【インカレ開幕!】大学バスケ魅力発見記 vol.1白鴎大学 佐藤智信監督&網野友雄監督
第75回インカレ情報
ダブドリでもインカレの取材記事、インタビュー動画を公開予定
大学バスケ魅力発見記 女子編
白鴎大学女子バスケットボール部監督 佐藤智信
白鴎大学女子バスケットボール部監督。1996年に白鴎大学女子バスケットボール部の監督に就任。ディフェンスをベースに着実にチームを強化し、2012年のリーグ戦を初優勝、2016年にはインカレ初優勝を成し遂げた。2023年には2度目のインカレ優勝を成し遂げた大学女子バスケ界きっての名将。
◆諦めきれず送った一通の手紙から
この度、「ダブドリ」の新企画として大学バスケのコラムがスタートすることになりました。単にこのカテゴリーでの指導キャリアが長いということで、私がトップバッターを務めさせていただくこととなりました。白鴎大学女子バスケットボール部HCの佐藤智信と申します。まずは簡単に自己紹介及び指導キャリアを書かせていただきます。
バスケットボールを始めたきっかけは、非常に小規模な小学校のため、スポーツクラブがバスケ部しかなかったという、消極的な理由でした。しかしながらやってみると非常に楽しく、プレーヤーとしての実力は平凡なものでしたが、小中高大と素敵な指導者に恵まれたおかげで、バスケの虜となっていきました。特に中学校時代の指導者に影響を受け、「将来は指導者になりたい」と強く思い始めるようになりました。また大学時代のコーチは、現在山梨学院高校男子バスケットボール部監督の江崎悟氏(元桜丘高校男子バスケットボール部監督)で、この時間が更に指導者への憧れを強くしてくれたと感じております。
大学卒業後は2年ほどバスケから離れましたが、どうしても指導者の道を諦めきれず、当時の男子日本代表HCだった小浜元孝氏に思いの丈をつづった手紙を送ったところ面会していただき、様々なアドバイスをいただきました。そして後に私の師となりメンターとなるドウェイン・ケイシー氏を紹介していただきました。1991年9月~1992年2月の半年間、彼のところにホームステイをしながらバスケを学ぶ時間をいただきました。彼との縁で様々なコーチの練習を見学させていただき、その1人がリック・ピティーノ氏(現セントジョーンズ大HC)でした。さらにはそこでACをしていたのがNBAのニューヨーク・ニックスで2年ほどプレー経験もあるビリー・ドノバン氏(現シカゴブルズHC)。HCのピティーノ氏とはほとんど話ができませんでしたが、ドノバン氏とは年齢も近いということで、色々と教えてもらうことができ、素晴らしい経験を得ることとなります。
他にも多くの機会に恵まれ、僅か半年の間に著名なコーチの方々と関わりを持つことができました。また、幸運なことに帰国してから2ヶ月ほど経った1992年3月末にケイシー氏が日本の積水化学(女子チーム)と契約することになり、「一緒にやるか?」と誘ってもらったことがきっかけで、本格的なコーチキャリアがスタートします。その後ケイシー氏と3シーズン、小牟礼育夫氏(現福岡大学女子バスケットボール部HC)と1シーズン、ACとしてキャリアを積ませていただきました。その後、1996年4月より現職である白鴎大学女子バスケットボール部のHCとして29年目のシーズンを迎えています。
◆急激に成長を見せる学生たちに感じる喜び
大学バスケの魅力が何かと問われれば、可能性と多様性だと考えております。18歳~26歳という時期は身体的にも精神的にも大きく成長ができる年代だと感じています。私自身30年近いコーチングキャリアで、何人もの選手達がほんの数ヶ月で急激に成長していく姿を目の当たりにしてきました。これはコーチとして本当に嬉しいことであり、最も面白い部分でもあります。大学生であれば、学年が上がるにつれて必然的にリーダーの役割を担わなければならない時期がやってきます。こういった側面は精神的な成長を促すひとつの要素であると思います。
各大学の運営方法やチーム作り、強化方法等は多種多様で、バスケを取り巻く環境や条件もバラバラだけれども、同じカテゴリーとして運営もしながら競い合っていくことも大学バスケの面白さのひとつでしょう。高校バスケのスター選手がそのまま大学で輝くことも素晴らしいですが、無名高校から突如現れる注目選手や強豪校出身だけどプレータイムが無かった選手がスターになるのも大学バスケならではの面白さです。また、男女ともに個性的な指導者が多くいることも大学バスケの魅力ではないでしょうか。
◆世界と戦っていける大学生プレーヤーを増やすために
私自身がどのような選手を育成していきたいか、またどのような目的があって活動しているかを書かせていただきます。選手にはまず社会で生き抜く力をつけて欲しい。これが大きな目的であり、常日頃から努力の仕方、責任を持つこと、コミュニケーション能力といったことをバスケを通して学んで欲しいと願っています。その中で目標として、大学の頂点を決めるインカレ優勝、皇后杯ベスト4、国際的に通用する選手(日本代表選手、WNBA選手)の輩出を掲げております。
卒業生には、王新朝喜(三菱電機コアラーズ/リオ五輪出場)、林咲希(富士通レッドウェーブ/東京・パリ五輪出場)と2名のオリンピック選手がおりますが、両名ともに大学で開花した選手であり、コツコツと努力を積み上げるタイプの選手でした。このような選手をもっと数多く育成したいと考えています。合わせて、近年の大学女子バスケのトピックを書かせてください。私は2007年~23年の間、U24大学女子のカテゴリー(主にユニバーシティゲームズ)でスタッフを務めてきました。2017年に準優勝した台北大会と今年の7月6日~10日に同じ台北で行われたジョーンズカップでは、HCを務めさせていただきました。今回のジョーンズカップは大学3~4年生でチームを組み、5戦全勝で優勝。その後、開催されたWリーグのサマーキャンプにも出場させていただき、各チームが調整段階にあったこともあり、全勝することができました。
勝利することはできたものの、日本よりも大きな選手のいるチームやトップリーグの選手に対してリバウンドに課題が残る内容となりました。大学年代が世界で戦っていくにはどうしてもフィジカルの強さが課題となってくるように感じております。これはトレーニングや栄養の問題もありますが、日々行う各大学での練習強度が課題かもしれません。この辺りを各大学指導者に啓蒙していく必要を感じながら大会を振り返り、より世界と戦っていける選手の育成を促していきたいと考えております。
近年の女子バスケシーン、特にアメリカではケイトリン・クラーク(2024年WNBAドラフト1位)等の活躍もあり、非常に盛り上がりを見せています。同じ年代である日本の大学生達にも有望な選手達が多くいて、来年開催されるドイツでのユニバーシティゲームズでは、金メダルをとって欲しいと願っていますし、その可能性は多分にあると思います。今号が発売される頃は関東大学女子バスケットボールリーグ戦が終盤を迎え、インカレという大学バスケが盛り上がりを見せる時期です。是非会場に足を運んで世界で戦える大学世代のプレーを応援していただければ幸いです。よろしくお願いします。
大学バスケ魅力発見記 男子編
白鴎大学男子バスケットボール部監督 網野友雄
白鴎大学男子バスケットボール部監督。東海大菅生高校でバスケットボールをはじめ、日本大学に進学。その後、トップリーグでプレーし、プロ選手、日本代表として活躍した。2017年より白鴎大学男子バスケットボールの監督に就任。2021年には大学初のインカレ優勝に導いた若き名将。
◆バスケットを始めて、2週間後にコートへ
ダブドリで大学指導者のコラムが始まると聞き嬉しく思います。その初回を担当させていただきます白鴎大学男子バスケットボール部監督の網野友雄と申します。
私は高校1年生の時からバスケットボールを始めました。中学生まではサッカーと水泳に取り組んでいましたが、スラムダンクの社会的ブームとバルセロナオリンピックで世界を魅了したマイケル・ジョーダンのプレーに憧れを持ち、バスケットボールに興味を持ちました。
高校は実家から近いこともあり、東海大学菅生高等学校に進学します。入学式の後にバスケ部の先輩たちから「君大きいね! バスケ部入らない?」と声をかけられ、これがきっかけでバスケ部に入部をします。
私にとって幸運だったことは、監督が試合に起用してくれたことです。バスケットを始めて2週間後の関東大会東京予選で、いきなりコートに送り出してくれたのです。初めての公式戦で7得点したことは今でも覚えています。今の自分だったらバスケットを始めたばかりの選手は起用しないと思います。多くの人の助けを借りて成長でき、約2年後の高校3年生の時にU18日本代表に選出されます。そこから、「将来はプロバスケットボール選手になりたい」という思いが芽生えてきました。
◆恩師からの相談で、大学バスケへ
高校卒業後は日本大学から声をかけていただきました。その時に、両親から「あなたに声をかけてくれた日本大学に必ず恩返しをしなさい」と言われたことが、今でも心に残っています。
大学では保健体育の教員免許を取得しながら、将来はプロ選手になりたいと思い練習に取り組んでいました。
そして、大学卒業後はトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)、アイシンシーホース(現シーホース三河)、リンク栃木ブレックス(現宇都宮ブレックス)で、合計12年間プロ選手として活動させていただきました。天皇杯やリーグ優勝を経験させてもらい、日本代表にも選出され、多くの経験をすることができました。本当にバスケットボールに出会い、人生が豊かになったと感じています。
三十代に入る時から指導者の道を考え始めており、将来、自分のように「バスケットボールに出会ったおかげで、人生が豊かになった」と思える人を育てたいという想いが強くなってきました。ある時に大学の恩師である故・川島淳一監督から大学指導を手伝ってくれないかと相談を受けます。その時まで大学で指導者になることは、あまり想像していなかったのですが、当時の日本大学は関東2部リーグにおり、OBとしては少し寂しい想いがありました。優勝経験のある伝統校を再び強くすることも、やりがいがあるのではと考えました。
大学で指導するためには大学教員になることが望ましいと考え、2014年に筑波大学大学院を受験し、合格。翌年には選手として最後のシーズンにしようと決め、大学院生とプロ選手、指導者と3足のわらじの生活をしました。当時はブレックスの選手だったために、午前中は筑波で講義を受け、午後は宇都宮で練習、週末の試合をこなし、休みの月曜日は講義と日本大学の指導というシーズンを過ごしていました。そして2015年の5月で引退し、6月からは日本大学のHCとして、コーチングキャリアが始まります。試行錯誤の日々でしたが、学生たちと一致団結し、初めてのリーグ戦で2部優勝、入替戦でも勝利して1部昇格を果たします。当時の私は、日本大学の教員になることを目指していましたが、縁がなく、母校の教員になることができませんでした。
◆成長のための「見られる目」
そんな失望のなか、知らない番号から電話がかかってきます。電話の相手は白鴎大学女子バスケ部の佐藤智信監督でした。当時は佐藤監督とは面識がなかったのですが、「白鴎大学でバスケットを専門にしている教員の公募があるから応募してみないか」と言っていただきました。同じリーグで対戦している他大学に応募することも悩みましたが、「日本のために大学バスケを強くする」という自分のやりたいことを優先し、応募することに決めました。そして、運良くも採用していただき今があります。大学バスケを強くするといっても、まずは自分の指導しているチームが成果を出さなければ、大学バスケに影響を与えることはできないので、白鴎大学が強いことがスタートラインだと思っています。そして、今はU22日本代表のHCとして大学バスケを強化する立場になれたことを嬉しく思いますし、責任を感じながら日々過ごしています。
先日、U22日本代表で、台湾にて開催されたジョーンズカップに参加してきました。対戦相手は各国のA代表やプロ選手が多くおり選手たちにとって素晴らしい経験だったと思います。
DFの強度は通用する部分がありましたが、オフェンスにおいて全員が3ポイントシュートを打てることやオープンスペースにボールを供給できる状況判断とパス能力を向上させていくべきだと思いました。国際試合は自分たちに足りないことを経験できる貴重な機会であり、継続して参加することで、必ず世界と戦えるようになると思います。
それと同時に、今の大学バスケに必要なことは「見られる環境の構築」です。B.LEAGUEが出来たことにより、国内バスケットボール熱が高まり、バスケットボールを好きな子供達が、夢を見られる世界になったと思います。会場には多くのファンが足を運び、試合結果はニュースで取り上げられる。選手たちには自覚が生まれ、ものすごいスピードで成長しているのではないでしょうか。この「見られる目」が大学バスケットボールには不足していると感じる部分です。どこで試合が行われていて、どんな選手がいるなどの認知を広げていければ選手の成長につながっていくと感じています。
◆高校生よりは大人だけど、プロよりは子供っぽい学生達の青春
最後に、大学バスケの魅力をお伝えできればと思います。私の思う大学バスケの魅力は、4年間という限られた時間の中での成長だと思います。もがきながら、選手として、人間として成長していく姿が見られます。学生の中にはプロを目指す者もいれば、社会人になったらバスケットから離れる者もいます。4年生は最後にかける想いが随所に現れ、チームの成果に責任を感じながら一生懸命プレーする。それに後輩たちが影響を受けて変化し、チームの文化を引き継ぎ新たなものを創っていく。未成年が成人になり社会に出る準備をする。その成長こそが大学バスケの魅力だと思います。
高校生よりは大人だけど、プロよりは子供っぽい。そんな彼らの青春が凝縮された大学バスケに是非、注目していただければと思います。