【純粋やす子批判】「とっても悲しい」は、核兵器並みの抑止力を持ち、フワちゃんは、(一機)死んだ。

割引あり

 なんだこのTOP画像。「炎上」で検索したAI生成のフリー素材だけど、おもろすぎだろ。この女は、火事場で、どんな感情でスマホもっとるんや。

 というわけで、今回は炎上ネタです。
 昨日からフワちゃんの騒動が、とんでもない展開になってきている。

 つい先日『オールナイトニッポン0』への出演が中止になり、その翌日にはGoogle PixelのCMが非公開対応、その後「待ったなし!」と言わんばかりのスピードで、即『オールナイト~』降板という怒涛のキャンセルラッシュで、『るろうに剣心』の斎藤一も驚愕の業界全体からの「悪即斬」ムーブに驚いていたところ、この活動休止の一報である。

いまさら経緯を説明はしないが、今回のSNS不適切発言問題は、令和のインターネットモラルを決定付ける象徴的なエピソードとして、日本芸能SNS炎上史(そんな史観があるのかは知らないが)に残る出来事であろう。

先に述べておくが、僕自身は今回の件に関して、どちら側のファンだとか、味方だとかいう立場ではなく、正直、両芸人ともに別段面白いとは思わない。ということを踏まえた上で、読んでいただきたい。

 今回はこの『フワちゃん×やす子事変』から考えるSNSのモラル問題と、芸人としての「粋」とは何なのか、を考えていく試みである。

少々長くなるが、この問題を忖度ナシで語っていくため、今回は途中から有料記事として公開します。

 また内容が、誰かを怒らせる可能性もあるため、この記事の購入をお考えの方は、拝読後、ただの罵詈雑言や、建設的でない誹謗中傷などは控えて頂くことを、ここで事前にお願いしておきます。

 記事のラインアップは、このような感じでございます。

【序章】言葉狩りから始まる、某Tubeが助長する「総健全社会」

 今回の事の発端であるフワちゃんの、やす子へのポストを引用した際の発言には「死んでくださーい」の一文があったわけだが、ここ数年で“死”や“殺す”という言葉の位置づけが、SNS上で変化している。

 それはYoutubeで如実に表れているが、会話の中で“死”“殺す”という表現が出る際に、いわゆる「ピー音」が入ったり、音声が不自然に無音になったりする。またテロップ上の文字は「〇んだ」「〇した」という表記になっているのを、誰もが一度は見たことがあるはずだ。

 これを見たとき、僕は「ハリポタのヴォルデモートかよ!」とツッコミを入れつつも、「とんでもない言葉狩りの世界が到来したな」と危機感を抱いた。
 生物はいつか必ず「死」という状況を迎えるのは明白だし、「殺す」という言葉が、誰かへの脅迫に使われるならまだしも、映画や文芸作品を語る上で「AがBを殺した」という類の文脈上の表現であっても、「〇した」という表現を敷くチャンネルが多かったからだ。死を思わせるネガティブ要素自体を規制するのは、社会を健全化するよりも、単純に「表現の妨げになるのではないか」と感じたからである。

 実はこの現象の発端は、Youtubeの定める「広告掲載に適したコンテンツのガイドライン」による位置付けに沿ったもので、いわば自主規制なのだ。
 しかしながら、このガイドラインに抵触する者は警告を受け、収益化が出来なくなったり、最悪、垢BANされかねない。

 またYoutubeで、日々増え続ける膨大なコンテンツを、人がいちいちチェックして回るわけにもいかない。よって動画内の内容から、死や暴力的な表現などのネガティブ要素を感知するのは、基本的にはAIによる精査が自動で行われるという具合である。

 つまりYoutuber達は、そのシステム内で監視を行うAI様に、ある意味では生殺与奪を奪われてしまっているのが現状であり、また世界中のどのような年齢や知性の人も、文化圏すらも無視して、基本は無制限かつ無料のYoutubeというプラットフォームの性質上、この規制は致し方ないともいえる。

 話は少し逸れるが、大規模市場での言葉規制の前例は、すでに米国の音楽シーンには存在する。

 「ペアレンタル・アドヴァイザリー(Parental Advisory)」という注意勧告義務制度で、未成年が聴くのに相応しくない、FuckやBitchなどの “汚言葉” が入る楽曲は、警告を示さなければならないというルールだ。
 よって公共放送で該当楽曲を流すときは、その部分を伏せたクリーンバージョンというものを使われる。

(その一例として、完全に著者の趣味でLimp Bizkitの『N2 gether Now』のクリーンバージョンを置いておく。“汚言葉”は、別の効果音が当てられているぞ! ↓)

 このような規制の例を思えば、いまや全世界を支配するGoogle様が管理するYoutubeという大プラットフォームに、何の言葉の規制がされないことのほうが、逆に異常だとも思えてくる。

 そうした言葉狩りを、Youtubeは(致し方なくも?)行うことによって、Googleという世界的グローバル企業としての社会性を、保とうと尽力しているわけだが、その功罪として「世界総健全化社会」の到来があるのではないだろうか。

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