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ドレミファ・トランプ 第五話 ポンコツとルビー(2)

「ねえ、どうしたの?」
 青い目がじいっーと四葉の顔を覗き込む。
 晴れ渡る空の上から見た海のような美しい青色に四葉の思考は現実に戻る。
 少女は、心配そうに四葉の顔を覗きこむ。
「え……あ……あの……うぇ」
 四葉は、何が起きたか分からず思わず変な声を上げてしまう。
 その様子が可笑しかったのか、少女はくすりっと笑う。
 どう見ても四葉と同じ年くらいなのにその笑顔はとても強く、美しく、大人びて見えた。
「あ……貴方は……」
 舞台の上でピアノを弾いていた少女だ、と四葉は直ぐに分かった。
 でも、何でここに?
 少女は、可愛らしく小首を傾げて青い目で四葉を見る。
「もうイベント終わっちゃったよ。どうしてまだいるの?」
 少女の言葉に四葉は辺りを見回す。
 翼の生えた歌声のようなピアノ演奏が披露されていた舞台は機材が片付けられて閑散とし、ほぼ満席で賑やかった観客席にはもう四葉と少女、そしてパイプ椅子とゴミを片付けるスタッフのみだった。
 スタッフ達は、片付けたいのに未だ椅子に座っている四葉を迷惑そうに睨みつけ、四葉はそれに気付いて慌てて席に立とうとする、と。
「ひょっとして……具合悪いの?」
 少女は、そう言って四葉の隣に座った。
 スタッフ達は驚いた顔をして四葉と少女を見た。
 少女は、美しい青色の瞳で四葉を覗き込むと、右手をそっと四葉の額に当てる。
 あの美しい演奏を奏でた。白く、細い、綺麗な右手を。
 四葉は、自分の頬がかあっと熱くなるのを感じた。
「んーっ熱はなさそうね。でも……ほっぺた赤いなあ」
 そう言って白い右手が四葉の顔をなぞる様に下りて頬に触れる。
「あっやっぱり少し熱い。お風邪引いてるんじゃい?」
 少女は、青い目でじっと四葉の顔を覗き込む。
 違うよぉ。風邪じゃないよぉと四葉は言いたかったが緊張と恥ずかしさから言葉をうまく出せずあわあわし、逆に具合が悪そうに見えてしまった。
 少女は、心配そうに四葉を見る。
「お父さんとお母さんは?」
 少女の言葉に四葉の心が止まる。
「下でお買い物してるの?」
 少女の質問に四葉は首を横に振る。
「いない」
 少女は、綺麗な顔を顰める。
「一人で来たの?携帯持ってる?」
「……ない」
「そっか。番号分かる?私ので掛けてあげる」
 そう言ってキラキラにラメられたピンクの子ども用携帯キッズ・フォンを取り出す。
「番号分かんない。それに……私、具合悪くない。だから……平気」
 四葉は、辿々しくもようやく少女に伝え、視線を下に落とす。
 少女は、青い目をパチクリさせ、「そうなの?」と呟く。
「うん。大丈夫」
 四葉は、力なく笑う。
「心配かけてごめんね」
「そっか。良かった」
 少女は、小さく笑う。
 四葉は、これで少女が去っていくと思った。
 しかし、少女は去ろうとしなかった。
 それどころかパイプ椅子に深く座り、長い足をプラプラ揺らして居座る気満々だった。
「私ね、ついさっきまであの舞台でピアノを弾いてたんだ」
 少女は、長い人差し指を立てて舞台を指差す。
「ずっと……見ててくれてたね」
 少女の言葉に四葉は驚く。
 まさか、あんな離れた舞台の上から四葉に気づいていたなんて思わなかった。 
「うん……ずっと……見てた」
 四葉が消え入りそうな声で恥ずかしげに言う。
「どうだった?」
「凄い……上手で……びっくりした」
 四葉は、辿々しく言葉に出したので、お世辞のようにも聞こえたが、紛れもない本心だった。
 あんな凄い、綺麗なピアノ演奏は今まで聞いたことがなかった。
 少女にも四葉の気持ちが伝わったのか、さらに嬉しそうに笑う。
「今日のイベントね。友達が申し込んだんだ。しかも勝手に」
「勝手に?」
 四葉は、驚いて眼鏡の奥の目を丸くする。
「そう勝手に」
 少女は、天使のような顔を膨らませて怒る。
「今日、黒札小のマーチングバンドクラブが参加してたじゃない」
「黒札小の?」
 そう言われてみれば彼女の演奏の二つ前くらいにそんなのがあったような……まったく印象残ってないけど……。
「あれ……黒札小だったんだ」
 クラブは、四年生からしか入れないし、内気な性格の四葉は友達と呼べる子もいなかったので興味もなかった。
「知らなかったの?」
 四葉の言葉に今度は少女が驚く。
「貴方も黒札小でしょ?」
 少女の言葉に四葉は驚く。
「え……どうして?私が……黒札小って……」
「分かるよぉ」
 少女は、にっと笑う。
「うちって……あっ私、赤札小なんだどね。やたらと顔面偏差値にうるさいの。だから、貴方みたいな可愛い子がいれば話題持ちきりよ!」
「か……かわ……」
 四葉の頬が再び熱くなる。
(可愛いなんて……初めて言われた)
 今までじっと見られたことはあっても
 四葉は、恥ずかしくて少女と顔を合わせることが出来なかった。
「今はね。二年生の子にとんでもなくミステリアスで綺麗な子がいるらしくてその子で話題が持ちきりなの」
「あ……貴方も綺麗だから人気なんじゃ……」
「まあ、三年生の二大美女とは呼ばれてるけど……」
 人差し指を唇の端に当てて空を見上げる。
 否定しないんだ……。
 さっきからの会話と演奏で何となく分かってたけど、凄い自分に自信があるんだな。
「……羨ましい」
 四葉は、自分でも気づかないくらい嫉妬と羨望の混じった声で小さく呟く。
「あっ話しそれちゃったね」
 少女は、あちゃーと言った表情を浮かべて後頭部を掻く。
「黒札小のマーチングバンド部ってわりかし有名じゃん。市の大会に出場したりとか。それをそちらさん黒札小に自慢されたらしくて、それに腹を立てた友達が今日のイベントに出場するって情報を掴んで対抗馬にって私を勝手に申し込んだんだのよ」
 いい迷惑って感じに少女は肩を竦める。
「断らなかったの?」
 四葉は、目を丸くして言う。
 勝手に申し込まれたことを知った時点で拒否することは出来たはすだ。それなのに……。
「まあ、最初は断ろうと思ったんだけどね」
 少女は、足をプラプラ揺らす。
「でも、うち赤札小そっち黒札小って昔からやたらと仲悪いじゃない?下手に断ると変に角が立ちそうだったから……それに勝ち負けを争うイベントじゃないから適当に弾いて、帰りにアイス食べて帰ればいいかって思ったんだけど……気合い入れすぎちゃった」
 てへっと悪戯が見つかったように舌を出して笑う。
「まだまだ未熟ね。ピアノに向かったら気持ちが止められなくなっちゃった。まあ、友達は満足そうに帰ってったからいいんだけど……」
 確かにあんな演奏を聴かされれば満足を通り越した優越感に浸れるだろう。勝ち負けはないと彼女は言ったが観客たちの反応やその後の余韻をみれば一目瞭然なのだから。むしろマーチングバンド部やそれを見に来た同級生黒札小達がどんな反応をして帰ったのかの方が気になった。
「貴方もてっきりお友達マーチングバンド部を見に来たのかと思ってたんだけど……イベントが終わってからもずっと元気なさそうに座ってたから気になって声掛けちゃった」
 少女は、青い目でじっと四葉の顔を覗き込む。
「ねえ……何かあったの?」
 四葉は、少女の青い目をじっと見返して……反らす。
「家出……したの」
「家出?」
 少女の青い目が大きく見開く。
 四葉は、辿々しく、弱い口調で家出に至るまでの経緯を少女に話した。幼馴染以外に友達がおらず、家族にも心をうまく開くことの出来なくなった四葉がこの話しを第三者にするのは初めてだった。
 四葉は、気が付いたら話しながら涙を流していた。
 少女は、じっとその話しを聞いていた。
「ごめんね。変な話して……」
 話しを終えた四葉はハンカチで涙を拭いながら少女に謝る。
「ううんっそんなことない」
 少女は、首を横に振る。
「貴方の気持ち……凄くよく分かるよ!」
 少女の言葉に四葉は驚く。
 分かる?
 私の気持ちを?
 こんなに綺麗で才能と自信に満ち溢れた少女が?
 四葉は、馬鹿にされた気持ちになり、初めて怒りというものが湧き上がってくるのを感じた。
「私ね……"ルビーちゃん"って呼ばれてるの」
「ルビーちゃん?」
 四葉の頭に美しい紅く輝く宝石が浮かぶ。
 そんな綺麗な宝石に例えられて呼ばれるなんて彼女が愛され、評価されてる証拠ではないか。
 どこが自分と同じだというのか?
「私の親友ね。天才なの」
「天才?」
 四葉は、小さく呟く。
「そう……天才!」
 少女の青い目がギラっと輝く。
「しかもただの天才じゃないの!思わず漫画かよ!っ突っ込みたくなるくらいの超天才!」
 少女は、鼻息荒く叫ぶ。
 その目に映ったのは怒りでも嫉妬でもなく・・
(自慢?)
 四葉は、眼鏡の奥の目を瞬かせる。
「私より二年も遅くピアノ始めて、最初はドレミファまでしか音階も読めなかったのにたった三ヶ月でラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌを最後まで弾いたの!」
「ラ……ラノベ?パパイヤ?」
 聞いたこともない名前と言葉、そして少女の勢いに四葉はたじろぐ。
「しかもただ弾いたんじゃないの!切ないメロディなのにどこか楽しげで。まるで小さな女の子がスキップして遊んでるような。それなのに大人びた色気があって……何であんなに弾けるの?もう神よ神!」
 少女は、興奮を抑えきれないままどれだけ凄いことなのかをまるで自分のことのように語る。
 まるで最推しのアイドルを語るオタクのように。
「もうチョー嫉妬だよ!私なんてようやくクラシックがまともに弾けるようになったばかりなんだよ⁉︎それなのに三ヶ月?私の二年間って何だったの⁉︎って大泣きしちゃった。しかも美人で頭も良くて性格も良いいとか全部がカンストしてんの!もうなんなよ一体!」
 少女は、顔を真っ赤にしてキャーと叫ぶ。
 それは悲鳴などでは当然なく、大好きな人のことを思い出しての羞恥と興奮だ。
「どんなコンクールに出ても彼女が一位で私が二位!しかも名前がダイヤモンドに似てるからって私はルビー。|ダイヤ一番ルビー二番って呼ばれるの。ひどいよね!だけど彼女さ、私がそんな意地悪で呼ばれてるなんて知らないから"ルビーちゃーん"って呼ぶの。それがもう本当に可愛くてキュンッとなっちゃって……キャー!どうしよう!」
 翼を生やして飛び回るのではないかと思うほど喜び、興奮する少女を四葉は唖然とする。
「だから貴方の気持ち。とーっても良く分かるわ!頑張ってるのに褒められない、貶されるなんて本当に嫌よね!」
 少女は、バンっと四葉の筋肉のない細い肩に手を置く。
「だから、貴方の辛い気持ち本当に良く分かる!今まで良く頑張ってきたね!」
 少女は、青い目に力を込めて言う。
 四葉は、驚きに目を大きく開くも、直ぐにきつく細め、身体を震わせる。
「なんで……」
 四葉は、声を震わせて呟く。
「なんでそんなに嬉しそうなの?」
「えっ?」
 少女は、興奮した姿勢のままぴたっと止まる。
「辛くないの?悲しくないの?」
 少女は、青い目を丸くして四葉を見る。
「どんなに頑張っても認められないんだよ?馬鹿にされるんだよ?嫌じゃないの?」
 四葉の目が再び涙で潤み出す。
 母の怒りに歪んだ顔と憎々しく睨んでくる目が脳裏に蘇る。
"この欠陥品ポンコツ!"
 母の声が怨嗟のように四葉の身体に纏わりついていく。
「そりゃ嫌だよ」
 少女は、言葉とは裏腹にあっけらかんと答える。
「負けて、馬鹿にされて悔しくない訳ないじゃん」
 何当たり前なこと言ってんの?と言わんばかりに少女は言う。
「じゃあ、なんで……?」
「私が私を認めてるから」
「えっ?」
「私は自分が頑張ってることを、凄いことを認めてるの。実際、親友がピアノを始めるまではずっと一位だったし、彼女のいないコンクールは完璧優勝よ!」
「そして親友も私のことを認めてくれてる」
 少女は、自慢げにふんっと鼻を鳴らす。
「彼女ね。いつも言ってくれるの。"ルビーちゃんは凄いね!""私はあんな可愛く弾けないよ!""天使みたい!"ってたくさん褒めてくれるの。それだけでね……それだけで私は嬉しいの!頑張ろうって思えるし、次こそ勝ってやる!って思えるの!」
 少女は、笑った。
 心の底から喜ぶように笑った。
 四葉は、潤んだ目を大きく見開く。
「人はね。自分のことを好きになるだけで、誰か一人でも認めてくれる人がいるだけで頑張れるの。強くなれるの!」
 自分を好きになる。
 誰か一人でも認めてくれる。
 それだけで頑張れる。強くなれる。
 そんなこと……そんなこと……考えたこともなかった。
「貴方は……自分のこと好き……」
「……嫌い」
 自分のことを好きになったことなんて一度もない。
 母に好かれる才能を持たずに生まれた自分を、会ったばかりの姉弟に嫉妬して家出するような自分なんて好きなはずがない。
「そう。それじゃあ貴方を褒めてくれる人はいない?」
「そんなのいな……」
 四葉は、言いかけて口を閉じる。
 自分を褒めてくれる人なんていない。
 本当にそうだろうか?
 父は、百点を取ってきた時、たくさん褒めてくれた。
 祖父は、書道で花丸をもらった時に褒めてくれた。
 祖母は、一緒にお菓子作りをして上手に出来た時に褒めてくれた。
 会ったばかりの義母も勉強が出来ることを褒めてくれた。
 幼馴染は、表情こそ乏しいけどいつも優しく、そしていつも自分の良いところを見つけてくれた。
 そして嫉妬しか感じなかった姉弟も宿題を教えて上げたら和やかに笑って「お前凄いなあ!」と褒めてくれた。
「……いた」
 四葉は、ぽそりっと呟く。
「褒めてくれる人……いた」
 なんで気が付かなかったんだろう?
 こんなにも……こんなにも自分を見てくれる人達がたくさんいるのに何で自分はそれを見てなかったんだろう。
「パパ……おじいちゃん……おばあちゃん……お義母さん……」
 四葉の目から涙がポロポロ落ちる。
「……ちゃん……」
 少女は、泣いて嗚咽する四葉の頭を優しく優しく撫でる。
明璃あかりちゃーん!」
 少し離れたところから女性がこちらに向かって声をかけてくる。
 金髪に青い目の少女に良く似た綺麗な女性が。
「ママだ。もう帰るみたい」
 そう言って少女は、四葉の頭から手を離す。
「貴方……何年生?」
「……三年生」
 四葉は、涙に濡れた目を擦りながら答える。
「そう。私も三年生。受験とかしなければ中学校は一緒ね」
 少女は笑う。
「私は、馬場明璃あかり。貴方は?」
「…………四葉です」
 四葉は、オドオドした口調で答える。
「そう。綺麗な名前ね」
「貴方も……」
 四葉が言うと明璃は、にっこりと笑って椅子から立ち上がる。
「貴方にはちゃんと褒めてくれる人がいる。認めてくれる人がいる。そのことを忘れないで。そうすれば……きっと貴方は貴方を好きになれるから」
「私を……好きに?」
 そんなこと本当にあるのだろうか?
 こんな欠陥品ポンコツな自分を好きになれる日なんて本当に……。
「もし、中学校で出会えて……貴方が貴方を好きになってたら……友達になりましょう」
 友達……。
 四葉は、眼鏡の奥の目を丸くする。
「その時まで……さようなら」
 そう言って明璃は、手を振り、母親の元に戻って行った。
 四葉は、明璃の細くて力強い背中を見えなくなるまでじっと見続けた。
 その背には……本当に翼が生えているように四葉には見えた。

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