請では、税理関係の書類を集めるのに苦労したよ。まとまった時間を作って取り組まないと厳しいから、その時間がなかなか取れずどんどん長引いていった。
 多くの人にとって一番難しいのは日本語の試験に受かることかもしれないね。日本語でのインタビューがあって、筆記試験もある。僕はその時点で2年ぐらい日本語を勉強していたから有利だったかもしれない。

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