AI川柳の現在地

 このブログでは、川柳について取り扱うことが多く、先日、季語に強い情緒を持たせず、心を詠んで、作者に憑依できるものが川柳だと、俳句と比較した時の川柳の特徴について、仮説を挙げました。この仮説もしばらく検討していないけど、何か面白い考察材料はあるでしょうか。
 先日のAI俳句の記事を書く時に、AI一茶くんについて調べていたら、同じ研究室でAI川柳を開発して、作品を公開しています。AI俳句についての著書自体は持っていて、積読にしていますが、レシピをぱっと読んでもちんぷんかんぷんでした。今回、データベースを見つけて、任意のキーワードでデータベースを引くと、AIがどのように俳句を出力しているかのがわかってきて、カードを作って取り出して、辻褄合わせをしているという段階に、今AIはいるのだと思いました。おそらく、川柳も同じ要領であると考えて、AI川柳の完成度を見てみたいと思います。
 学習データは、AI川柳を研究している調和系工学研究室によると、毎日新聞社の「仲畑流万能川柳」(60,252句)と、第一生命保険の「サラリーマン川柳」(8,394句)で、このブログの考え方では、コピーライティング寄りの川柳という印象です。

(参照)
共同研究 | 調和系工学研究室

 TwitterのTLから、AI川柳の実例を見てみましょう。

  駅伝の予想していた立ち話  AI川柳

(出典)


 「予想」、「立ち話」の連想が弱く、焦点がぼやけています。これではただの報告で、穿ちがないです。人間としてこの句を見た時、予想の内容をもう少し具体性を持たせて読んでみたいです。この作者には乗り切れないです。

  安全な場所で平和を祈っている  AI川柳

(出典)


 人気投票では、こんなどぎつい句を取りたくないし、取ったら取ったで、何か世の中に不満があるのか心配されてしまいそうです。でも、選者はこういう句を取り上げるべきだと思います。この辺りを言語化してみましょう。
 まず、平和を祈れるところは安全な場所でなければなりません。危険な場所で祈るのは平和ではなく、身の回りの安全や無事です。この深さで読みを止めれば、平板で当たり前なことしか言わない退屈な句だろうと思うでしょう。
 この句にちょっと毒気を感じたのは、「安全な場所で」というフレーズです。何かの当事者になった時、遠くからの無垢な考えを聞いて「何を言っているんだ」という抵抗感が時折あるでしょう。そこの「あるある」に引っかかることがあれば、読者の支持を受けなくても、選者は句を取り上げなくてはいけないと思います。
 この二つの句を同じ基準、同じレベルの句として見ると、人気投票(Twitterのいいねの数)に必要な作業と、選句に必要な作業は違うものであるように思います。人気投票をする読者は、自分の歴史との比較をして乗るかそるかをしなければならないし、選句をする選者は、句と社会を見つめて、色々な考え方からの体験を知りながら、社会平均の穿ちを知っておかなければならないと思います。その基準に照らせば、この句は選者に取り上げられるべき句であると思います。
 AIはごく平均的で当たり前のことしか言っていないつもりでしょう。しかし、偶然から、こうした副次的な効果が生まれてくるのが、短詩形の面白いところです。AIがどのように学習するか分かりませんが、川柳においても、価値判断はまだ人間の仕事であるようです。
 AIの成長度の結論としては俳句と変わらないので、目新しいこともなくて面白くないですが、本稿では特に川柳の価値判断(の仮説)を共有できればと思います。
 人間の感性に訴えかけるための最短の努力は、想像するAI川柳の創作手順では行われ得ないのですが、価値判断は、今のところ、読者の共感を学習する方法を取っているようです。川柳の選句は必要に思いますが、現段階のAIの性格を考えると、言い過ぎることが苦手そうなので、もしかすると穿ちが出来ないかもしれません。コピーライティング寄りの川柳が学習データに用いられているので、普通の川柳よりもキャッチコピー的な川柳を目指した方が良さそうです。具体的な目標としては、「みんなの川柳(サラ川)」や「シルバー川柳」のようなタイプの川柳を目指していくものになるでしょう。
 それでは、マーケティング的ではない昔気質の時事川柳をAIはどのように考えるのか。選句には補助が必要なままか、自律してしまうのか。自律したらAI川柳は果たして人間と遊んでくれるのか。子どもの成長にハラハラする親の気持ちです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?