平坂のカフェ 最終話 四季は太陽(11)
「出来たよー!スミ!」
カナが興奮気味に、嬉しそうに声を上げて厨房に入ってくる。
そのあまりに愛くるしい顔を見ると俺は今だに胸が締め付けられる。
初めてカナに出会った時を思い出し、少年の頃の自分に戻ってしまう。
カナと初めて会ったのは高校生になったばかりの春。
クラスに誰も座らない席があることに気づいた俺はクラスメイトに聞くとそこは"冷たい女"の先だと言われた。
"冷たい女"
いったいどんな人なのだろうと俺は興味本位にクラスメイトに聞いた彼女の居場所、プールの裏に行き・・・心を奪われた。
彼女は・・・カナは地べたにお尻を付けて空を見上げてスケッチブックに黒の色鉛筆を走らせていた。
その綺麗な顔には表情の1つも浮かんでない。
無機質、無関心と言う言葉どれも合う表情、まさに"冷たい女"だ。
しかし、その左目は違った。
夜空のように黒く澄んだ左目には彼女の感情が揺らいでいた。
優しい、温かい、彼女の本当の心が。
胸が熱く締め付けられる。
「あの・・・」
気がついたら俺は思わず声を出していた。
俺の声にカナは、反応してこちらを見る。
その目と身体に明らかな怯えが見えた。
やばいっと思った俺は頭の中で必死に言い訳を考える。
不自然のない、そして彼女の警戒が解けるような魔法の言葉を。
そして言った。
「先輩、お腹空いてませんか?」
「どうしたの?」
カナが首を傾げてこちらを見る。
あの頃と変わらない黒く澄んだ左目と、雲のように穏やかで、霧のように美しい白い右目で。
ああっ本当に愛おしい。
俺は、にっこり微笑む。
「何でもないよ」
「・・・変なの」
カナは、調理台に並べられた料理を見て驚く。
「また一杯作ったね!」
「これでも足りないくらいだよ」
今日は、たくさんの人達がこの店のオープンを、俺とカナの結婚式を祝いに来てくれる。
これだけでも感謝が足りないくらいだ。
カナは、目を輝かせて料理を見る。そしてタコさんウィンナーを見つけると色鉛筆で多色に染まった細い指先でひとつ摘み、それを口に放り込む。
「うーんっやっぱり美味しい」
口福と言う言葉がこれほど似合う表情があるだろうか?
カナの顔は、まさに至福に包まれていた。
カナのこんな表情が見られるようになるなんてあの頃は思わなかったな。
「行儀悪いぞ」
それでも俺は、彼女を窘める。
彼女は、唇を尖らす。
「だってお腹空いたんだもん」
俺は、肩を竦めてカナに厨房を出てカウンターに座るように言う。
カナは、言う通りに厨房を出てカウンターに座る。
俺は、食器棚から蝶の形のドリッパーとサイフォンを取り出す。
近くの骨董市で見つけたものだ。
それから猫の形のケトルに水を入れて火を掛ける。
こちらも骨董市で見つけたものだ。
2つとも目に入った瞬間、妙に心が騒ついて惹かれ、即決購入した。
カナは、あまりいい顔をしていなかったが、俺はホクホクとして帰ってきた。
その間に蝶のドリッパーにフィルターを挿れてコーヒー粉を入れる。
尻尾の注ぎ口から湯気が上がり、俺は、ケトルを手に取り、ゆっくりとお湯を注ぐ。
甘い香りが厨房を流れ、湯気が竜となって厨房を漂う。
カナは、黒と白の目でじっとこちらを見つめる。
少し不安そうに。
サイフォンにコーヒーが溜まったことを確認するとカナ用に購入した白鳥のカップにゆっくりと注ぐ。
汚れのない黒がカップを満たす。
そこに予め作っておいたミルクの泡を乗せ、爪楊枝を走らせる。
「お待ちどうさま」
俺は、カナの前にラテと手作りのマドレーヌをさらに乗せて置いた。
カナは、じっとカップとマドレーヌを見つめ、泣きそうな顔で笑った。
「何これ・・・」
ラテに描かれたもの・・・それはあまりに稚拙なカナの笑った顔だった。
「下手にも程があるんじゃない?」
カナは、可笑げに、しかし嬉しそうに笑う。
「いいだろ。俺の1番好きなもんなんだから」
俺は、自分でも頬を赤らめていることが分かった。
カナは、びっくりしたように目を丸くし、そして笑った。
マドレーヌをゆっくりと齧って咀嚼し、ラテを飲む。
「美味しい・・・」
カナの黒い左目と白い右目から涙が一筋ずつ流れた。
「大袈裟・・」
俺は、カナにバレないように小さく笑った。
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