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それでも夢を追いかける ―小林良 挑戦記#3

ただ真っ直ぐに自身の夢を追いかける者がいる。多くがその旅路の途中で「諦める」という選択をしても、彼の辞書にその文字はない。スラムダンク奨学金11期生、小林良。夢はNBA選手。淡々と語る言葉の中に感じる、誰よりも熱い思いをご覧あれ。(取材日:6月14日)

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どんなことも共通することがある

宮本 大学を3年で卒業するために、具体的にどんなことが大変でしたか?
小林 タイムマネジメントですかね。普通の学生が3つ、4つで済む授業を僕は6つ、7つとっていました。論文の数や提出物の数も多いのできつかったですね。時間をかければ取れるんですけど、時間がない中でのトライだったし、だからといってクオリティを落としたくはないので、寝る間も惜しんでという感じでした。
宮本 何学部なんですか?
小林 business administration(経営学)です。
宮本 具体的にはどんなことを勉強したんですか?
小林 ビジネスの仕組みや経営、お金のことですね。マーケティングやマネジメントも全部勉強しますし、本当にビジネス全般ですね。
宮本 成績も良くて、首席で卒業されたんですよね?
小林 ビジネスの学部の中で、Highest GPA(首席)で表彰してもらいました。
宮本 すごいですよね。
小林 どうなんですかね(笑)。教授から表彰していただいて、盾とかもいただきました。セレモニーもあって、それは親がアメリカに来るタイミングと重なって出られなかったんですけど、アメリカって色々やっているんですよね。他にも全米の成績トップの優秀者しか入れないソサエティからも招待してもらって、表彰してもらいました。結果的にですけど、すごくいい感じで大学を卒業できました。
宮本 元々勉強面も努力されていたと思いますが、アメリカでうまく取り組むためのコツとかあったんですか?
小林 1回目の授業の後に教授に挨拶をしに行くことですね(笑)。仲良くなったもん勝ちというのは日本でも同じじゃないかなと思います。特に僕らバスケのアスリートはシーズンが授業とかぶってしまうので、遠征などで授業にいないときがあるんです。成績が良くないと印象も悪くなってしまいます。逆に言うと、頑張ってて成績も良ければ、印象も良くなるので最初の授業は前の方に座って、授業が終わったタイミングで「今回はよろしくお願いします」って自己紹介をして、「僕はバスケットボールチームにいて、シーズンが始まったら遠征に行ってしまうことがあるから、その時は課題などへの切り替えを相談させてください」と先に伝えておくと、だいぶ楽になりますね。
宮本 僕も大学時代に先生にはだいぶ助けてもらいました(笑)。それはアメリカも日本も共通するところがあるんですかね?
小林 共通だと思います。でもアメリカにそれをやる人ってあまりいないんですよ。
宮本 あー、日本でも積極的にやる人は少ないかもしれない。媚びを売っているように見えるもんね。
小林 はい。でも、正直売ったもん勝ちです(笑)。行動したもん勝ちと言うべきですかね(笑)。あとは授業がオンラインに切り替わったときに、「アメリカに来てまだ3年目だから……」みたいなことを自己紹介文に書きました。先生にメールで、「もし英語の学力が足りなかったら、教えてください」みたいなことも送りましたね。
宮本 それでちょっとしたアドバイスをもらえたり、「そんなことないよ」みたいなコミュニケーションを取ったりできますもんね。
小林 そうですね。結果的には添削とかもしてくれました。僕は英語力にゴールはないと思っているので、勉強すればするほど、より良い英語になっていくと思っています。先生や友達に添削をお願いすると、「ここ少し違ったよ」「これいいね」などを言ってくれるようになるので、どんどんやっていました。
宮本 そういうところはバスケも似たところがありますよね。
小林 そう思います。
宮本 どうコミュニケーションを取って、自分を理解してもらうか、学びを得るか。
小林 そうですね。バスケではとにかくコーチに質問攻めをしました。チームにはどういうプレイヤーが必要で、僕は何をしたらいいのか。コーチは僕にどんなプレイヤー像を求めているのか。そういうコミュニケーションをたくさんしていると、きっとコーチも嬉しくて、「こういうプレイヤーになりなさい」って色んな話をしてくれたり、ビデオを見せてくれたりするんです。そこから世間話になったりして、コーチも僕が日本人だから色んな話を聞いてくれました。「家族とはどうだ?」「日本はどんな国なんだ?」「日本に行ったことがあるよ」とか。そんな話で人として理解を深めることはすごく大事だと思いました。
宮本 確かに。それは取材をしていてもすごく思います。コーチなどと話をする時も、調べられるだけ調べてそのコーチのことを理解した上で話を聞いたり、こんなことを考えているのかなと本人の目線に立って想像してみたりして話すと、そこから調べても出てこない面白い話が聞けたりします。
小林 そう接してもらえたら、みんな嬉しいと思うんです。だからどんなことも共通するものがあると思いますね。

それでも夢を追いかける

宮本 最後になりますが、25歳までにNBAに辿り着きたいという目標はぶれていなくても、コロナの影響で軌道修正をしたことがあると思います。大学を3年で卒業されて、これからの計画を教えてもらえますか? 
小林 25歳までにあと2回、夏が来るんです。1回目の夏はサマーリーグにトライするとかではなく、トレーニングやNBA選手、Gリーグの選手と一緒にワークアウトやピックアップゲームをして、成長しながらコミュニティを広げたいと思っています。2年目の夏は大学院も卒業しているので、シーズンでしっかりと結果を残して、1年目に作ったコネクションを活かしてサマーリーグやGリーグのトライアウトに挑戦するというイメージでいます。25歳の時点はNBAに入れなくても、Gリーグに入ってNBAのチャンスがあるという状況が作れれば、短期契約でも入り込むチャンスが作れると思っていますし、渡邉雄太選手や八村塁選手の活躍のおかげで日本の市場にも注目が集まっていることは間違いないと思います。
宮本 第2、第3のウィザーズのようなチームが出てくる可能性もあるかもしれない。
小林 そうですね。どんな形でもチームにメリットをもたらす選手でいることは大事だと思います。それが今、僕が考えている25歳までのプランです。
宮本 大学院に進む以外の選択は考えていたんですか? 例えば猪狩渉選手(スラムダンク奨学金8期生/福島ファイヤーボンズ)みたいにTBL(The Basketball League)やABA(米独立リーグ)でプレーするなどのチョイスもあったと思います。最近の傾向だとBリーグに戻ってきて、スタッツを残してからGリーグに挑戦するという選択もできたと思います。その中で、なぜ小林良は大学院に進学してNCAAでプレーを続けることを選んだんですか?
小林 おっしゃる通り、選択肢は色々あったと思います。なんならコロナで大学がストップして、日本に帰ってきたタイミングでBリーグに入るというトライもできたと思いますけど、僕の中ではその選択肢はありませんでした。理由は単純で、アメリカが好きだからです。小さい頃からアメリカに憧れて、僕の中では特別な場所なんです。それこそ中学1年生の時に「アメリカの大学に行くぞ」って言っていた自分が、今はアメリカにいるんです。ここで日本に戻ってくる選択をするのは、頑張ってきた自分に失礼だと思いました。スラムダンク奨学金をきっかけに掴んだチャンスで、せっかくアメリカにいる。イメージした場所にいるからこそ、あの頃思い描いた夢をこれから先も本気で叶えたいと思っています。「一緒に夢を見ないか」と白澤さんに声をかけてもらったその夢を、僕は叶えたいんです。それは僕だけの夢ではないからこそ、今強く思います。

写真提供=小林良

取材・文=宮本將廣

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