ネコ作家 おくはらゆめ編
猫好き作家へのインタビュー。あなたの猫話、聞かせてください!
第8回は、絵本作家のおくはらゆめさんです。
まず猫との出会いを教えてください?
はじめてのとき?今のねこじゃなくて?
はじめてのとき。
18で一人暮らし始めたばっかりのときに、大阪の黒門市場の入り口で猫がトイレ付きで3000円で売られていたんです。それまでおかあさんが猫が苦手でずっと飼えなかったから、飛びついちゃいました。
3000円トイレ付き 笑。子猫ですか?
花丸という子猫。アメリカンショートヘアとロシアンブルーのハーフだ、ってお店の人は言い張ってましたけど、気品はあったよ 笑。
飼ってみてどうでした?
最高でした。花丸は手間が掛からず優しくて、ほんと初心者用の猫だったなって今思います。あ、間違えた、喋りながら(サインを)描いてるから、おくはやゆうって描いちゃった。
がんばって、「う」を「め」にしてください。
あっ、なった。昆虫っぽい「め」だけど。
花丸だけですか?
花丸が2歳ぐらいのときに、つっきーという猫をペットショップで買いました。「ペットショップにいくまえに」を知る前に、かわいいなと思っていたアビシニアンが6万円で売っていたので、バイト代1ヶ月分を奮発して買いました。花丸もつっきーも超いいやつでした。
バイトって何やってたんですか?
言えない。
言えるバイトお願いします。
中華料理屋でバイトしてました。
中華料理屋の頑張ったバイト代をぶち込んだという美談にさせてください。
そうしよう。
料理の専門学校出身なんですよね?
パンが好きだからパンを作りたかったんですけど、パンの学校は理数系な感じでついていけないなと思ったから、料理の方にしたんです。その頃、ドラマで王様のレストランが流行ってたから、こういうの楽しそうだなというのもありました。
その後は?
イタリア料理の店と小っちゃいホテルの調理場で働いてました。新人は洗い物が主な仕事だったんやけど、手荒れがすごくて、指がずるずるむけになってしまい、これは無理だと思って、絵本作家を目指しました。
絵本作家になったのは肌弱かったからなんですね?
そうそう 笑。ほんまに。友達の子供の1歳の誕生日に、お金がなくて何もあげれなかったから手作りの絵本を描いてあげたんです。そしたら喜んでくれたから、これ向いてるかも!と思ったのがきっかけです。
絵本作家になったのは、お金がなかったからなんですね?
そうそう 笑。その子が森みたいなところを散歩するって絵本を描いてプレゼントしました。それを喜んでくれたのが嬉しくて。
それ何歳のときですか?
25歳ぐらいでした。子供の頃、高橋留美子さんが好きでらんま1/2の同人誌みたいのを自由帳に描いてるぐらいで、絵本を読み聞かされた記憶はあんまりないです。
それで東京には、絵本作家になるぜ!って来たんですか?
昔は深夜バスが高かったので、持ち込みの度に来るよりは、住んじゃえって来ました。絶対なれる!ってそのときは甘くみてたけど、やっぱり最初は全然ダメで、なんでなんだろう?って落ち込みました。その後、井の頭公園のフリマで自作絵本やポストカードを売るようになりました。
売れるんですか?
売れるときも売れないときも。めっちゃ売れたときは1万円ぐらいで、売れないときは500円とかでした。売れたらビール飲んでました。おいしかったー。
そのときは、つっきーと花丸、いたんですよね?
六畳一間で暮らしてたんですけど、家に猫がいたから全然苦しいと思わなかったです。
そこからピンポイントの絵本コンペ入賞にはどう繋がるんですか?
ピンポイントの絵本コンペには、毎年応募していて、最初は一次通過、翌年は二次通過、その翌年は、ってちょっとずつ上がっていったんです。最後の年は、グランプリじゃないんだけど、三人で受賞する賞をいただいて、そのときの一人が庄野さんで、庄野さんとは腐れ縁みたいな気持ちです。
日本絵本賞は?
「シルクハットぞくは よなかの いちじに やってくる」で受賞しました。大賞が(ミロコ)マチコちゃんの「おおかみがとぶひ」のときで、そういえば、その授賞式にダイダイと初めて会ったんだよ。いきなり、飴の早舐め勝負しようぜって言ってきて、気持ち悪いなコイツと思いました。負けたけど 笑。
ありがとうございました。年末ウレシカ での個展楽しみにしてます!
おくはらゆめ
兵庫県生まれ。辻学園日本調理師専門学校卒業。デビュー作『ワニばあちゃん』(理論社)で第1回MOE絵本屋さん大賞新人賞、『くさをはむ』(講談社)で第41回講談社出版文化賞絵本賞を受賞。そのほかの作品に『チュンタのあしあと』(あかね書房)、『まんまるがかり』(理論社)、『ネコナ・デール船長』(イースト・プレス)、『やきいもするぞ』(ゴブリン書房)などがある。
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