20年前のチキンカツ。
「チキンカツがいい!」
僕が母にそう送ったのは、「GWの食事リクエストしていいよ」への回答だった。
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母は、僕から見れば究極の幸せな人だ。と言っても、ずっとニコニコしているわけではなく、「幸せだなぁ」と口にするわけでもなく。あくまでも自然体として幸せそうなのだ。まさに在るがまま。「いま幸せかどうか」を自己評価していないのだろう。おそらく。
僕が小学生の低学年の頃から、父は単身赴任で全国各地を飛んだ。BtoBのルート営業をしていた父は、いわゆる中間管理職。地方の営業所を任されるがままに、岡山や富山を渡り歩いた。人当たりも面倒見も良い父は、大層良い上司だったんだろうな。社会人5年目ぐらいの時にそう思ったことを覚えている。父は家族が好きだった。毎週末、遠方から家族のもとに帰ってくるぐらいに。
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10年以上に渡り、平日は、母がほぼ一人で姉と僕を育てた。僕は元来の性質なのか真面目に授業を受けるタイプだった。そのため「勉強しなさい」と言われたことがない。そういった意味では、苦労はさせなかったと思う。ただ、誰に似たのか、一度言い出すと譲らない部分があり、辟易させたこともあるだろう。頭に血が上ると、姉に力任せにぶつかることもあった(ごめん)。
大変だっただろう。ひとりで二人の子育てをするのは。しかし、だ。僕は聞いたことがない。母が愚痴をこぼすのを(ため息ぐらいはある)。僕は見たことがない。母が頭を抱えて悩み続ける姿を。嫌な表情をして子供を見つめる姿を。
父のいない10年間、穏やかな食卓が保たれたのも、僕に壊滅的な反抗期が無かったのも、きっと母のおかげだ。遊覧船のように安定航行をする母がいたからこそ、家庭は常に調律されていた。
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母は料理が嫌いらしい。
それを知ったのは、成人してだいぶ経った時だ。それでも母は毎晩、食卓に何品も並べてくれた。育ち盛りの僕たちを思ってのことだろう。
先日、母が僕の家に来たときに、僕が手料理を作った。
その時に母がしみじみと漏らした一言が忘れられない。
「作ってもらったご飯は、美味しいわぁ」
いくらでも作るよ。
作っても作っても、ありがとうが伝えきれないよ。
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明日は試合だから「トンカツ」ね。そんなことを言うタイプでは無かった。得意料理は?と聞いても「うーん・・・」と切れ味が悪い。
それでも、思い出す料理がある。たとえば、チキンカツだ。衣には刻んだにんにくが混じり、程よく焦げて香り高い。たっぷりの油で揚げたカツは、カリッカリだ。節約のためか、ただ淡白な鶏肉が好きだからかわからないが、ムネ肉が母の味。ついでに揚げてくれる竹輪の天ぷらもニクい。僕たちがハフハフと揚げたてを頬張る間、母はまだ、キッチンの奥のほうで揚げ続けていた。
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母の料理のすべてが特別だ、と言えば綺麗事だろうか。ただ、僕は安定感のある母が作り出すあの食卓で日々、英気を養い過ごしていた。それは事実だ。
今年のGWでの帰省は、一歳になる娘を連れていく。
次は、私が母に元気を与える番だ。
さて、いくつチキンカツ食べようか。