ジャノメ食堂へようこそ!第4話 雲を喰む(4)
(綿毛に乗るってこう言う気持ちなのかな?)
オモチの大きな背に乗りながらアケはそんなことを考えていた。
一蹴で家を三軒飛び越えるくらいの飛躍をしてるのにまるで衝撃が無い。むしろ毛の中に埋もれるとお湯に足を落とすみたいに心地良い。匂いは獣臭に近いが臭くはなく、むしろ心を落ち着かせ、揺れは眠気を誘うようだ。
「もうすぐ着くよ」
頭の上から子どものような声が聞こえる。
「出発する時も言ったけど決して僕から離れないでね」
「うんっ分かってる」
心地良い感触に溶けそうになりながらもアケはしっかりと答えた。
オモチが見つけたくれた物は屋敷から三里ほど離れた岩山の向こうにあると言う。
そんな所まで探しにいってくれたなんてとアケは恐縮したがオモチは散歩コースだから気にしないでと表情を変えずに笑った。
散歩コースと呼ぶにはその道は難所悪所の連続だった。
足を乗せる隙間すらない岩場。
切り立った崖。
垂直にしか見えない坂道。
空が近いことで日光はより激しく肌を焼こうとするのに気温は鳥肌が立つほどに低い。
オモチの毛に包まれてなかったら皮膚は痛めつけられ、凍えて動けなくなっていたことだろう。
確かにここに一人で来るのは無理だと感じると共にこんな場所まで探しに来てくれたオモチに感謝を深めた。
その後もオモチは、跳躍を繰り返しながら難所悪所を抜けていく。
崖を飛び降り、坂を跳ね上がり、岩の上を弾む。
それでもアケの身体に衝撃も痛みもないのは見かけ以上にオモチの身体能力が優れているからとアケに負担がないよう配慮してくれているのだろう。
そして・・・。
「着いたよー!」
頭の上から声が聞こえ、アケは毛の中から顔を出す。
光の絨毯が目の前に広がっていた。
太陽の光をいっぱい食べて膨らんだ種子。
黄金色に変化した風に揺らぐ身体。
隣と表面を擦り合わせながら音を立てる葉。
それは視界一面に広がり、風に揺れる小麦だった。
アケは、目の前に広がる美しい光景に蛇の目と声を奪われる。
「ここでいいんだよね?」
アケが何も言わないので少し不安そうにオモチは聞く。
感動のあまり言葉を出せないアケは首だけを縦に振って答える。
アケは、オモチの背中から滑るように降りる。
ずっとオモチの背中に乗って重力から切り離されたようになってたからか地面に足を付けた瞬間、少しふらついた。
アケは、身体をぐっと伸ばして血を流し、重力に馴染ませてから小麦に近寄る。
いい匂い。
太陽を光をいっぱい食べた元気な植物の匂いだ。
アケは、子どもの頭を撫でるようにパンパンに膨らんだ麦の種子を撫でる。
これなら・・彼の願いを叶えて上げることが出来るはずだ。
「オモチ」
アケは、笑みを浮かべて振り返る。
これをたくさん持って帰りたいので手伝ってください、とお願いしようとした。
しかし・・・。
「オモチ?」
アケは、首を傾げる。
オモチは、赤目でずっと遠くを見ている。
表情こそ変わらないが何かを警戒しているのが目の輝きで分かる。
「どおりで虫や鳥がいない訳だ」
オモチは、ぼそっと独り言を言う。がっかりとしながらも何かを納得したように見える。
「ジャノメごめん」
オモチは、申し訳なさそうに謝る。しかし、アケは何を謝られているのか分からない。
「運が良ければ残ると思うから」
そういうとアケの白い毛でアケの身体を飲み込むように後ろから抱きしめる。
「オモチ⁉︎」
アケは、オモチの行動の意味が分からず戸惑う。
オモチは、アケを抱きしめたまま右手の平を上に向けると、どんぐりが乗っていた。
「木曜霊扉」
緑の円がどんぐりの上に現れ、複雑な紋様を描く。
「開放」
その瞬間、種子の硬い殻が破れ、巨大な木の根が蔓のように伸び、アケとオモチの身体を球状に覆う。
「僕から離れないでね」
オモチは、優しくアケの身体を抱きしめる。
アケは、訳が分からず、オモチの顔を見て、そして木の根の隙間から外を見る。
けたたましい声が聞こえる。
あまりに高く、不快な鳴き声にアケは思わず耳を塞ぐ。
オモチも尖った耳を折りたたむ。
それは突然、空から降りてきた。
仮面のような貌、オモチのお腹くらいある黒い複眼、錆びた鉄のような色をした攻殻に覆われた身体、六本の脚は後ろの二本だけ異様に長く、直角に折れ曲がっている。背中の割れ目からは透明な羽が伸び、震える度に不快な声となって鳴り響く。
「蝗?」
両耳を押さえ、苦痛に顔を歪めたアケは呟く。
それは本で見た蝗の姿に似ていたが比べ物にならないくらい大きく、アケどころかオモチの背すらも超えている。
それが何匹も飛んでくる。
「魔蝗だ」
「あ・・ばどん?」
アケは、聞いた事のない言葉に蛇の目を顰める。
「君らの言う蝗の進化形みたいなもんさ。食べ物を探し求めて国中を飛び回っている」
オモチが言うと魔蝗の仮面のような貌が縦半分に割れ、トラバサミのような凶悪な歯が現れ、小麦を食い漁り始める。
アケは、絶句する。
「運が悪い・・」
オモチは、悔しそうに言う。
「あの種は燃費が良いから普段はそんなに食べないんだ。だけど、産卵期になると話しは別」
オモチは、魔蝗の腹部を見る。
赤い筋が血管のように走り、大きく膨らんでいる。
「奴らは卵を育てる為に食物を食い漁る」
「食い漁るって・・」
アケの顔が青ざめる。
「どのくらい?」
「・・・根こそぎ」
魔蝗の小麦を砕き、喰む音が無造作に響き、羽が歓喜に震える。
「産卵期のあいつらは気が立っている。食欲も無尽蔵。食い荒らされて森が一つ無くなったこともある」
アケは、魔蝗によって食われて
いく小麦を見る。
種子の付いた頭は食いちぎられ、茎は踏み潰され、葉が擦りちぎられる。
「なんとか・・」
アケは、声を震わせる。
「何とかならないの?」
必死に訴えるアケをオモチは、赤目でじっと見て首を振る。
「これは災害でなく摂理。命を育む為の行為だ。僕らは手を出すことは出来ない」
オモチの言葉にアケの心臓は外れそうになる。
「でも・・・」
「あいつらは決して種を滅したりはしない。食べ溢れた種が地面に落ちてまた芽吹く」
オモチは、優しくアケに言う。
「一つ年を重ねればまた小麦は成る。必要なら他所をまた探す。今回は諦めよう」
オモチは、アケを優しく抱えると魔蝗に気づかれないよう去ろうとする。が、予想外なことが起きた。
「ダメ!」
アケが大きな声で叫ぶ。
その声に魔蝗達が動きを止めて、2人の隠れている木の根の球に複眼を向ける。
オモチは、アケの声に驚き、手の力を緩める。
アケは、その隙間から抜け出る。
「ジャ・・ジャノメ?」
「来年までなんて待てない!」
アケは、叫ぶ。
「夢を・・あの人に夢を諦めさせちゃいけない!」
足掻け。
男の声がアケの頭に、心に響く。
木の根に衝撃が走る。
アケとオモチの存在に気づいた魔蝗達が外敵を駆除しようと身体をぶつけ、根を齧り、一部が破壊される。
「こいつら・・」
オモチの右手に緑色の円が展開する。
アケは、破壊された一部に身体を入り込ませて外に出る。