【そして幕が開く】最終話 コロナ禍の演劇2021
ドラえもんに「石ころ帽子」というひみつ導具がある。それを被ると誰からも見えなくなり、そこに居るのに気にされなくなるのだ。
「どこにでもある石ころ」みたいに。
2021.3.12.
初日の幕が開く。
今や劇場には準備の活気と埋まった座席からお客さんの熱気や密度は
通信や電波で送られてきた冷静な映像でなく、それぞれが
JR中野駅を降りて交番横の線路沿いを歩き、
一つの舞台に向かって、
たどり着いた
この劇場にいるという、
その迫力があった。
しかも
解除間近だった緊急事態宣言が、
公演差し迫った3月に入って
さらに二週間も延長してしまったのだ。
僕らは開演時間の変更も考えた。
刷って公開してしまったチラシと最速のネット情報とお客さんの足と、ただでさえゴチャゴチャしている情報に僕らが巻き込んではならない。だから変えないで、そのまま続行することにした。
僕らはどこまでアナログなのか。
制作の三國谷さんが自前で、消毒液散布ポンプなど劇場に来て頂くお客様のために足踏み式の手指用エタノール消毒スプレースタンド、顔モニター付き電子体温計を揃えてくれた。
劇場に来るとは覚悟のいることだ。
いまだコロナ禍の隣席に
人が居るということは、
それぞれが責任を
持たなくてはいけないと
いうことだ。
ドラえもんに「石ころ帽子」というひみつ導具がある。
それを被ると誰からも見えなくなり、そこに居るのに気にされなくなるのだ。
「どこにでもある石ころ」みたいに。
ネット配信が「石ころ帽子」のようなチケットだと僕には感じられた。
「座席に在るのが石ころ」ならば、感染することは絶対ない(石ころだなんて失礼極まりないことは、わかっている)
そして、人がたくさん集まれば劇場に来なくたって、お金は動くだろう。
世の中の仕組みはそれでいいし、そうじゃないと生きられないと僕たちは信じ込んでいる。劇場だって50人しか入れられない客席よりも1000人が同時に観てくれた方がいいに決まっている。数字が動く、数値が上がる。影響力が違う。なんの?どっちの?
いや
ネット配信の批判ではない。
それは方法の話だ。
双方否定のために同義を
違(たが)えてはならない。
そうだ。僕たちの目的は、
同じはずじゃないか?
戦いは乗り越えて、
その足跡を
後の世代に受け継ぐことだ。
だからこそ
定員より半分以下に減らした座席も隣を空けて、
おのおのマスクをしていただき、会話も控えて
ソーシャルディスタンスの観劇に、
申し訳ない気持ちとともに、
もう感謝しかなかった。
それぞれが観客席から顔のある、
呼吸している
かけがえのない
一人ひとりの存在として
初日を迎えにきてくれた。
いや来られなかった、たくさんの顔が在る。呼吸がある。
いけない理由もたくさんある。僕たちは一人、ひとりだ。
だから、この時間がこの劇場が「かけがえ」がないのだ。
「たっきー、そこは『え。マジかよ』って、感じで」
稽古のとき
どうしても言えないセリフがあった。
「そこは『うそだろー』みたいな、肩の力が抜けて、
思いもしない声が出てしまうように」と演出の吉田テツタさん。
『え⁉︎』
その一言が僕には表現できなかった。
返し稽古は、その場で出るのに
通して芝居のシーンが来ると違うトーンになってしまうのだ。
僕の演る田河は、自分の身体を動かせない絶妙絶命の状態にも関わらず、信じられない人体実験を迫られる。自分の死を予感せざるおえない状況の場面。
まさか?俺が?うそだろ、まじで?
という心からの声が出なかった。
わかったんだ。なぜ僕がそのセリフをいえないか。
この舞台の照明の場当たり、飾り付けをしているときスタンバイされた小道具の機材に懐かしい小劇場の名前を見つけたのが、
極め付けだった。
「狛江スタジオBEフリー」
見せつけられる
想いの瞬間があった。
それは、もう締めてなくなってしまったスタジオで舞台監督の横山くんの備品だった。「狛江」の部分は切り取られて無くなっていたけれど、
確かにその名が貼ってあった。
僕が芝居を始めたばかりの20代、訳もわからず、とにかく演劇に若い感情をぶつけていた頃、先輩の学生劇団の公演でよく使っていた小屋の名前。
僕はそこでも、
白いタイツ姿の天使の格好をして、
笑いのシーンに出演したことがあった。
そして田河にも、
天使になる、場面があった。
田河は一度、死ぬ。
だが立ち上がる。
僕は
あきらめていたんだと、
自覚した。
そんな自分に愕然とした。
コロナとか、
なんたらディスタンスの
問題ではない
田河は、あきらめていなかった。
希望を持って行動する
その死の直前まで
恐怖と畏れで抑えつけられ
身動き取れない状況でも
死を突きつけられても
田河はあきらめていない
捨てない、場をやり過ごさない
見えるのが「虚無」であっても
傷跡であろうとする。
でも
演じている僕は
あきらめて、いた。
でも20代の僕はあの時
芝居で喰っていけるのか
とかなんとか、
未来をあきらめていなかった。
どうなるか、
そんなことは、わからなかった。
事情?そんなことは関係ない。
だって命は、
今を生きているのだから。
僕の田河は、
役だけではない、
コロナ禍での
この芝居という現状も
あきらめていた。
だから、
言えなかった。
そうだ僕自身が
「あきらめて」いたんだ。
もう駄目だ、こんなことをやっても無駄だ。なんの意味があるんだ。
全ては無意味だ、と。
でも演出のテツタさんは、
描かれていた田河は、
諦めてないなかった。
戦い続けている。
だから生き返る。
誰もが言えなかった言葉。やれなかった未来。語りたかった言葉を
活きるのが僕らの役割ではなかったか。
「スタジオBEフリー」
まだオマエも舞台を続けていたんだ。
有難う。諦めないで発し、続けよう。
僕たちの周りにはたくさんの人達がいる
役者のみんな、共演者それだけじゃない
テツタさんの奥さんのリエさんは、劇場にも来てくれ雨の本番も裏に付いてくれた。Microドローン模型を作ってくれたライトくん、
ラスト屋台崩しの大仕掛けも大変な舞台監督の横山くん、音響だけでなくモデル銃とエアガン所作と嗜み全てを教えてくれた根岸くん、本物そっくりな蛍光灯と劇的な照明舞台を作った阿部さんと操る佐藤さん、
年末にチラシも大きな幕も描いてくれて僕のナイフの受け渡しとかも演出助手松岡さん、制作の三國谷さん、みんな有難う。
ほかにも他にも。
この舞台に、本番を支えているのは、
本当にたくさんの人たちだ。
そこに、観客で迎える人たちが加わる。
僕自身が「石ころ帽子」を被っていたんだ。
僕は死んでいたんだ。
本当の死は忘れた時だ。
自分だけは自分を忘れるな。
膨大な稽古と
本番という一瞬の全て
希望とはなんだ。
なんの望みだ。
それを握りながら、
生きる、ここ、と。
ただ、誠実に活きること。
ネット配信は、
どこまでやっても完璧な映像作品だ。
記録の問題ではない、
これは「記憶」の問題だ。
笑い、泣き、注力し、息を吸って吐き、ともに生きていること。
それは同じ時間だけではない、同じ場所で同じ空気を「呼吸した記憶」のことだ。
普段、僕たちは頭の中で生きている
騙し絵の中でも生きられる
それで生は、賄(まかな)えていけるような気がしている。
でもほんとうの命はどうだろう。
魂は震えているか、
どこか空虚を誤魔化されていないか。
飛び散るような歓喜に、
我が身を晒(さら)せているか。
僕には本番の劇場というモノが
「一つの生き物」のように思える。
「劇場」という巨大な生きた塊が
同時に、蠢(うごめ)き、笑い泣き怒り、歓喜歓声をあげる。
テレビが、とっくの昔に手放した「劇場」という生き物。
今や茶の間に居ながら中継技術とチャットやアバター進化で
数字と文字と配信に、化けたことだろう。
だが「劇場」という、
生き物は死んだ。
僕たちが、
生きる舞台であり続ける限り
その最新の技術と
最高の思考と、遊び心を
存分に使って
思いっきりアナログに
生きることだ。
まさか?俺が?うそだろ、まじで?
だから黄泉、還る。
そして、
劇場で本番が、
はじまる。
シバイハ、マダ、
戦ッテ、イルカ?
(完)
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【公演は、無事終了しました】
テッピンvol.4
「 シバイハ戦ウ 」
2021/03/12(金)~03/14(日)
@中野あくとれ
作+演出=吉田テツタ
キャスト(五十音順)
池田ヒトシ
瀧下涼
日暮玩具
山口雅義
田河という役を読んだとき
僕はこの芝居の出演を決めた。
今よりもっとコロナ禍が止留まることなく拡大し、今や劇場でやるエンターティメントが困難で
ましてや人が密集して盛り上がる小劇場演劇なんて絶対禁止という未来。
アルかもしれない近未来。
去年の秋
「これはすぐに演らなきゃいけない台本だ」と思った。
田河は古代遺跡に
太古の神秘とロマンを求める研究探検家インディージョーンズのごとく
かつてあったとされる小劇場の跡地に潜入する。
この「一度も観たことのない演劇」を体験をしてない彼の
「演劇の面白さを知らない、でも面白そう」という想いが、何よりも
芝居を始めたばかりの僕の姿に重なった。
『コロナで芝居が、普通にできなくなった今こそ、何が出来るのか?』と
最後までありがとうございました。
後日談ですが、田河が最後に天使姿なるシーンで、その天使の輪っかを袖の舞台監督に投げつけるシーンがあって、千秋楽のお客様からの笑いがとてもスカッと暖かい感じで、「ああ、田河が救われたんだ」と思えました。
「何にも、あきらめていない田河」を、演じられたかもしれない。
そんなことを思いました。TAKI