平坂のカフェ 第4部 冬は雪(2)
「にっが」
コーヒーを飲んだ彼女の開口一番がそれだった。
その仕草は高校生の姿をしていた彼女と遜色のないものだった。
スミは、赤く焼けた目を小さく細める。
カナは、どこからかレースの付いたハンカチを取り出すと口元を拭う。
「いやー本当に苦い」
そう言いながら彼女は可笑しそうに笑う。
黒とそして白い目に涙まで浮かべて笑う。
「今日は砂糖は求めないのか?」
抑揚のない声でスミは訊く。
「どうせないんでしょう?」
「ああっついでに言えば焼き菓子もない」
カナは、肩を竦める。
「分かってるわよ。ここで貴方の焼き菓子を食べれるなんて思ってない。それにコーヒーの味だって変えられるのは私だけなんだから」
そう言ってカナは、コーヒーをゆっくりと、全て飲み干した。
「にっが」
小さく舌を出して、カップを雪で染まったカウンターに置き、スミの前に差し出す。
スミは、何も言わずにカップを受け取る。
「ところでさ」
「何だ?」
「私を見て何とも思わないの?」
ピンクのカーディガンの肩口を摘んで自分に視線が来るようにアピールする。
「この大人女子な私を見て何とも思わない?華麗にてエレガントな私を見て」
そう言ってクルクルっと身体を捻って自分の変わり様を見せる。
肩に積もっていた雪がハラハラと落ちる。
「うーん」
スミは、困ったように頬を掻く。
「そうは言われてもここは現世とは違うからな。姿が変わったからと言って特に驚くようなことじゃ・・・」
「そう言うことじゃない!」
カナは、叫ぶ。
降り注ぐ雪が怯えるように荒れる。
カナは、黒と焦点の合わない白い目でスミを睨む。
「今の・・・今の私を見て何も思わないの?」
決して目線を反らすことを許さない強い眼差し。
スミは、感情の動きの見えない赤く焼けた目でカナの目じっと見返した。
「・・・綺麗だ」
カナの目から力が抜ける。
黒と白の目に絶望と失望が滲み出る。
彼女は、視線を外し、俯く。
「ありがとう」
力ない声で礼を言う。
それが求めていた答えでないことはスミにも分かることであったのに。
スミは、カナから身体を反らし、猫のケトルに火を入れる。
沈黙が流れる。
絵から降り落ちる雪が厚手の生地のように平坂のカフェの床を、椅子を、カウンターを埋める。
スミの身体に雪が乗り、カナのピンクのカーディガンを白く染める。
カナは、身を震わせ、ワンピースの胸元をぎゅっと握る。
暖かい感触が肩に触れる。
顔を上げるとスミの大きな手がカナに降り注いだ雪を払っていた。
カナを見るその赤く焼けた目には相変わらず抑揚がない。しかし、その奥に僅かに見えたのは優しい光。
カナは、自分に落ちた雪を払うスミの手を取り、そっと自分の頬に触れさせる。
スミの表情なら小さく驚きが浮かぶ。
それを見て彼女は彼の心から感情が消えた訳ないと分かる。いや、いつだって彼は感情を出していた。
自分を守ってくれていた。
「ねえ。話しをしていい?」
「話し?」
スミは、眉を顰める。
「だってここは平坂のカフェよ。話しをする場所よ」
カナは、スミの手を自分から離し、改めて両手でぎゅっと握る。
「だから話したいの。私の話しを」
そしてスミの手を握りしめたまま彼女は話し出す。
自分の話しを。
「私はね、"存在しない子ども"だったの」