あれこれ言うの、やめてみる。【我々、今日もひょうきん族。Vol.6】
人は信頼ある人からの言葉しか受け入れられない。
または、信頼しているものから、か。そう痛感させられた出来事があった。
先日、旦那さんが
「今日さ〜、保健師さんから中性脂肪が高くなってきてるって言われたんだよー。運動始めよっかなあ」
と背中を丸くしながら話してくれた。
どうやらその日、職場で保健師さんからの健康指導があったらしい。
週に1回からでいいから、運動を始めた方がいいと言われたのだとか。
ほれ、言わんこっちゃない、私が何回も言ってたのに!
と言いそうになる。まぁ言わないけど。
その代わりに、ちょっとだけ不貞腐れてみる。
それから旦那さんは、お酒と食後のおやつを1週間やめた。
大好きだったポテトチップスコンソメパンチ味も、
仕事終わりに買ってこない。
そして、週末には40分ほどランニングにも行っていた。
彼は、別に太っているわけではないけれど、
お腹周りについた年相応の脂肪のおかげで10年前の引き締まったお腹はどこかへ消え去り、見事に貫禄あるスタイルに仕上がっていた。
その姿を見て、私はいつも言っていた。
「ねぇ〜お酒かおつまみ辞められないなら、せめて夕飯の白米減らしたら〜?」
手料理をたらふく食べてくれることはもちろん嬉しいけれども
太ってほしいわけではない。
彼の気を悪くしない程度に
1週間に2〜3回くらいのペースだろうか?
ちくりちくりとは突いていた。
それでも、
「100%空かせたお腹にかきこむご飯はうまいのよー」
と言ってお酒もご飯も減らさなかった。
*
よっちゃんが生まれてから、
「行動を誘導する」ことが圧倒的に増えた。当たり前だけど。
「お洋服にお着替えしようか」
「おもちゃのお片付けしよっか」
「歯磨きしよっか」
「お風呂入ろうか」
「ねんね行こうか」
毎日どれほどの行動を誘導していることか。数えたくもない。
部下を持ち指導・育成していた会社員時代でさえ、
ここまで行動を誘導したことはない。当たり前だけど。
いくら小さな小さな2歳児であっても
人から指図されることを好む人はいない、と思っている。
現に、スーパーイヤイヤ期(イヤイヤ期大人バージョン)とも戦っている。
自分のやりたいことを、やりたいようにしたい。
彼女にとっては、指図されることは絶対的悪!なのだ。
それでも、やるべきことはやらないと1日終えられないので
よっちゃんが不快な思いをしないように最新の注意を払って誘導している、つもり。
「お風呂入ろう!」と直接的に言うと
「いやぁ!」と言われるのはわかっているので
「ドラえもんのおむつ持って、アイスクリーム作りに行こう!」
と言い換えると、ひょいひょい動いてくれる。
(ドラえもんのおむつはねんね時間にだけ履ける特別なもので、なぜかそのおむつが大好きなのである)
もはや、側から聞いていると何をしにいくのかよくわからないようだけど、
本人が楽しくお風呂に向かってくれるならそれでいい。
けれど、スーパーイヤイヤ期はイヤイヤ期よりもママの頭を使わせてくる。
試されているようで、こちらも鼻の息が少々荒くなる。(良い意味で。)
1日に何度も行われる母からの誘導に、耳を貸さないことも増えてきた。
「おむつ変えよっか」
という母の言葉も、
「いま、お母さんといっしょ観てるの!」
というよっちゃんの言葉を前に、用をなさなくなる。
そこで母、考えた。
レベル1。
「ママがおむつ変える?よっちゃんが自分で変える?」
イヤイヤ期時代に有効だった技。
最初の数回は効果があるけれど、慣れてくると
「おむつ変えなぁい!おしっこしてなぁい!」と一掃される。
レベル2。
「1回言ったから、もう言わないでおくね」。
これでどうだ!
…
なんと、これがハマっている。
いまのところ、全勝である。
このセリフを残して、立ち去ろうとすると
「あ!あ!変える!変えるぅ〜!」と、ジタバタして急いでおむつを変えようとする。
でも、考えてみればよっちゃんの気持ちはわからんでもない。
私は小学生の頃、
「朝よ!早く起きなさい!」と朝から3分おきに起こされるタイプの子どもだったのだけれども、アナログ版スヌーズ機能があるとわかると、母の声はどんどん遠くなっていく。
ところが
「朝よー!お母さん、今日仕事行くからこれ以上起こせないからね!」
と嘘でもつかれようものならば、慌てて布団から飛び起きていた。
なんともまぬけな娘なことか。恥ずかしい恥ずかしい。
自分の子どもともなれば、
つい行動を監視して自分が思うように誘導してしまいたくなるのだけど、
それは本当に逆効果なんだなあ、と自分で体験してみてやっと痛感する。
座って食べなさいとか、食べ物は投げないでとか
正しい道へ誘導したくなるけれど、
どうも子どもの発育上、お行儀なんかは早くても3歳からしか理解できないらしい。そりゃ無理なはずだ。
今は、世の中のことを試行錯誤しながら
よっちゃんが自分の目で見て感じて、世界を広げている大事な時期なんだ
と思うことにして、ただ起こった出来事を言葉にするインコのような母である。
普段よっちゃんがご飯を食べるときは、
必ず横に座って見守るようにしているのだけれども
見守っているだけのときにはどうしてもあれこれ言いたくなる。
「早くあむあむするよ〜」
「こっちのご飯と一緒に食べたら?」
とか。
けれど、
自分も一緒に食事をとっている時にはあれこれ言う暇なく食事を終える。
私のご飯もしっかりたいらげたいもので。
「美味しいねぇ〜!」と幸せな会話だけを繰り広げて、ごちそうさまをする。
自分が熱中できるもの(ここで言うところの食事)があれば、
子どもに固執することもないよねえと思ったりもする。
あれこれ言うよりも、
隣できちんと食事をしている大人の姿を見せるのが一番手っ取り早かったりする。
よっちゃんが言うことを聞かなくなっているのではなく、
多分、母である私が多くのことを言い過ぎている。そして、干渉し過ぎている。
*
保健師さんからの一言で彼は行動を改めた。
「保健師さん」という肩書きは、彼の意識をいとも簡単に変えてしまった。
結局のところ、
「何を言うかではなく、誰が言うか」だよなあ、と突きつけられた気分だった。
とはいえ、
私は旦那さんにとっての「保健師さん」にはなれないし、
よっちゃんにとっての「母親」以外にもなれない。
「ガミガミ言われて自分の自由を奪ってくる人」のレールに乗るのは避けたいところ。
2人にとってどんな存在になれるだろうか、と考えているけれど、
まだパッとした答えに出会えない。
せめて、
「一緒にたくさんの景色を楽しめる一番の味方」ではいたい。
まあ、5年も経てば経験値も増えて考え方も変わるから
言っていることも変わっていると思うけど。
だから、大きな声では言わないけれど。
何かあればすぐに共有したくなる、そんなオレンジ色のあたたかい味方でいたいなあ、と、今は思う。
オレンジ色ねぇ…