佐藤奈々美 ―Last Message― #1
彼女が描く放物線はどんなときも美しかった。
ふとしたときに見せる遊び心を感じさせるパス、
仲間を助ける気の利いた動きには優しさと親しみを感じた。
「佐藤奈々美」
誰にも見せることのなかった葛藤、それを乗り越えるために続けた努力。
気づけば日本代表ヘッドコーチの目に留まるほど彼女を成長させた。
美しさと力強さを兼ね備えたユーティリティプレーヤー。
佐藤奈々美のラストメッセージ。
生まれたときからバスケがあった幼少期
宮本 現役生活お疲れ様でした。
佐藤 ありがとうございます。
宮本 今回は佐藤さんのバスケキャリアを可能な限り伺っていきたいと思っています。まずはバスケを始めたタイミングときっかけを教えてください。
佐藤 バスケは小学校1年生から始めました。兄が2人いるんですけど、2人ともバスケをやっていて、両親もバスケをやっていたので、やらざるを得ないというか(笑)。
宮本 じゃあ、記憶があるときから体育館とバスケが存在しているタイプ?
佐藤 そうです(笑)。それこそ兄の試合にはいつも一緒に行っていました。
宮本 お兄さんは何個上なんですか?
佐藤 9個上と7個上です。
宮本 それは可愛くて仕方ないな(笑)!
佐藤 ハハハ。そんな末っ子です。
宮本 バスケをやるのが必然みたいな環境で育って、「本当はこれをしたかったんだけどな」みたいなことはなかった?
佐藤 なかったですね。家に帰ってもNBAが流れていたし、バスケをやるという感覚しか(笑)。
宮本 お兄さんの年齢を考えると、NHKBSでNBAがやっていた時代かな。
佐藤 そうですね。家に帰ると父と兄がNBAを見ているから、見たいテレビが見られない。だから、私も仕方なくNBAを見るって感じでした。チャンネルを選ぶ権利はなかったですね(笑)。
宮本 それは僕も全く一緒だな(笑)。そうやって当たり前にバスケを始めて、経歴を見ると上磯ミニバスに入りますよね。小学校のときはどれぐらいの成績だったんですか?
佐藤 全然です。自分の代で1回だけ地区のベスト8に入ったぐらいですね。
宮本 あそこは何地区になるんだ?
佐藤 渡島地区っていうのかな。
宮本 全道(北海道大会)によく出てくるのが?
佐藤 あさひ駒場とか…‥。
宮本 あー、はいはい! 駒場とやったなー。それこそ僕はミニバスのときに、全道で駒場に負けて終わったから(笑)。
佐藤 そうなんですね。駒場は女子も強かったけど、男子も強かった気がします。上磯は男子がまあまあって感じで……女子は全然でしたけど(笑)。
宮本 そのまま学区内の中学校に上がっていく?
佐藤 そうですね。浜分中学校に進学してバスケ部に入りました。
宮本 中学のときは北海道選抜に入っていないですもんね?
佐藤 入っていないです。函館選抜止まりでした。
宮本 中学のときはどれぐらいまで行ったんですか?
佐藤 渡島地区では1位だったんですけど、渡島地区の1位と函館地区の1位が戦って、勝った方が全道に行くんですよ。
宮本 あ、それは大変だね(笑)。
佐藤 そうなんですよ(笑)。そこで負けて、全道はいけずに終わりました。
山の手って言われて、「どこ?」ってなった
宮本 そこから北海道の強豪山の手高校に進学します。山の手を選んだ理由はなんですか?
佐藤 中2の終わりぐらいに親が離婚して、母と2人暮らしをしていたんです。当時、兄が札大(札幌大学)に通っていたんですけど。
宮本 へー、バスケ部?
佐藤 バスケ部でした。2人とも函館有斗から札大に行って……。
宮本 え?! さとう……。
佐藤 はい、佐藤軍平と佐藤純平って。
宮本 え、佐藤軍平くんの妹なの?!
佐藤 え、知ってるんですか(笑)?
宮本 知ってるよ!! 佐藤軍平くんとタメです(笑)。
佐藤 えー(笑)!
宮本 あ、そう……妹さんで(笑)。
佐藤 はい、軍平の妹です(笑)。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
佐藤 兄は2人とも札幌で働いていたんです。金銭的にも厳しかったので母が、「高校を卒業するまで一緒に住んでくれないか」って兄にお願いしていたみたいで。兄がいいよって言ってくれて、そのときに「札幌でバスケをするなら一番強いところでやったほうがいいんじゃない?」って母に言われたんです。私はそんなことをまったく考えていなかったし、地元の高校に行って、私も札大に行きたいなーって感じで。
宮本 なるほど。
佐藤 そしたら兄が知り合いを経由して、当時山の手のアシスタントコーチをしていた船引まゆみさんに話をしてくれて、そこから上島さん(上島正光/山の手高校監督)に話してくれたんです。「一回練習に来てみて」って言われたので、練習に参加したらオッケーってことで、山の手に入学することになりました。
宮本 それが中学3年生のときですよね? 当時の高校3年生が?
佐藤 萌映子さん(長岡萌映子/ENEOS)です。
宮本 うお……それは……(笑)。
佐藤 今はめちゃくちゃ優しい先輩ですけど、当時は何も知らなったので本当に怖かったです(笑)。中3と高3がペアを組んで練習していたんですけど、なぜか私のペアが萌映子さんだったんですよ。もう圧倒されちゃって(笑)。
宮本 会話した記憶とかはあるの?
佐藤 「お願いします」って話したぐらいですね(笑)。オールコートの1対1があるんですけど、最初はドリブルをつかないでやるんですよ。私がオフェンスで走り出したら、萌映子さんが正面に入ってきてぶつかったんです。上島さんが、「はい、チャージング」って(笑)。中学の頃はオフェンスチャージングってそんなに取られることがないじゃないですか。もうびっくりしちゃって、練習したくないなって思いました(笑)。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
宮本 長岡選手のことは知っていた?
佐藤 本当に申し訳ないんですけど……知らなかったです(笑)。本当に何にも知らなかったんですよ!
宮本 当時は町田選手(町田瑠唯/富士通レッドウェーブ)とか本川選手(本川紗奈生/デンソーアイリス)とか、それこそ高田AC(高田汐織/日立ハイテククーガーズ)の世代が全国優勝をして、北海道がバスケで盛り上がっていました。そのときの2年生エースが長岡選手っていうことも知らず?
佐藤 はい(笑)。本当に何も知らなくて、なんなら山の手の存在も知らなくて、母と兄から山の手って言われたときに、「どこ?」って感じでした。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
宮本 札幌の高級住宅街ですよ!
佐藤 確かに(笑)。何も知らずに入ってみたらもう……大変でした(笑)。
山の手に入ったら北海道選抜ばっかり
宮本 結果的に山の手に入学することになって、齋藤麻未選手(今シーズンより日立ハイテククーガーズ)とかと出会う感じ?
佐藤 そうですね。中学のときに北海道選抜のセレクションには行っていたので、同世代で誰がすごいかはわかっていたし、齋藤のことも知ってはいました。それで言うと、北海道選抜のセレクションで受けた衝撃は今も覚えています。みんなの向上心というか、「絶対に北海道選抜に入りたい!」みたいな感じがものすごく伝わってきて。その中でも西尾友歩(札幌山の手同期)の向上心がすごくて、「この子たちとは熱量が違う」って思っていたのに、山の手に入ったら北海道選抜ばっかりでした(笑)。
佐藤・宮本 ハハハハハ。
宮本 でも、結果的には佐藤さんは1年生からプレータイムを得ました。当時の僕の印象だと、「この子は何番の選手なんだろう」って感じで。ある程度のサイズがあるけど、シュートも上手くて得点が取れる選手なんだなーって。高校のときはどういう役割を担っていたんですか?
佐藤 私たちの学年は人数も多かったし、アウトサイドのシュートが上手な選手も多かったので、私はインサイドでプレーをすることが多かったです。あの時代はハイポストにフラッシュして、ボールを受けたらハイローを狙う。そのどっちかでプレーすることが多かったですね。
宮本 齋藤選手もすごく器用な選手じゃないですか。彼女はチームに1人はいてほしいタイプだと思っているんですけど、彼女とのバランスはどんな感じだったんですか?
佐藤 1年生のときは齋藤と私が4番、5番で出ることが多かったですね。上島さんからも、「2人でハイローをやりなさい」って毎試合のように言われていました。練習のときもハイポストに入れて、ローポストを狙うっていうパスの練習を2人でよくしていましたね。
宮本 2人とも結構トリッキーなパスを出すじゃん?
佐藤 はい(笑)。
宮本 佐藤さんに関しては、子供の頃からNBAを見ていたっていうところが繋がるのかもしれないけど、あの空間が見えているパスは山の手の頃からやっているイメージが強いんだよね。どこで培われたスキルなんですか?
佐藤 私は小中とそこまで強くないチームだったので、ポジションがなくて本当に全部やっていたというか。だからいろんなプレーをしていたんですけど、パスに関しては……なんか調子こいてるみたいになりますけど、練習はしてないです(笑)。
宮本 ハハハハハ。
佐藤 「あ、空いてる」って思ったら、「このパスだ」っていうのがパッて出てくるというか。あとは上島さんがそういうパスを見本で見せてくれていたので。
宮本 あー、なんかそれは町田選手も言ってたな。ビハインドパスとかもどんどんやりなさいって。
佐藤 そうです。おしゃれパスはどんどんやりなさいって感じで、上島さんも手本を見せてくれるんですよ
宮本 上島さんってバスケうまいんでしょ?
佐藤 うまいです。今でもたまに手本を見せたりしてますけど、パスはめちゃくちゃうまいです。2対1のパスドリルがあるんですけど、「そんなパスじゃダメだ」って言いながら、上島さんが実践してくれるときがあるんですよ。そのときにディフェンス役を指名して、「パスを取ったらなんかやるからな」って。でも、私は上島さんのパスをカットしたのは、3年間で齋藤の1回しか見たことがないです。うますぎて誰も取れない(笑)。
宮本 何がうまいの? ちゃんと顔の横にパスを通してくるとか?
佐藤 そうです、そうです! あとはノールックパスとか、フェイクがうまくて反応したらもう逆にパスが出ているんですよ。本当にうまいんです!
何かを変えないと必要とされる選手にはなれない
宮本 高校時代は1年生から試合に出て、2年生のときにはチームの中軸を担っていきます。そうなると責任感とか取り組み方にも変化が出てくると思うんですけど、上島さんに何か言われたりとか、チームとしてこうやっていこうみたいなことはあったんですか?
佐藤 私と齋藤は、「お前たちがやらないと勝てないぞ」って毎日のように上島さんから言われていました。だから、2年生になるときには心の準備をしていたところがありましたね。
宮本 中学時代、北海道選抜に選ばれていたチームメイトがたくさんいる中で、追い抜いたってわけではないけど、試合に出ることで自分がこのチームを引っ張っていくんだっていう気持ちが芽生えたりもした?
佐藤 そうですね。私は1年生のインターハイ予選のときにユニフォームをもらえなかったんですよ。それが高校3年間で唯一ユニフォームをもらえなかった試合なんですけど、その悔しさもあって、自分の何かを変えないとこのメンバーの中で必要とされる選手にはなれないとすごく感じました。私は全然覚えていないんですけど、同級生からすると、「あの日の練習で上島さんに怒られてから、佐藤は変わった」って言う日があるらしくて……。
宮本 自分としては積み重ねだから、毎日頑張っていただけだけど、周りからすると、「あの日」っていうのがあるんだね。
佐藤 そうみたいです。そこから上島さんも私に対する指導が増えたと思うよってみんなが言ってるんです。その辺りがひとつのターニングポイントになったんだと思います。私たちの世代は1年生のときから1つ上の世代よりも試合に出ていたので、ウインターカップが終わったときには、「自分たちがやらないといけない」っていう気持ちにはなっていましたね。
宮本 だからこそ3年生になったときには、「この世代はいけるよね」っていう感じがあったというか。
佐藤 うんうん。
宮本 でも、ウインターカップでは聖カタリナに負けてしまう。結局、聖カタリナが強かった(ウインターカップ3位)っていうのもあったけどね。曽我部奈央(2019-20で引退)、篠原華実選手(デンソーアイリス)、1つ下には軸丸ひかる選手(東京羽田ヴィッキーズ)とメンバーもすごかった。
佐藤 そうですね。なんか懐かしいですね!
佐藤・宮本 ハハハハハ。
取材・文・写真=宮本將廣
シリーズ Last Message 稲井桃子編
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