明〜ジャノメ姫と金色の黒狼〜第2話 ジャノメ姫(4)
その号令と共にガーゴイルが一斉に襲い掛かる。
若い男が鞭を振りあげる。
しかし、そのどれもがアケに、火猪の身体に触れることはなかった。
火猪が鼻で大きく息を吸い込み、腹を膨らませ、大きく息を放った。
口の中から飛び出したのは炎を纏った砂利の礫。
砂利の礫は投石器で放たれたように勢いよく飛んでガーゴイルの身体を穿ち、砕き、若い男の肩を打ち付ける。
若い男は、悲鳴を上げ、鞭を手放す。
礫の当たった法着が焦げる。
ガーゴイル達は礫にその身を砕かれ、砂利の上に崩れ去る。
火猪は、ふんっと鼻息を上げる。
アケは、感嘆に口を丸く開ける。
初老の男は、悔しそうに歯噛みし、膝をつく若い男の手を引っ張って無理矢理立たせる、
火猪は、アケを守るよう2人の前に立ち塞がる。
若い男が耳打ちする。
「おいっ早くしないとあの狼に気づかれるぞ」
「とっくに気づいているさ。あれは馬鹿ではない」
「ではどうする・・・?」
初老の男は、にっと笑う。
「・・・こうする」
初老の男は、フードの人物の襟を掴む。
「えっ?」
初老の男は、見かけからは想像も出来ない腕力を振るい、若い男を火猪に向かって突き飛ばす。
火猪は、驚くもその燃え上がる鋭い牙で突進してき若い男の身体を絡め取り、薙ぎ払う。
若い男は、紙のように宙を舞い、地面に叩きつけられる。
衝撃音が響く。
火猪の口から血が溢れる。
アケの蛇の目が大きく見開く。
火猪の身体から息を吹きかけられたように火が消え、そのまま砂利の上に倒れ込む。
アケは、慌てて火猪に駆け寄る。
茶色の体毛に包まれた鎧のような筋肉の腹に小さな穴が開き、血が吹き出す。
蛇の目が初老の男を見る。
初老の男の手には小さな銀色の六連式の銃が握られていた。銃口から薄い硝煙が上がる。
「銃弾に毒を仕込んでいたのですよ」
初老の男がアケの疑問に答えるように得意げに話す。
「こんな小さな銃では火猪にダメージを与えるなんて不可能ですが毒は別ですね」
初老の男は、引き金に指をかけてクルクルと回し、そして銃口をアケに向ける。
「ガーゴイルが失敗した時の保険とて持っていたのですが役立ちました」
初老の男が空いてる手で懐を探る。
「取引です」
初老の男が取り出したのは小さな小瓶だ。
「これは解毒薬。人間には即効性のあり過ぎる毒なので本来あっても意味のないものですが火猪の巨体なら別でしょう。これを飲ませればひょっとしたら助かるかもしれません」
初老の男は、瓶の端を持って揺らす。
アケは、蛇の目でそれを睨む。
「これが欲しかったら貴方自身で封印を解いてあの方を解放してください。そしたらこれを火猪に飲ませてあげますよ」
アケは、ぎっと歯噛みする。
「・・・主人の怒りに触れるわよ」
「その前にあの方を連れて逃げればいいだけです」
初老の男は、もう一度懐に瓶を持った手を入れ、小さな羊皮紙の巻物を取り出す。
「開け」
初老の男の言葉に巻物が宙に浮き、広がると小さな魔法陣が現れる。魔法陣は紫色に怪しく光り、同色の炎を吹上げて燃え尽き、三体のガーゴイルを召喚する。
「このようにね」
ガーゴイルは、石の翼を大きく広げる。
「さあ、封印を」
アケは、蛇の目を火猪に向ける。
火猪は、痛みに苦しみながらもじっとアケを見る。
その目は自分のことはいいから逃げるように言っているようであった。
アケは、優しく微笑み、熱の残る火猪にの頬を撫でる。
そしてゆっくりと立ち上がり、初老の男を睨む。
「約束は・・・」
「守りますよ」
瓶を揺らしながら言う。
「私も原初たる巨人に仕える者。無駄な殺生は好みませぬので」
アケは、小さく頷くと頭の後ろに手を回し、両目を包む黒い布の結び目を解く。
(ツキ・・・)
アケの脳裏に優しく笑うツキの顔が浮かぶ。
黒い布が地面に落ちる。
現れたのは白い蛇のような紐に痛々しく縫われ、閉じられた双眸であった。
「おおっ・・」
初老の男が感嘆の声を上げる。
瞼に縫い付けられた糸が音も立てずに解かれ、砂利の上に落ちる。
糸の抜け落ちた双眸がゆっくりと開いていく。
闇だ。
開かれたアケの目の中に黒すらも塗り潰す闇が溢れそうな程に広がっていた。
闇の目が波紋を立てる。
ぬっと何かが水面を揺らすように現れる。
手だ。
人形のように小さく、生々しいまでの白い手が生えるように現れ、目の端に平を置く。
それはもう一本、もう一本と現れる。
もう片方の目からそれは現れ、無数の小さな手が魍魎のように揺れ、重なり、捻りあい、大きく、太く、屈強な2本の腕へと姿を変えた。
2本の腕は砂利に手の平を押し付け、肘を伸ばしてアケの身体を持ち上げる。
上を向いて首を吊っているかのような姿勢になったアケの口から苦鳴が漏れる。
「うっぐ・・・」
初老の男の表情に歓喜が浮かぶ。
身体が震え、その場に跪く。
「百の手の巨人様!」
その声は、羨望や憧れを超えた信仰そのものだった。
百の手の巨人と呼ばれた腕の筋から小さい手が枝のように無数に伸び、重なり、捻りあい、腕を形成、そしてその腕からまた無数の腕が伸び、重なり、捻り合い、腕を形成するを何度も何度も繰り返す。
まるで腕の大樹だ。
「何と美しい・・・」
初老の男からため息が漏れる。
「百の手の巨人様、早くその娘の身体から出て、私と共に地上へ参りましょう。そして愚かな者どもにそのお美しい姿と鉄槌を・・・」
しかし、初老の男は次の言葉を告げることが出来なかった。
アケの目から伸びた巨大な腕の一つが蛇のようにのたまい、初老の男の身体を捕食するように掴んだのだ。
初老の男なら短い苦鳴を上げる。
初老の男の胴よりも太い五指がゆっくりとゆっくりと握られていく。
「な・・・何故です・・・なぜこんな・・ああっ!」
全身の骨が折れ、割れ、砕け、穴と言う穴から血が吹き上がる。
飛び出しかけた目に同じように腕にすり潰される若い男が映る。
今更ながらに気付く。
自分は何というものを信仰してしまったのか・・と。
初老の男は西瓜の果実のように無惨に潰れ去った。