見出し画像

人に興味があるかないか問題を考える

最近、いや、物心ついた時から悩んでいることがある。

それは、
『私は人に興味がないのではないか?』
ということ。 

いつもの通り、カフェでノートを開き、もやもやを書き出している中で、一つの結論に至ったので、それを書き記してみる。

人の輪に入れない自分

私は、なんだか人に好かれていない、というか、うまく人の輪に入れない自分というのを、ずっと感じてきた。

例えば仕事中、周りの人はさらっと雑談をしたり、仕事の話で簡単な会話のキャッチボールをしたり。
ごくごく自然と人と向き合っている。

私はというと、仕事に集中したい思いもあるけれど、なんだかそれがうまくできないのだ。

『私は人に興味がないのでは…?』
これまで何度も巡った思考が、また頭の中を駆け巡る。
興味がないから、こちらから話しかけることもないし、何かしてあげたいという気持ちも湧かないのでは?と。

私は人が嫌いなのか

その一方で、また私を悩ませる別の尺度が出てきた。
それは、
『私は人が嫌いなのか?』
ということ。

いや、それは違うな
おそらく、元来、私は人が好きな人間だ。

じゃあ、なぜ人に興味がない(と感じる)のだろう。
少しずつ見えてきた。

『人に興味はないけれど、自分がどう思われているかはすごく気になってる。』
『でも、人は好き。』 

ということは…

見えてきた、一つの仮説

『私は人に興味がないのではなく、興味を持つのが怖いのではないか?』

一つの仮説が誕生した。
小さい頃、初対面の人と向き合うのが苦手で、妹の陰に隠れてじっと相手を観察していた自分を思い出す。

そういえば。
『なっちゃんの人となり(良さ)を理解するのに時間がかかるよね。』
『なっちゃんって、何を考えてるかよく分からないことあるよね。』
こんなことを、同僚や友達に言われたことも思い出してきた。

分からない、は怖い

あー、そうか、私は。
・よく知らない相手を怖がる人
・自分の心のうちを人に見せるのが苦手な人
だったんだ。

だから、
・感情が分からない人
・何を考えているか分からない人
・扱いづらい人
になってるのではないか?

であるならば、私にまず必要なのは、きちんと自己開示することなのかもしれない。
『私は○○な人です。』
『私は△△という考えです。』
『私のポリシーは◾️◾️です。』

こういう、自分とは何か?ということを理解して表明している人は、一緒にいて安心する。

自分を曝け出すこと

ーーー分からないものは、怖い。

なんだ、みんな一緒じゃないか。
それなら私がやるべきことはただ一つ。
自分をきちんと開示することだ。

少し、ほんの少し、光が見えた気がする。

いいなと思ったら応援しよう!