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川島四郎とフードファディズム

前回の記事では川島四郎かわしましろうという日本陸軍で軍用糧食の研究をしていた職業軍人の栄養学者が、戦後の1971年前後に小谷正一こたにまさかずという当時マスコミに太いパイプを持っていた人物との偶然の出会いによって新聞やテレビなどで発言する機会を得て、その時にしゃべった根拠の曖昧な主張が日本人にカルシウム不足がイライラの原因になるという迷信を植え付けたのだ、という経緯をご説明しました。まだ下のリンク先の記事を読んでいない方は是非ご一読をいただければ幸いです。

1972年以後の川島四郎の活躍

1972年の毎日新聞の全12回のインタビュー記事を皮切りに川島四郎は栄養学の権威として人気を博していきます。真っ先に考えられる人気の秘訣は話のネタが豊富で文章もうまくて面白かったからでしょう。昭和の大プロデューサー小谷正一の人を見る目は伊達ではありません。また、教えていた大学が夏休みに入ると毎年アフリカに研究旅行に行って現地の部族と同じものを食べて暮らし、食生活の調査をするというバイタリティの塊のような人柄もマスコミの興味をひいたと思います。
しかし川島四郎の名声と影響力がこの後どんどん高まっていった最大の要因はこの人がとても健康で長生きしたことでしょう。1972年の時点で川島は77歳でしたが、没年は1986年で91歳で亡くなっています。しかも死因は毎年恒例の調査旅行先のアフリカでマラリアに感染して死去というものです。普通の91歳はアフリカでマラリアにかからないのでいかに最晩年まで川島が元気に活動していたかがこの一事からも伺えます。
こうした自らの健康と長寿をアピールすることで川島は自説の正しさの証明としていきました。「自分の提唱する健康法は正しい、エビデンスはそれを実践している俺」というわけですが、こういうわかりやすさはマスコミにとても効果的です。川島が88歳のときの1983年3月17日には「徹子の部屋」に一般人でありながら出演するほど活躍の場を広げていました。(日付はこのツイートを参照)
そしてちょうどこの頃、川島の栄養理論の世間への浸透を決定づける連載が始まります。漫画家サトウサンペイとの共著の企画です。この時すでに朝日新聞で4コマ漫画のフジ三太郎を18年連載していたサトウサンペイは抜群の知名度を持つベテラン漫画家でしたが彼との縁も小谷正一の紹介によるものでした。そもそもサトウサンペイが漫画家としてデビューしたのは彼がまだ大丸の宣伝部員として働いていた時に小谷正一が自身が編集局長を務める新大阪新聞に4コママンガを依頼したことがきっかけで、この時の事情は電子書籍の『フジ三太郎とサトウサンペイ(1)』に「小谷正一さんはぼくの漫画の発見者」という題のインタビューで述懐されています。そんな恩人のような存在の小谷が後押しする川島四郎に自分も何か協力しようと企画を提案した経緯が『フジ三太郎とサトウサンペイ(18)』のインタビューに収録されていたので少し引用してみましょう。

池ちゃん 今回はいよいよ川島四郎先生にご登場いただきましょう。サンペイさんが川島さんと知り合ったのも、小谷正一さんに紹介されたからなんですね。
サンペイ そう、小谷さんがイタリア旅行をしたときの一行の中に、食事が終わると市場をのぞきに行って「イタリア人は青い野菜をたくさん食べていることがわかり、安心しました」などと言っているおじいさんがいたので、興味を持ったんだね。それが元陸軍主計少将の栄養学者、川島四郎先生だった。
 (中略)
すごいよね。だから、小谷さんもいろいろ応援していたんだ。
池ちゃん それで、サンペイさんも、何かお手伝いできないかと。
サンペイ うん。先生の考えを少しでも多くの人に知ってもらえるよう、例えば、先生の著書にぼくが描いた漫画をつけるとか、そういう形で日本人の健康に役立てないか、小谷さんに提案してみたんだ。
(引用者注:池ちゃん=池辺史生氏)
サトウサンペイ『フジ三太郎とサトウサンペイ(18)』、ジェイ・キャスト、2013年、298-305頁

こうして1983年にサトウサンペイが生徒役、川島四郎が先生として「おもしろ栄養学講座」という連載が朝日の健康雑誌「フットワーク」で始まり、それは1985年に『食べ物さん、ありがとう』という本にまとめられ翌年の1986年には朝日文庫に収録されます。

『食べ物さん、ありがとう』朝日文庫版、書影

川島四郎の長年の主張がサトウサンペイによるたくさんのイラストで表現されたこの本はベストセラーとなりました。特に朝日文庫の方はロングセラーとして後々まで売れ続け、今手元にある文庫本は奥付に1992年第13刷発行と書いてあります。
もちろん例のカルシウム不足がイライラの原因となるという説もサトウサンペイのわかりやすい挿絵で表現されていて(下に引用して掲載)、迷信の起源という意味では1972年の毎日新聞の記事がそれに当たりますが、迷信の日本人への普及・浸透という面ではこの共著が決定的な役割を演じたことは間違いありません。そしてこの本の中でも、カルシウム不足がイライラの原因となる根拠として示されたのは1)連合赤軍の食事 2)モルモットの凶暴化 3)ヒステリーの女性にはカルシウムが注射される、の3点です。

川島四郎・サトウサンペイ『食べ物さん、ありがとう』、朝日新聞社、1986年、88頁

川島四郎の栄養理論とは

さて、この記事のここから先ではそもそもなぜ川島四郎がカルシウム不足がイライラにつながる、と主張するにいたったかを解説しようと思いますが、なにぶんトンデモ学説についての話になるのでどこが間違っているかの説明を中心にして、川島の理論を細かく紹介することはしません。ニセ科学ウォッチをしているつもりがミイラ取りがミイラになってしまうようなリスクはできるだけ避けたいのです。ですから本格的に調べたい方はご自分で川島の著作にあたっていただければと思います。でも川島四郎の本は面白いですからね、十分に気をつけてください。

フードファディズムとは何か

まず具体的な説明に入る前に記事タイトルにもしている「フードファディズム」という概念について紹介したいと思います。フードファディズム(food faddism)とは「食べものや栄養が健康や病気へ与える影響を過大に信奉したり評価すること」であり、アメリカで生まれた言葉を高橋久仁子たかはしくにこという食生活教育の専門家が日本に紹介したものです。“fad”(一時的流行)という言葉通り、例えばテレビで〇〇という食品が体に良いと紹介された翌日に店頭から〇〇が無くなる、というような事態を指して使用する場面が多いですが、もう少し広く「独自の理論にもとづく特殊な食事法を推奨すること」なども含む概念として理解されています。川島四郎は自分の長寿と健康は「アルカリ食健康法」のおかげであると喧伝してそれを推奨する著作を何冊も世に送り出しました。当時はもちろんフードファディズムなんて概念は日本に知られていませんでしたが、現在の眼から見れば川島の一連の活動はフードファディズムだったと評価されるのは間違いないでしょう。その理論について知っておくことは同じ陥穽にはまることを避けるためにきっと役立ちます。では川島の著作からその内容を見ていきたいと思います。

アルカリ食健康法とその間違い

川島は自身の提唱するアルカリ食健康法の真髄は「体液や血液を微アルカリ性にする栄養をとること」だと書いています。人体を流れる血液は微アルカリ性ですが、我々が日頃口にする食事の中にはこのpH値を酸性へと傾けてしまう種類の食べ物があり、体液が酸性方向へ傾くと血液が濁ってドロドロになり、これが万病や老化の元となる、というのがその大まかな内容です。だから全ての食品を血液を酸性へと向かわせる酸性食品とアルカリ化させるアルカリ食品とに分別し、酸性食品を避けてアルカリ食品を積極的に食べるべきだと読者に訴えたのです。
次の説明に移る前に取り急ぎこの理論がどう間違っているか指摘しておくと、1)料理に使う量や調理過程も違えば消化吸収のプロセスや吸収率も違う様々な食品を、含有するミネラルによって酸性食品とアルカリ食品に分類することは無意味であること 2)そもそもホメオスタシスによって健康な人間の血液のpH値が7.35~7.45の間で保たれていることを軽視していることが挙げられます。
なぜ栄養学者である川島四郎がこのような間違った食事法を推奨してしまったかというと、実は川島は当時の標準的な栄養学の教科書ではなく、片瀬淡かたせあわしという人物が提唱した「血液酸塩基平衡説」という学説を参照して独自の理論を提唱していたからです。片瀬淡とは、1931年の大阪帝国大学設立時に病理学を担当した医学博士で、要するに現在の大阪大学の前身となった大学で戦前に医学部の教授をしていた人物です。片瀬教授は健康の維持・増進には血液を弱アルカリ性に保つことが重要であるという考えをアシドーシスとアルカローシスという医学の専門用語を使って表現するのですが、これがかなり問題含みの用語法となっているので節を改めて整理します。

アシドーシスとアルカローシス

まず通常の医学分野でのアシドーシスとアルカローシスという用語について簡単にご説明したいと思いますが、私は専門家ではありませんのでより正確を期するならばMSDマニュアルの酸塩基平衡のページを参照していただければ助かります。
さて、我々の体内に流れる血液はわずかにアルカリ性で、pH値の正常範囲はおよそ7.35~7.45の間という狭い範囲にキープされています。この調節を担う主な臓器が肺と腎臓ですが、この調節機能がうまく働かず血液のpH値が正常範囲よりも低くなることをアシドーシス、高くなることをアルカローシスと言い、どちらも治療が必要とされる異常な状態のことを指します。呼吸を例に取りますと、重度の肺炎などで肺から二酸化炭素が放出されないと血液のpH値が正常範囲を下回ってアシドーシスとなり、過呼吸で肺から二酸化炭素が過剰に排出されると血液のpH値が正常範囲より高くなってアルカローシスになるというような具合です。要点として覚えておきたいのは血液のpH値の正常な範囲である7.35~7.45から酸性になってもアルカリ性になってもダメ、というのが大事なポイントです。
次に片瀬淡が提唱した「血液酸塩基平衡説」の独自な用語法でのアシドーシスとアルカローシスについて説明します。とはいえ、1930年代に発表されたトンデモ説でありますので雑に一言で説明してしまうと、アシドーシス=病気、アルカローシス=健康ということです。通常の人間の血液はpH値が7.35~7.45ということで正常範囲が微アルカリ性ですが、この状態のことを片瀬はアルカローシスと呼び、不健康な時には必ず血液が酸性化(アシドーシス)していると片瀬は考えました。よって健康を維持するためには血液や体液を常に微アルカリ(アルカローシス)に保つ必要があり、そのためにはアルカリ性のミネラル、特にカルシウムを多く摂るとともに、体液を酸性にしてしまうような食物を避けることが肝要であるというのが片瀬の学説です。しかし食事以外にも片瀬が言う血液を酸性にする因子は数多く、入院する患者の付き添いの人が家族だとアルカローシス(健康)、金で雇われた看護婦だとアシドーシス(不健康)などと、そんなくだらん理由でいちいち採血されてpH値を検査されてたまるか!と言いたくなるようなことを報告しています。ともあれ、通常医学では治療の必要な異常な状態であるアルカローシスを健康であるための望ましい状態として表現しているのでここが混乱の元になるところです。片瀬淡は1948年に65歳で亡くなりますがその学説は『カルシウムの医学』としてまとめられ、人間医学社の創始者大浦孝秋おおうらたかあき柳沢文正やなぎさわふみまさ医師といった人物らによって民間で流布されて信奉されつづけました。そして1970年代に川島四郎のアルカリ食健康法として日の目を見ることになったのです。

川島は片瀬学説を踏まえて血液が酸性に傾いた状態だとする「アシドーシス」を「カルシウム欠乏状態」と読み替えて説明しました。1977年の著作『これではいかん!カルシウム不足の日本人』の中では片瀬の『カルシウムの医学』からカルシウムが不足しているときに起こる疾病のリストを引用しています。その画像と、アシドーシス時に人体に起こるとされる症状を書き出してみます。

川島四郎『これではいかん!カルシウム不足の日本人』美寿実出版部、1977年、20-21頁
 カルシウム欠乏時(アチドージス)の症状
1.骨系統の発育は障害をうけ、一種の骨脆弱症をおこす
2.身長はヒョロ長くなる
3.胸部狭長、鳩胸漏斗胸となることがある
4.筋肉の発育きわめて不良
5.筋肉の緊張力は低下し、弛緩する
6.筋肉の作業能力が低下する
7.疲労しやすく、回復が困難である
8.赤血球は滅少して貧血となる
9.白血球は減少して食菌能は減退する
10.血小板も減少、血液凝固は遅延する
11.自然及び自働免疫体の発生不良となる
12.結核菌の発育に適す
13.心臓発育不良・小心臓・滴状心臓となる
14.心臓機能の低下
15.心臓毒に対して抵抗力が弱い
16.大動脈の発育不良、管腔が狭い
17.大動脈の弾力性は減退する
18.小血管の機能が不良
19.低血圧となる
20.歯牙の発育は不良となる
21.ムシ歯にかかりやすくなる
22.歯槽膿漏にかかりやすくなる
23.胃の減酸症ないし無酸症をおこす
24.腸のぜん動運動低下で便秘になりやすい
25.肝臓機能が低下する
26.気道粘膜のせん毛運動が低下する
27.鼻疾患にかかりやすくなる
28.ガス代謝が不良となる
29.呼吸が浅くひんぱんとなる
30.肺結核にかかりやすくなる
31.脳発育が不良
32.先天性脳水腫をおこす
33.脳神経細胞の興奮性を亢進する
34.精神疲労しやすく回復がおそい
35.神経衰弱症、精神病にかかりやすい
36.一般に内分泌腺の発育は不良、機能は低下する
片瀬淡著『カルシウムの医学』より
川島四郎『アルカリ食健康法 清浄体質と長寿を支える日本の知恵』光文社、1982年、17頁

体液が酸性に傾くこと(アシドーシス)が万病の元と豪語するだけあってたくさんの症状が列挙されていますが、33番目に「脳神経細胞の興奮性を亢進こうしんする」という項目があります。これこそ川島四郎がカルシウム不足がイライラの原因になると主張した、その根拠です。そしてこのリストが根拠であるがゆえに、川島がカルシウム不足がイライラの原因になるという主張をしたこと自体が偶然の産物で、1972年に連合赤軍の事件が起きたからこその出来事であったと言うことが出来ます。どういうことか、次節で整理します。

“イライラ”は「アシドーシス」の症状の一つだった

まず前提として押さえておきたい事実は、統計から見た平均的な日本人はカルシウムが不足しているということです。厚生労働省は年齢や性別に応じて必要とされる栄養所要量を発表しており、その基準を満たしているかを充足率という数字で表しますが、大体の世代や性別でカルシウムは100%に到達しておらず、平均的な日本人は戦後の食糧難の時期から経済成長を経た飽食の時代と言われる時期まで一貫してカルシウムを十分に摂取できていないのです。
よってカルシウム不足が“酸性体質”の原因となって様々な症状を引き起こすと信じている川島からすればほとんどの日本人は片瀬のリストにあるような症状を抱えていることが自明の前提で、日本の社会問題や大きな事件は“日本人全体の酸性体質“の帰結として理解されるのが当たり前のこととなります。それに加えて「アシドーシス」が引き起こす症状として列挙されるあの長いリストを見れば、日本で発生して新聞で報道されるような大概の事件はカルシウム不足を原因にできるでしょう。川島はカルシウム不足がイライラの原因となる根拠として連合赤軍がちゃんとカルシウムを摂取していなかったことを挙げていますが、これは主張と根拠の発生の時系列が全くの逆で、元々「アシドーシス」が脳神経細胞の興奮性を亢進するという片瀬学説を信奉していた川島が連合赤軍の食事を調査しに行ってその信念を強固にしたというだけのことです。
だから前回の記事で1972年8月のインタビューがカルシウム不足=イライラ説の起源であると断言できたのもこれが理由となります。1972年8月に世間が注目していたのが連合赤軍事件だったゆえに数ある症状のリストからカルシウムの欠乏は精神を不安定にさせ凶暴にさせる、という項目をピックアップしてきたのですから、その主張の初出が連合赤軍事件よりも昔に遡るはずがないからです。そして私が“主張したこと自体が偶然の産物“と先ほど言ったのも、例えばもし直近の大事件が有名人が突然自殺したとかだったら川島は先ほどのリストの35番目の「神経衰弱症、精神病にかかりやすい」という項目からカルシウム不足はメソメソの原因になるとか、気分の落ち込みを治すにはカルシウムをとるべきだと主張していたに違いないと考えるからです。
また、これで3番目の根拠「お医者さんはヒステリーの女性にカルシウムの注射をする」という話の謎も解けました。医学博士であった片瀬淡は退官後にロサン病院という療養所を開設しましたし、片瀬学説を継承した柳沢文正という医師は1985年に亡くなるまで柳沢成人病研究所というクリニックで医療行為をしていました。特に片瀬は妊娠出産の時期の女性にカルシウムが不足する場合に注目していたので、今でいう産後うつなどの精神状態も出産で胎児にカルシウムを取られすぎて血液がアシドーシスになってヒステリーになったのだと発表しました。前回の記事ではそんな注射は保険適用外だろうと一笑に付しましたが、特殊な信念に基づき自由診療でカルシウム注射を打つ医者は確かに存在しただろうと言わざるを得ません。ですがそれを根拠として採用することはやはりできないでしょう。(念のために補足しますと、妊娠出産で母体から胎児にカルシウムが多く移動するために母体がカルシウム不足になるというのも俗説という見方が今では一般的です。詳しくは信頼できる公的な情報をご参照ください)
さて、前回の記事とここまでで川島四郎がカルシウム不足がイライラの原因になる説の発信元であり、それは戦前の非主流派の医学説を支持していたがゆえの主張だったことをご説明しました。最後にこの説が広範な広がりを見せた理由とその悪影響について書きたいと思います。
私は栄養学業界とは縁もゆかりもない部外者で、しかも一昔前の話ですから臆見混じりの内容になってしまいますが、栄養学の研究者共同体がカルシウム不足=イライラ説の伝播に一役買ったことを状況証拠から推理していきます。

栄養学の黒歴史としての川島四郎

インターネットには「カルシウム不足がイライラの原因になるというのはウソ」と丁寧に説明してくれている企業や医療機関のサイトがいくつもあって中にはTBSテレビの番組のように迷信の起源まで考察しているものもあるのに、なぜそれらは川島四郎に言及することがなく、このnoteだけが川島四郎がこの説の起源だと言い張っているのでしょうか。真っ先に考えられるのはこの記事を書いている人物が自分だけが「真実」を知っていると思い込んでいる気の毒な人であるという可能性ですが、もしそうではないとしたらどのような可能性が考えられるでしょうか。
私は栄養学の学者コミュニティがしでかした2つのやらかしが現在まで尾を引いているのがその原因だと考えています。まず(1)アルカリ食健康法への批判をちゃんとやらなかったこと、そして(2)カルシウム不足がイライラの原因になるという主張を利用しようとしたことの2つです。

(1)アルカリ食健康法への批判をちゃんとやらなかったこと

一つ目のやらかしに関してはいきなりで恐縮ですが、私が見つけきれていないだけで本当は川島の生前から彼のトンデモさを指摘する学者がいたのかもしれません。ですが管見の限りでは名指しで批判する記事などを見つけられませんでした。
前回の記事からこの点を強調していますが、川島四郎がその後半生にメディアに露出しだしたのは小谷正一というマスコミに強い影響力をもつ人物との個人的な出会いがきっかけでした。その突然のチャンスを利用してアルカリ食健康法という間違った食事法を広めたとしても、それは基本的には川島個人の責任に帰するものであって栄養学業界は別に責められる謂れはないはずです。そこそこ偉かった先生が退官後に名誉教授の肩書きでマスコミに妙な記事を書きまくる(専門分野、非専門分野にかかわらず)というのは現在でもままある出来事ですが、現役の忙しい研究者がそうした非専門メディアに掲載されたヨタ記事をいちいちチェックする道義的責任があるように言い募るのは現実的でも公正でもないでしょう。
とはいえ、川島は91歳で亡くなるまで複数の大学や短大、栄養専門学校で教壇に上がり続け、多くの雑誌連載を抱えていました。後知恵ではありますが影響力の大きさを考えるならばちゃんと否定をしておくべき相手であったと思います。
現在でも食品を酸性食品とアルカリ性食品に分ける考えを批判するときに引用される、基本文献ともいうべき『アルカリ性食品・酸性食品の誤り』という本があります。これは国立栄養研究所(現在は国立健康・栄養研究所)という日本の栄養行政の中枢を担う組織が監修し、当時そこの食品科学部長であった山口迪夫やまぐちみちおが執筆して1987年の3月に刊行されたものですが、川島四郎が亡くなったのが1986年の12月であったことを鑑みると、やはり生前には表立って批判しにくかったのではないか、と思えてなりません。
なぜ川島への批判がしにくかったのかというと、変則的ではあっても東大の鈴木梅太郎門下の学者であったこととその特殊なキャリアから栄養学の偉いセンセイたちとの伝手があったことが考えられます。例えば、川島の死後にはきっちり酸性・アルカリ性食品理論を否定した国立栄養研究所ですが、その所長を1951年から1965年まで務めた有本邦太郎ありもとくにたろうは戦時中に川島の尽力で徴兵を免れた過去があったことがこのブログで紹介されています。それに川島四郎への批判がなかったのも、上層部が直接的に圧力をかけたりとかではなく「学界の外でいい加減なこと言ってるだけだし放っておこう、あの人ももう先が長くないだろうし」と思っていたら91歳まで元気にトンデモ説を発信し続けたというのが一番実態に近いのではないかと私は推測しています。論文などで発表された理論でもないので、批判を加えなかった栄養学コミュニティをあまり責めることもできません。しかし結局は川島を10年以上ほったらかしにした大きなツケを払うことになり、それについてはまた後で書きます。
それよりもさらに問題だったのは川島の理論を野放しにしただけでなく、栄養学業界がそれを利用しようと試みて失敗したことです。

(2)カルシウム不足がイライラの原因になるという主張を利用しようとしたこと

川島の著作を読めば川島四郎の正確な主張とは「カルシウムに代表されるアルカリ性のミネラルを摂取しないと血液がドロドロの酸性の状態になり、ひいては脳神経細胞の異常な興奮状態などの諸々の症状を引き起こす」というものであることは一目瞭然です。ですがこのままの内容では流石に受け入れられなかったであろうこの主張を、「カルシウム不足がイライラの原因となりうる」というふうに言い換えることでこれを科学的な仮説、しかも有力な仮説として受け入れた人々が栄養学者の中にいました。
川島が根拠の(2)として挙げたモルモットの凶暴化ですが、あれは2つの群に分けたモルモットの発育を比較する実験の時にやたらと噛みつかれたなぁ、という単なる思い出話のような代物でした。しかしこのエピソードについて、カルシウムとストレスの関連性を測る実験だったように扱い、ラットで追試や検証を行なって論文として発表する、あるいは栄養学とは直接関係のない生化学の教科書から細胞外液中のカルシウムイオン濃度が神経伝達物質の放出に影響を与えるという記述を引用しカルシウム不足がイライラの原因となる機序として説明するということが栄養学の内部でおこなわれ、次第にこの説に学術的な裏付けがあるように思われるようになりました。
こうした動きの背景には平均的な日本人はカルシウムを十分に摂取できていないという事実が大きく関わっていると思われます。年齢・性別の違う幅広い層に積極的にカルシウムを摂取するよう呼びかけるのにこの説は都合が良かったのでしょう。ある意味で“しつけ“にニセ科学を利用したケースの最初期の一例として見ることも可能でしょう。

以上で示した2つのやらかしの悪影響はただ単にカルシウム不足=イライラ説の浸透と延命に一役買っただけでなく、さらに問題のあるフードファディズムの温床を準備してしまいました。それはニセ科学の定番ジャンルである砂糖有害論のうちの一つで、日本オリジナルの説と言われる「カルシウム欠乏論」です。

砂糖追放運動との理論的合流

まずはじめに高橋久仁子さんの著書から「カルシウム欠乏論」の解説を引用します。

 砂糖を食べるとカルシウムが欠乏する? 
「砂糖のとりすぎはカルシウムを奪い、骨を弱くする」という風説が蔓延しています。「砂糖をたくさん食べると血液が酸性になる」とか「砂糖は骨の中のカルシウムを溶かしてしまう」、あるいは「牛乳に砂糖を入れるとカルシウムが無駄になる」と思っている人は多数にのぼります。
 栄養学の専門書では見かけたことのない話ですので、理由を知るのに苦労しましたが、これは某大学教授が繰り返し一般書に書いている「砂糖はビタミンB1を含まないので、たくさん食べるとB1が不足し、ピルビン酸が増えて血液が酸性になる。これを中和しようとして骨の中のカルシウムが溶け出し、尿中に排泄されてしまう」という説が出所らしいということがわかりました。 これは1930年代後半から、ある学者によって唱えられていた「酸性食品である砂糖を食べると、体の酸性化を防ぐために、カルシウムが中和の目的で消耗する」という説を継承したもので、「砂糖の脱カルシウム作用」として、1980年代はじめにマスメディアによって大きく紹介され、全国的に広まったようです。
 砂糖をはじめブドウ糖やデンプンなど、糖質がエネルギーとして利用されるには、ビタミンB1が必須です。砂糖がビタミンB1をまったく含まないことは事実ですが、ご飯やパン、めん類などの穀類も、それ自体が含有するビタミンB1量では糖質代謝には不十分で、不足するB1は副食から摂取しなければなりません。砂糖の大量摂取で脚気になる、というのでしたらまだ納得できますが、「酸性になった血液を中和するために骨の中のカルシウムが溶け出る」とは不可思議です。 
 また、酸性食品、アルカリ性食品をもち出すこと自体どうかと思いますが、炭素、酸素、水素だけから構成される砂糖を、酸性食品と決めつけている点もナンセンスです(21ページ、無機質の項で述べたことですが、酸性食品、アルカリ性食品の区分は、食品中の無機質含量をもとにしていますので、無機質を含まない砂糖についてこの類の議論をするのはまったく意味はないのです)。
 食に対して漠然とした不安を抱く消費者は、一見科学的に説明されるとそんなものかと思ってしまい、深くは問わないまま「砂糖はカルシウムをダメにするらしい」と思い込んでしまうのでしょう。
高橋久仁子『「食べもの情報」ウソ・ホント』、講談社、1998年、38-40頁

ここに書かれている一般書を書いた某大学教授というのは田村豊幸たむらとよゆきという人物です。田村豊幸は日本大学松戸歯学部で薬理学を担当する教授として勤務する傍ら、薬の副作用についての一般書を数多く執筆していました。1960年代にはサリドマイド事件などがあり、当時の世間一般の薬害への関心は胎児への悪影響が主要なものでした。そんな中で田村は1979年に『奇形児はなぜ』という本を発表します。生活習慣から薬害によるものまであらゆる事象の催奇形性を強調する、よしんば興味を引かれてもあまり読まない方がいいようなヤベェ本ですが、図書館から借りたものは1997年43刷発行と書かれています。不安便乗ビジネスといっていいでしょうが、大衆の漠然とした心配事をセンセーショナルに煽る本はヒットするとデカいですね。そしてこの本の中で白砂糖の食べ過ぎが奇形を生むとして紹介されたのが片瀬淡の研究でした。
先ほどの引用文中の「1930年代後半から、ある学者によって唱えられていた」という部分のある学者、これが片瀬のことです。前に引用した「アシドーシス」で起きる症状リストの31番が「脳発育が不良」そして32番が「先天性脳水腫をおこす」というものだったのをご確認いただければお分かりになる通り、片瀬はカルシウムが欠乏した酸性体質に妊婦がなると胎児に障害が発生すると考えていました。
こうして砂糖が奇形を生むという学説から片瀬淡の「血液酸塩基平衡説」にリーチした田村豊幸は、以後精力的に砂糖の有害性を喧伝するとともに、食べ物を酸性食品とアルカリ性食品に分けて血液をアルカリ性に保とうという理論も発信していきました。1981年には『カルシウム欠乏症ー砂糖の副作用ー』という本にその主張をまとめています。日本大学歯学部に勤めていた関係からか、田村豊幸の砂糖有害論及びアルカリ性食品礼賛理論は開業医の歯医者のネットワークで拡散されていきました。1980年代を通じ街の歯医者さんの待合室に置いてある薄い小冊子によって栄養に関する疑似科学がどんどん広まっていった歴史はなかなか調査のしがいがあるテーマかもしれません。
ちょっとアレすぎるので田村豊幸の著作は『奇形児』と『カルシウム欠乏症』しか確認していないのですが、どちらの本にも川島四郎の名前は出てこず、田村の主張に川島が影響を与えた事実は認められませんでした。それに同じ片瀬淡の理論をバックボーンにしていても、川島四郎はそこまで白砂糖を有害視していません。なぜ片瀬の理論を土台にしていながら川島があまり砂糖を悪く言わなかったのか、確かなことはわかりませんが、私の憶測では川島が酒もタバコもやらなかった代わりにかなりの甘党であったことが影響しているのではないかと思います。毎日の朝食がわりのコーヒーに大きな角砂糖を3ついれてそれを2杯飲むという本人の証言もありますし、1969年に人工甘味料のチクロが発ガン性があるとして禁止になった時にはチクロ擁護の論陣を張ったこともありました。
しかし、たとえ川島自身は砂糖有害論にはくみせず、田村が片瀬学説に辿り着いたのも川島とは無関係であったとしても、川島四郎がメディアで繰り返しアルカリ性食品の摂取を推奨したことが砂糖有害論が根付く土壌を準備したことは否定できないでしょう。
私は川島が説いた栄養理論は二つの面で次の世代のフードファディズムの先駆けとなったと言えると思います。一つはもちろん片瀬淡の学説に基づいて食品を酸性・アルカリ性に分ける考えを提唱したこと。そしてもう一つは食品の向精神作用を強調してその食品の摂取をコントロールしようとしたことです。砂糖有害論には色々な説がありますが、その一つに「反応性低血糖症説」というものがあり、一言で言ってしまえば白砂糖を食べすぎると精神病になったりキレやすくなったりする、というものです。イライラを抑えるためにカルシウムを摂取しようという呼びかけも、キレやすくなるから砂糖を控えようという呼びかけもどちらも同じようにニセ科学を利用したしつけだと言えるでしょう。特に砂糖有害論の説の方は1998年に中学校の教師が男子生徒にナイフで刺殺されるという傷ましい事件が起こった時、新聞に白砂糖の食べ過ぎが原因だったのではないかという分析記事が掲載されるということがありました。非行やいじめなどの深刻な問題が生じたときに実効性のある解決策ではなく、こうしたニセ科学のせいで検討があさっての方向へ行ってしまうのは実にマズい事態です。結果的に連合赤軍の件では問題の大きさが段違いだったのでスルーされましたが、カルシウム不足がイライラの原因になるという川島の主張も一歩間違えばこの1998年の解説記事のようになっていた可能性もあったかもしれません。
さて、ここまで「栄養学の黒歴史としての川島四郎」と題して論考を進めてきましたが、川島の言論活動が残した影響の大きさについてその程度を推測できるものに、やや古いデータですが次のような調査があります。

栄養学の亡霊

高橋久仁子の2003年の著作『「食べもの神話」の落とし穴』では食べ物を酸性食品とアルカリ性食品に分ける説の否定に章の一節を充てて論じていますが、その冒頭部分でとあるアンケートが紹介されています。

 あなたの血液はアルカリ性? 〜アルカリ性食品と酸性食品編
栄養学者が口を酸っぱくして「食品をアルカリ性、酸性に分けるのは無意味である。アルカリ性だから体にいい、酸性だから体に悪い、というのも根拠のない風説である」と言っているにもかかわらず、「アルカリ性食品は体にいい」という神話が食べものや飲料の宣伝に相変わらず使われています。
 1996年に私が行った成人(2250人)を対象とする調査で「アルカリ性食品は体にいい、酸性食品は体に悪い」という説を信じる人はおよそ54%でした。「食生活に配慮している」と自己評価する人では59%が、そうでない人では49% がこれを肯定しており、食生活に気を使っていると自認する人の方が信じやすい神話であることを示す結果でした。
 職業集団別に検討したその前の調査(1995年)では一般成人(302人)の55% 、看護婦・保健婦(168人)の50%、保健体育教員(64人)の47% がこれを信じており、さらに家庭科教員(34人)と栄養士(133人)ではそれぞれ24% 、23% が信じているという結果でした 。一般成人より学校教育・医療関係者の方が低い肯定率とはいえ、学校や病院で「アルカリ性だから体にいい」と言っている人たちがいることを物語る結果と解釈せざるを得ません。
高橋久仁子『「食べもの神話」の落とし穴』講談社、2003年、151-152頁

1995年頃には家庭科教師と栄養士でも4人に1人はアルカリ性食品は体にいい、と思っていたという衝撃の結果ですが、91歳で亡くなるまで4つの大学や短大で講義を持ち13の雑誌連載を抱えていた有名栄養学者がトンデモ理論を唱えてるのを10年以上も放置してたんだから、そらそう(いうアンケート結果になる)よ、という気がしないでもないです。それは高橋久仁子先生も百もご承知で、この節の終わりをこう結んでいます。

 「アルカリ性」をうたう飲食物の背後には、栄養学の亡霊が徘徊しているようです。「アルカリ性だから体によい」を宣伝文言に持ち出している商品は、売る方の知識もあやしい、うさんくさいものとみなして間違いないでしょう。
高橋久仁子『「食べもの神話」の落とし穴』講談社、2003年、156頁

栄養学の亡霊。これは川島四郎のことなのか、川島をきちんと批判できなかった栄養学業界の気まずい歴史のことなのか、あるいは全く別の何かなのか真意は高橋先生ご本人にしかわかりませんが、どうも亡霊はまだそこらへんをウロウロしているように思えます。
私はこの記事中で高橋先生の本では名前を出さずに解説されていた疑似科学について提唱者の名前をあげて紹介していますが、もしかしたらそれ以上の拡散を防ぐためにあえて高橋先生は実名を上げなかったのかもしれません。ですがインターネットのどこかにこうした名前をきちんと挙げてまとめた記事があるメリットはデメリットを上回るだろうという判断のもとで後半部分は執筆しました。
フードファディズムについて学術的に整理した『栄養と行動:新たなる展望』という米国の本には「栄養と行動の関係に関する昔の信念を認識する重要性は歴史的な意義があるのではなく、それが現代においてもなお継続していることにある」という一節があります。どうも洋の東西を問わず、食べ物や健康に関わる迷信や神話というのは一度社会に広まるとそう容易には拭い去られることがないというのが世の常のようです。どれくらいの規模と影響力があるのかいまいち不明ですが、現在も酸性食品・アルカリ性食品の区別をしている人々がいることは検索をすればなんとなく見えてきます。過去にどのような主張があって人々がこうした神話を信じるようになったのか調べて書いておくのは現在においてもまだまだ意義があるといえるでしょう、残念ながら。

記事の終わりの補足として、カルシウムの向精神性作用はウソであったにせよ、依然として平均的な日本人はカルシウム不足気味であることは現在でも変わっていないため、意識的に毎日カルシウムを摂取することはとても良いことだと思います!牛乳なんかは特にオススメです!
あと、食品中の無機質含有量をもとにしてアルカリ性食品と酸性食品に分類するのは無意味だということも再度強調しておきたいと思います!食品中の各ミネラルは吸収率が異なる上に消化吸収されたミネラルのすべてが酸・アルカリ反応に関与するわけではなく、しかも体内の血液のpH値はホメオスタシスで7.35~7.45の正常範囲に保たれているのです!アルカリ性食品は体に良いと思っているお友達を見かけたら友達同士で注意し合いましょう!

え、最後になんだか説教臭いことを言い出して鼻につきますか?
まあまあそんなイライラしないでください。
ところで、カルシウムは足りてますか?

<参考文献>

川島四郎『まちがい栄養学』、毎日新聞社、1973年
川島四郎『続 まちがい栄養学』、毎日新聞社、1973年
川島四郎『これではいかん!カルシウム不足の日本人』、美寿実出版部、1977年
川島四郎『たべもの心得帖』、毎日新聞社、1982年
川島四郎『アルカリ食健康法 清浄体質と長寿を支える日本の知恵』、光文社、1982年
川島四郎『もっとカルシウムもっと青野菜 母と子の愛情食べもの読本』実業之日本社、1986年
川島四郎・サトウサンペイ『食べ物さん、ありがとう』、朝日文庫、1986年
川島四郎・サトウサンペイ『続・食べ物さん、ありがとう』、朝日文庫、1986年
川島四郎・サトウサンペイ『続々・食べ物さん、ありがとう』、朝日文庫、1987年
高橋久仁子『「食べもの情報」ウソ・ホント』、講談社、1998年
高橋久仁子『「食べもの神話」の落とし穴』、講談社、2003年
高橋久仁子『フードファディズム』中央法規出版、2007年
田村豊幸『奇形児はなぜ』、農山漁村文化協会、1979年
田村豊幸『カルシウム欠乏症ー砂糖の副作用ー』、芽ばえ社、1981年
山口迪夫『栄養つれづれ草』、食糧栄養調査会、1993年
山下民城『川島四郎・九十歳の快青年』、文化出版局、1983年