『ダブドリ Vol.6』インタビュー03 渡邊英幸(渡邊雄太の父)
2019年6月4日刊行の『ダブドリ Vol.6』(株式会社ダブドリ:旧旺史社)より、渡邊英幸さんのインタビューの冒頭部分を無料公開いたします。インタビュアーは元Wリーグ選手で現在は3x3プロ選手として活躍する岡田麻央さんです。なお、所属等は刊行時のものです。
岡田 「渡邊雄太君は本当に真面目でストイックな子」って聞くんですけど、それはどっち似なんですか?
渡邊 僕らとはちょっと違うんですよ。女房(渡邊久美。現役時代は日本リーグMVPを獲得、日本代表でも活躍した)や僕の頃って、バスケをさせられてたんですよね。朝から晩まで走らせて、苦しめるのが練習という風潮でした。時代が変わったのもありますけど、雄太は本当に練習が好きなんです。練習休みたいって言ったことが、一回もないんですよ。学校休んでも練習行くって言うから「馬鹿野郎!」って怒りました。
岡田 体調がどんだけ悪くても、練習行きたいってなるんだ。すごい。教育方針的には「勉強もちゃんとやりなさい」みたいなタイプだったんですか?
渡邊 「勉強せえ」とは言ったことなかったんです。ただ、宿題をやらないと、絶対バスケさせなかったですね。
岡田 厳しいお父さんだったんですか?
渡邊 バスケのことに関しては厳しかったですね。
岡田 富樫(勇樹。千葉ジェッツふなばし)君もお父さんに教えてもらってたけど、富樫君は親に教えてもらうのが嫌で、家に帰っても引きずって、親の話を聞かなかったりしてたそうなんです。渡邊家はそんなことはなかったですか?
渡邊 そういうのは、僕が許さなかったですからね。家に帰っても、試合のビデオを見ながら女房と僕で記録を付けていくんですよ。ジャンプシュート、レイアップ、ポストプレー、リバウンド。そういうのを全部付けてたんです。しかも部員全員の記録を付けるんです。「ジャンプシュートは入ってるけど、インサイドがチーム全体として駄目だ」とか「速攻が出ない」とか「勝つには勝ったけどシュートの確率が悪い」とか。
岡田 そんなに細かくチェックされていたんですね。
渡邊 実は、実業団時代にマネージャーがやってくれてたんです。僕も、例えば20点取っても、実際はその確率は悪かったりリバウンドも全然取れてなかったりっていうのをやってました。
岡田 小学生の雄太君に実業団のやり方を実践してたんですね。反抗期とかなかったですか?
渡邊 ないですね。なにせ父親に教わってるし、母親にも教わってるし、彼には逃げ道がない。だから、こうなったらもうとことんバスケをやろうってなったんじゃないですか?
岡田 それはポジティブな考え方ですよね。そんだけバスケ、バスケ言われたら「もう嫌だ」ってなりそうじゃないですか? 子どものときなんか特に。
渡邊 僕も厳しくしましたけど「こいつ絶対バスケを嫌いにはならないな」っちゅう予感みたいなのはあったんですよ。中学のときに、1000本入るまでシュート練習やったときも一切容赦しなかったです。1000本で4時間ぐらいかかって。最後の50本は、落ちたら増えていくんですよ。
岡田 最後のヘロヘロなときに!
渡邊 でもノーマークですからね。
岡田 いや、たしかにノーマークですけど(笑)。
渡邊 ノーマークは入れなきゃいけない。そんだけやって、なんで未だに下手なのって。今日(日本時間3月28日。ハッスルのプレーオフ初戦が行われた)もね、フリースローを最初2本落としてるんですよ。小さい頃から競ってる試合で勝敗を分けるのは、いつのときもフリースローだって、口すっぱく言い続けてきたんです。
岡田 そうなんですよね。
渡邊 もちろん机上の空論ですけど「お前、ここで1本入れてりゃ、勝ってんじゃないか」って言われちゃうわけじゃないですか。だから、フリースローっていうのは、絶対に入れなきゃいけない。彼には「お前がアメリカで生きていくには9割しかない」って言うてるんです。
岡田 雄太君は、何歳ぐらいからバスケ、やってたんでしたっけ。
渡邊 小学校1年から。
岡田 早いですよね。生まれた時からバスケをやらせようと思ってたんですか?
渡邊 全然。運動してくれたらいいなと思ってた。もし彼がサッカーしたい言うたらそれでもいいと思ってました。
岡田 そういう方針だったけど、たまたま雄太君がバスケを選んだんですね。
渡邊 そう。たまたま小学校1年からやったおかげで、ガードもできる。今日もポイントガードしてましたもんね(編集部注:Gリーグプレーオフの初戦、怪我やコールアップでガードが不足していたハッスルは渡邊雄太選手をポイントガードに起用した)。
岡田 それがすごいですよね。
渡邊 でもね、本当はそれが当たり前なんですよ。日本は、特に僕らの頃なんか、始めるのは中学の部活だったし「大きいからお前はセンター」って決められてドリブルしたら怒られるっていう環境でしたから。
岡田 本当、そうなんですよね。
渡邊 昔はアメリカ人を見て「うわー、あんなでかいのにすごいなあ」って思ってたんだけど、それは当然なんです。小さい頃からドリブルを練習しているんだから。息子が小学校1年のときにちんたらプレーしてたから「お前みたいなチビがスピードで抜かないと、大きい人に勝てるわけないじゃないか」って、怒ったことがあるんですよ。でも、その時ふと「でもこいつ将来2メートルぐらいになるんやろな」って思ったんです。190cmと177cmの息子だし、手足も長かったんで。怒りながら「将来こいつが2メートルになったら、すごいぞ」って、実は思ったことがあったんです。
岡田 へえー、なるほど。
渡邊 当然5年生とか6年生は大きいわけじゃないですか。「あ、アメリカってこれなんだ」と思いました。だからみんな、ああいうことができるんだと。
岡田 その時はいずれアメリカに行くっていうのは想像したりしましたか?
渡邊 全く。もう指先ほども思ってなかったです。最近メディアで、彼が小学校2年ぐらいのときに「NBAへ行きたいって言った」って書かれてるでしょ。本当は、あの頃の彼にとっては目標じゃなくて夢なの。
岡田 でもすごいと思いますよ。小学校2年生の頃にNBA選手になりたいっていうのはなかなか聞かないですもん。
渡邊 昔はBSでしょっちゅう見てたんですよ。小さい頃プロ野球見て、僕もあれになりたいっていうのと一緒。
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このあとも、渡邊雄太選手の転機となったアンダー代表への抜擢や日本のバスケ人気への期待などを語ってくださっています。続きは本書をご覧ください。
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