【場の説得力】第11話
この劇場で
池田ヒトシさんの芝居がみるみる変わっていくのを目の当たりにした。
いい演技は、瞳の奥に灯が宿る。
間近に、そんな顔の表情を見ながら自分が役者として稽古できることこそ、コロナでずいぶん久しぶりだ。活き活きとしたツヤのある芝居を僕より年配の俳優さんが、額に汗しながら僕自身に演技を当ててくれている。だから僕も誠意いっぱい返そうとする。
セリフだけではない。
なんだろう彼自身がこの劇場全体に染み込んでいる空気を吸い込んで、吐き出しているような。毛穴という毛穴にスポンジの如くカラダ全部に吸収して、僅かにその質量を、確実に重厚に増大させているような迫力がある。
なぜだろう。この劇場がそうさせるのか。水を得た魚か。荒野の獅子か。
2021年3月1日。
スタジオあくとれに、小屋入り。
相変わらず狭い階段を降りると、何もない素舞台と客席があった。
第二の緊急事態宣言を解除される来週、間もなく3月12日ついに
このあくとれで「シバイハ戦ウ」の幕が開(あ)く。
去年の12月に、この劇場でみんなと初めて顔合わせをした。
「今まで見た芝居で、一番面白かったのは何?」
という質問を、みんなが照れ臭そうに答えていた。
劇場が、なんだかとても懐かしい。
前日の稽古後、今日の小屋入りのために、テツタさんと駆けつけてくれた奥さんのリエさんが本番で使う役者たちの荷物を自転車に括り付け、MOMOの稽古場から駅の反対側にある「スタジオあくとれ」に運んできてくれていたのだ。
ちなみに「小屋入り」とは本番に向けて劇場に入ったことをいう舞台用語。「小屋入りした」
「おはようございます」「よろしくお願いします」
もう演出の吉田テツタさんが客席にいた。舞台監督の横山くんも動いてる。
素舞台にテーブルや小道具が置かれ、ソワソワと準備が始まっている。
メンバーが揃うと稽古開始だ。
「うわー狭いなぁー」
という田河の第一声が劇場に響くと
そこはもう物語の世界だ。
すかさず演出の吉田テツタさんの
「もうちょっと、蔑(さげす)んだ感じで」と
指示が入る。
実は今までの稽古場が地下のスペースや屋根裏部屋だったのもあり
「狭い」という言葉を、逆にこの劇場の広さに「感歎した」台詞で言ってしまったようだ。
所変われば、台詞も変わる。
役者は稽古場から舞台という環境に、芝居を成(な)らせていく。
大ホールで音声マイクをつけながらの芝居と今回のような小劇場じゃ
リアルも変わってくる。そして、なにも日常の自然風だけが舞台上のリアルではない。
役者は見つけようとする。
『その空間で一番伝わる表現』を
よく舞台出身の役者さんがテレビに出ると芝居が大袈裟に見えるなんてことを言われていた時代があった。
また「半沢直樹」みたいなテレビドラマ作品は舞台の役者さんでなければあの説得力は出なかっただろう。自然な日常を普段のまま生きている人たちが同じ真似をしても滑稽すぎるほど埋まらない。
生(ライブ)の大きな箱で鍛えられたのが生の肉体だけではなく、舞台という非日常の多くを劇場と観客とともに過ごした
「場の説得力」こそ、日常をはるかに超える迫力と魅力を役者に与えるからだ。
そして劇場には、何かが宿っている。
その役者にとっては鬼金な劇場がある。小劇場は、特にそうだ。
下北沢ザスズナリ、駅前やOFF OFF、本多劇場、紀伊國屋ホール、駒場のアゴラ。もう締めてしまったけど、新宿シアタートップス、両国ベニサン・ピットもあった。最近なら王子小劇場、新宿space雑遊 だろうか。立ったことはないが日暮里d倉庫なんかもそうだろう。
僕なら下北沢「劇」小劇場だ。
あくとれで稽古を始めて、
池田ヒトシさんの芝居がみるみる変わっていくのは、何故だろう。
そこに立つだけで何か空間を成立させてしまうような
「場の説得力」を引き上げてしまう場所。
これは役者だけではないスポーツ選手や将棋の棋士だって勝負の相性にいいスタジアムや会場があるのと同じだ。
そういえば
池田さんの芝居を初めて見たのが
この、あくとれだ。
僕はその時、観客だった。
翻訳ものでこの「シバイハ戦ウ」の作演でもある吉田テツタさんも出ていたのが縁で、芝居を見たあとの呑みで、気さくなおじさんだなと思った。
「いつか芝居をやろう」
なんて言葉は、観劇あとの役者同志の飲み会でよくある話。
それからもう20年近くなる。いつかが、いつかで今、ここに。
「ここで芝居をやってさ」
昔、池田さんがあくとれでの公演中、昼本番の後に劇場前の寿司屋で役者たちと食べた。
その夜が最悪だった。寿司に当たって、みんなが青い顔しながら
一生懸命セリフを言い、出番を終えた役者が、変わる返し、真っ直ぐに袖のトイレへ駆け込んだ。
「その、目をひん剥きながらの、本番の顔ったら ガハハ」
今回「シバイハ戦ウ」での
池田さんは、劇場の支配人の役だ。
あくとれの思い出の話しが役柄と重なって、
「これが小劇場なんです」
と台詞が聞こえてくる。
池田さんがまだ20代の頃、登場するシーンの稽古で
出るたんびに「それ駄目」「違う」と演出からダメ出しを喰らい。
ワケがわからなくなった彼は、あくとれから飛び出し、
近くの公園でずっと時間を潰した、若手だった昔。
人は歴史を、その身体に内包している。役者はそれを舞台で開放する。
この劇場が前に、料理教室が入っていて、自分たちで改装して、スタジオにした。重いキッチンのシンクや台所を、階段から運び出して、
楽屋への壁を仲間と劇場を手作りした。
台本に書かれていない
セリフで言ってはない
けれど
支配人が
今はコロナできなくなった演劇への
諦めにも似た憂いを
小劇場を知らない田河に語りかけてくれている。
目の奥の、灯とともに。
そして田河は記者の役だ。
僕はその言葉を一言も漏らさず、聞き、調べ体感し
その面白さを、読者に伝えなければならない(このエッセイもそんな役者の語り草だ)
「秘密の言葉」を役者たちは、交わしている。演技という、台詞と所作の隙間にまとう
見ている観客は絶対知られない沈黙の言葉を。
それが「場の説得力」となって
迫力の緊迫感を作り出している。
映像では、
はみ出してしまうほどの
ライブ感。
「これが、小劇場なんですッ‼︎」
もう忘れられた劇場の小屋主にしか、見えなくなった。
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そんな僕らに、
非常事態宣言の延長のニュースが入ってくる。
8日の解除が、二週間も伸ばされるというのだ。
12日からの本番を跨いだ延長が
客足に影響のないことは、ありえない。
それにも増して都からは20時までの営業自粛要請。
19時30分からの公演を早めるべきか。
チラシの日時は変えられない。
どうするべきか。
シバイハ、戦ウ。
【コロナ禍の演劇シリーズ】
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田河という役を読んだとき
僕はこの芝居の出演を決めた。
今よりもっとコロナ禍が止留まることなく拡大し、今や劇場でやるエンターティメントが困難で
ましてや人が密集して盛り上がる小劇場演劇なんて絶対禁止という未来。
アルかもしれない近未来の物語。
去年の秋
「これはすぐに演らなきゃいけない台本だ」と思った。
田河は古代遺跡に
太古の神秘とロマンを求める研究探検家インディージョーンズのごとく
かつてあったとされる小劇場の跡地に潜入する。
この「一度も観たことのない演劇」を体験をしてない彼の
「演劇の面白さを知らない、でも面白そう」という想いが、何よりも
芝居を始めたばかりの僕の姿に重なった。
『コロナで芝居が、普通にできなくなった今こそ、何が出来るのか?』
テッピンvol.4
「 シバイハ戦ウ 」
2021/03/12(金)~03/14(日)
@中野あくとれ
作+演出=吉田テツタ
キャスト(五十音順)
池田ヒトシ
瀧下涼
日暮玩具
山口雅義
【公演終了しました。ありがとうございました!TAKI 】