Dai KOBAYASHI
なんともいえない夢を見て起きる。 秘密結社の施設に監禁されて、女スパイに仕立てられている。眉毛を整えられ、アイプチをやられ、メイクを強制的に施されてる。「隣の美容室で髪を切ってきて」と知らない女に促されて、下着のままで並んでいると、絵本作家の石井聖岳くんが隣に並んでいて、「おー、いっしー、久々じゃん!会いたかったぜ!」ってなって、一緒に美容室の扉から逃げたという夢。 しばらく会ってないいっしーが気になっていたので、夢の勢いに任せて、インスタで「昼飯でもどう?」とDM。 「ご
衆議院選挙。NHKで党の紹介がなされていて「日本をなめるな」と強いスローガンの政党があり、興味深く見た。 市民の不満を追い風にした政策は理解できることも多かったが、極右的な思想を受け入れるわけにはいかない。 今の僕の最大の心配事は、労働人口減少と膨れ上がる社会保障費と他人を怖がりすぎてる人々の増大だ。移民の排斥思想を謳うのならば、縮みゆく日本をどうするのか具体的な案を出してほしい。 2024年の出生数は70万人を割り込むかもしれないという推測。これは2021年の政府予想よ
昨日、国立のトンカツ屋ひらよしで、画家の杉山巧くんと昼ごはんを食べた。たまには僕が出向かねばと思い、中央線で国立まで行った。 ロースカツ定食を食べて、駅前のコメダでお茶。店内は満席で遠くに6人組ぐらいの集団がいた。あの横はうるさそうで嫌だなと思いながら、待機名簿にマイケルと書くと、「ダイさんいい歳してそんなこと書いたらダメですよ」と杉山くんに説教された。 杉山くんは、ガシガシと注意してくれる数少ない年下。この歳になると誰も注意をしてくれないし、みんな聞こえないふりをして遠ざか
天気がいい。体調もすこぶるいい。店の売り上げは0円。 12時に張り切って開店してから、来客は8、9組。ソロとペアと宗教雑誌の配布とDM置かせてください。 やべー、今日こそはゼロかも。焦りはじめる。 14年間で一日の最低売り上げ金額は、2010年に記録した105円。あのときも秋の金曜日。閉店間際に若い女性が100円のポストカードを買ってくれた。レシートが涙で濡れた。 何時間か暇が続くと、まずやることはいつも閑古鳥でぼやいているある店のXをチェック。あなたのところもね。だよね
金曜日、18時30分。 現在の売り上げは330円。開店直後に150円のポストカードが2枚売れた。オープン12時からの7時間で得たものは100円玉3枚と10円玉3枚。世界から存在を忘れられたかのような哀れな金額は、どれだけの胆力を持っていたとしても己の存在価値を疑わざるを得ない。 不景気なのか、本はオワコンなのか、レジがおじさんという絵面がキモすぎるのか。もう永遠に1000円札を見ることはないかもしれない。重い気持ちでパソコンを開き、「中年 男 バイト 杉並区」とググる。俺も
6月13日、友達から彼の父の訃報。79歳。1週間前に胃がんが見つかり転移もしているとのことだった。告知から1週間の悲しい報告。春ぐらいから調子が悪かったけど病院には行ってなかったらしい。 僕の父と野球のバッテリーを組んでたこともある竹下さん。小学校1年生から竹下3兄弟ともども楽しい時間を過ごさせてもらいました。ありがとうございます。ご冥福を。 翌朝、吉祥寺のユニクロに喪服的な黒のセットアップを買いにいった。感動ジャケットと感動パンツというやつ。上下で1万円ぐらいだったけど、
妻の実家の草刈りを兼ねて長崎へ行ってきた。ジャングル状態、ヘビに注意、人類が石化して3700年後的な植物の剪定がミッション。二人では心もとないので友達のカジさんに手伝いをお願いしたら、妻の朝子さんが私も自費で行きたいと言い出して、結局4人で旅行することになった。 最低限の草刈りをして、市内観光。あちこち動き回り、美味しいものを飲み食いし、楽しい充実の3日間を過ごす。 レンタカーを空港に返却し、みんなが東京に帰ったあとは長崎市内のカプセルホテルに泊まった。4日間のひとり旅がス
ウレシカは、10年前に経堂から西荻窪に移転オープンしました。 前年8月に八王子のなんとかという施設のキャンパス内にある陣崎草子さんのアトリエにたんじさんやタダジュンさん達とみんなで泊まりにいこうということになって、そこに西荻在住のカメラマン細川葉子さんがいました。ハコさんに西荻っていいよね、みたいな話をすると、もうすぐ空く店舗があるよと教えてくれたことが全ての始まりでした。 翌週に冷やかし気分で見にくると、店の外観は経堂で先週まで展示していたジュンさんのウレシカ号という船
26歳のときに赤坂にあったITベンチャー的な会社に勤めたことがある。 事業スタートアップの営業職数人枠になぜか合格して、何の成果も残せずに半年で辞めた会社だが、同時に採用されたクリスさんというキラキラした経歴の香港系の先輩がいて、彼に人生の指針になるような金言をいくつかもらった。それがあの会社時代の唯一の宝物で、彼からいただいた言葉は今も色褪せることなく自分の深いところに輝いてる。 働き始めて数ヶ月のある日、赤坂通りのなか卯で「先行きを暗く考えがちでとにかく焦って答えを早
誰にでも人生が動き出したと思える瞬間があったと思う。 新たな地平に飛び出す喜び。これからいいことしか起こらない未来。 僕にとってそれは旅行であり、海外であり、移動することであって、旅の一歩目の心躍る瞬間は、このためにオレの人生あったんだとずっと思えてきた。 去年、2022年初頭に、画家の杉山巧くんに誘われて走るようになった。エントリーした大会は、10キロの多摩川の小さな大会で町の好きな人走ろうぜというような40人規模の大会だったけれど、苦しくも楽しかった。 その後もサボり
朝イチでプールに行った。 デザイナーのウルちゃんが同じ市民プールに通っていて、いつか会えたらいいね、なんて話をしていたら、先月のプール休憩時間に隣で黙々と腹筋をやっている男性がいて、髭と頭の大きさがウルちゃんぽかった。 目が悪いので本人と確信がもてず、かといって海パン一丁で「ウルちゃん?」と慣れ慣れしく呼ぶことも「漆原さんですか?」って律儀に聞くこともできなかった。ソワソワしながら度入りのスミングゴーグルを陸上でこっそりはめて横目でチェックしたところ、腹筋の男はウルちゃんの
今年の春、絵描きの杉山巧くんが「走るモチベーションが低下している」と体力向上を目指した朝のランニングについて話してくれた。 大会でれば?俺も出るよ、なんて得意の軽さを炸裂させて、自分も走ることにした。 走るのは15年ぶり。15年前は5キロと10キロの大会に2回参加して、やっぱ走るの辛いし面白くないなと思ってやめた。 最初の三日ぐらいは、走れなさすぎで、つまんなさすぎて後悔した。どうしたもんかなとナイキのランニングアプリをダウンロードして、それを聴きながら走ることにしたら「
定休日だけど歩いて店へ。 道中、まりさんに電話をして好調なカレンダーの予約状況とめぐみさんが最近近くにいる気がすると話す。まりさんはいつだって真面目で丁寧に話を聞いてくれる。高二の時にダブりそうになったのを必死に励ましてくれた梅原先生と声が似てて、あのときありがとうございますっていつも言いたくなる。12月出版の新作絵本が楽しみ。 振り込みや片付けをして、久々に親父に電話。そっちの方に行く用事があると嘘ついて、昼飯に誘う。 西荻発のバスで上石神井駅に行き、西武新宿線下りに
花桂さんの解体が始まった。 5月に開業47年の店を閉め、居抜きで他の女性が引き継いだ。しかし1ヶ月でやらない決断をされて、緑と花の店は無機質なシャッターに変わった。 花桂が開いてないこと、桂子さんと平(ヒラ)さんのふたりがいないことが、こんなにも残念に思うなんて想像できなかった。毎朝の挨拶も、暇つぶしの冗談も、集荷のおじさんのモノマネも、隣のカレー屋の音量うるせーなと盛り上がることも、もうできない。 展示で使われた花の器を花桂に持っていくことが楽しみだった。帰港したサ
展示なし、金曜日、雨。 この三つが揃うと、売上ゼロの確率が急上昇する。 そんな7月15日金曜日16時32分。店を開けてから、4時間半。閑古鳥の店のレジには若造した中年の男。なんて悲しい絵面だろう。 もう何回、冷蔵庫を開けただろうか。レジ奥の冷蔵庫に入っているのは、こだわりレモンサワー檸檬堂350ml1本と小さい角切りのチーズ。 レモンサワーは、おととい集荷のおじさんに2度来てもらったお礼にと2本買ったうちの残り1本で、チーズはチーズの輸入代理店で働く女性から大量にいただいた
イサドさんの額は、ほとんど売れてしまったので、今日からの展示2週目は暇だろうと思って家を出た。 店でNBAファイナル第3戦を見る。近年は選手のシュート技術が上がりすぎて、スリーポイント勝負のよう。もう僕の好きな90年代の激しいインサイドゴリゴリフィジカルバスケは戻ってこないけど、それでもNBAのプレイオフは楽しい。30年ずっと心奪われてる。 昼一で、ジュンきよが来た。個展中のきよこさんが在廊前に寄ってくれて、二人でヒソヒソ相談してイサドさんの額を買っていった。鏡にするそう