クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第十三話
オミオツケさんの言葉にレンレンの顔が固まる。
「ずっと気になってたんだ」
オミオツケさんは、アップルティーの表面を見る。
「学生が普通、食堂で働くなんてあり得ないでしょう?しかも授業の中抜けまでして。うちの高校は確かに緩いけど、こんなこと繰り返してたら内申にも響いてくると思うし……」
「俺……管理栄養士目指してるんで。内申って意味じゃむしろ実績を上げてると思うんですけど……」
「だったら放課後にそう言った関連のバイトをしてもいいわけじゃない?何も学校でやらなくても……」
ずっと気になっていた。
彼が何故、学校という限られた世界でこんなことをしているのか、と。
彼は、頭がいい。
同じ高校生の自分が言うのも烏滸がましいが料理の腕や才能だって凄い。
自分のような隠れてオタクをやってるような冷めたガリ勉とは違う。
本気で管理栄養士を目指すなら、栄養学に力を入れてる大学や企業を目指した勉強なり、経験を積めるような料亭やレストランでバイトした方がよっぽど内申に良いはずだし、彼だってそんなこと分かっているはずだ。
それなのに彼は、一高校の小さな食堂で事情があって食べるものが制限されている生徒相手に料理を振る舞ってる。
自分のような何が何だか説明も出来ないような現象にまで試行錯誤を繰り返して挑んでくれている。
学生食堂という小さな戦いの場で。
生徒以外からは誰からも賞賛されないような場で。
レンレンは、目を逸らし困ったように頬を掻く。
オミオツケさんは、透視するようにじっとレンレンを見る。
「……学校って……怖いですよね」
レンレンは、ぽそりっと呟くように声を出す。
「えっ?」
聞こえなかった訳ではない。
しかし、オミオツケさんは思わず聞き返してしまった。
「同じ時代に生まれて、同じような時間を歩んできてるはずなのに、ちょっと人と違うところがあるだけで貶される対象になるんです。世界から見ればあんな小さな箱物なのに」
レンレンは、エガオのパネルに目をやる。
「笑わない……」
オミオツケさんは、目を小さく震わせる。
「太ってる……小さい……頭が悪い……同じ物が食べられない……たったそれだけの理由で気味悪がられ、馬鹿にされ、虐められる……とんでもなく理不尽です」
オミオツケさんの脳裏にみそ汁を知らないと馬鹿にされて泣いて帰ってきた妹の姿が浮かぶ。
「笑わないことも、太ってることも、食べれないことにだってちゃんと理由があるのに、そんなことで馬鹿にされ、虐められて、自分が悪いのだとコンプレックスを感じる……そんなの馬鹿馬鹿しいと思いませんか?」
レンレンは、オミオツケさんを見る。
その目はいつもの和やかで優しい目ではなく、静かな怒りを蓄えていた。
「だから、俺は……そんな悩みを抱えてるクラスメイト達が少しでも楽しく学校生活が送れるようにしたいんです。太ってたら痩せられる、アレルギーならそれを補える、俺に出来るなり方でみんなを幸せにしたい。そう思って始めたのが……」
「レンレン定食……」
オミオツケさんは、小さく呟く。
「自分に出来ることって何だろう?そう考えた時に思いついたのが料理……それだけです」
レンレンは、小さく笑って後頭部を掻く。
いつもの和やかな笑みが戻る。
「下手の横好きですけどね」
オミオツケさんは、首を横に振る。
そして冷めた目で真剣にレンレンを見る。
あまりに強い目にレンレンは驚く。
「それじゃあ……」
オミオツケさんは、小さく口を開く。
「それじゃあ、レンレン君が協力してくれてるのは妹のため?」
オミオツケさんの言葉にレンレンは目を大きく広げる。
「私のせいで妹が馬鹿にされるのが、虐められるかもしれないのが理不尽だから助けてくれるの?」
それは本当に嬉しいことだ。
会ったこともない大切な妹のためにこんなに親身に考えて、動いてくれるなんてこんなにありがたい話しはない。
感謝しかない。
でも……。
オミオツケさんは、唇を小さく噛んでレンレンを見る。
レンレンは、困ったように眉根を寄せる。
「そうですね。妹さんのためです」
レンレンは、小さな声で言う。
なんでだろう?
嬉しいことのはずなのになんでこんなに胸が痛くなるんだろう?
彼は、ちゃんと望んでいた言葉を言ってくれたはずなのに。
オミオツケさんは、目頭が痛く、熱くなるのを感じた。
「ありがとう……」
オミオツケさんは、小さな声で礼を言う。
「これからも妹の為によろしくね」
「そしてオミオツケさんの為です」
二人の声が一言一句ズレることなく被さる。
しかし、オミオツケさんの耳にはしっかりと聞こえた。
「……えっ?」
それなのに思わず聞き返してしまう。
レンレンは、アップルティーを口に付け、小さく笑みを浮かべる。
「俺……オミオツケさんにも美味しく、楽しくみそ汁を飲んで……幸せになって欲しいです」
オミオツケさんの冷めた目が大きく見開く。
「頑張りましょうね。オミオツケさん」
レンレンは、和やかに微笑む。
「オミオツケさんが幸せになってくたら、俺も幸せですから」
その言葉をが耳に届いた瞬間、オミオツケさんの心がギュッと熱くなった。冷めた目が大きく揺れ、頬が赤く染まる。
「それって……」
オミオツケさんは、小さく口を開く。
「それって……どう言う意味?」
オミオツケさんがじっとレンレンを見る。
レンレンも自分が口にしたことを思い返し、頬を赤く染める。
あれではまるで……。
二人は、同じように顔を俯かせる。
再び沈黙が訪れる。
そんな二人を周りの客と店員達が微笑ましそうに、焦ったそうに見ている。
「オ……オミオツケさん」
レンレンが小さな声で言う。
「な……なに?」
オミオツケさんが顔を俯かせたまま上目遣いにレンレンを見る。
「そろそろ……出ないといけないかも……です」
「えっ?」
オミオツケさんは、顔を上げてカフェの入り口を見て、驚く。
入り口の外にはいつの間にか長蛇の列が出来ており、全員が全員、興奮気味に今か今かと入るのを楽しみにしていた。
カフェの中もいつの間にか満員御礼で、何故かこちらをヤキモキした顔で見ている人たちがいた。
「そろそろ出ないとお店に迷惑ですね」
「そうだね」
オミオツケさんは、少しホッとしたようながっかりしたように言う。
「オニオンスープ、まだ残ってますよ」
レンレンは、蓋のされたままのスープを指差す。
オミオツケさんもその存在を忘れていて「あっ」と口にする。フレンチトーストのあまりの美味しさと胸に沸いた感情に乱されて忘れていた。
「残しますか?」
「ううんっ。飲むよ。せっかく作ってくれたんだもん」
そう言ってオミオツケさんは、すっかり冷めたスープの器を持ち、蓋を開ける。
そして驚愕する。
スープの器の中に入ってたもの。
それはオミオツケさんが知っているオニオンスープではなく、ワカメと豆腐の泳いだ鮮やかな茶色のみそ汁であった。
オミオツケさんは、息を飲む。
なんでオニオンスープがみそ汁に⁉︎
店員が間違えたのか⁉︎
そんな考えが逡巡するももはやどうでもいいことだ。
もう、オミオツケさんの意識は目の前にあるものをみそ汁と認識してしまったのだから。
みそ汁の表面が沸騰するように泡吹き始める。
オミオツケさんの表情が青ざめる。
レンレンもオミオツケさんの異変に気付く。
みそ汁は、器の中で螺旋を描きながら激しく回転し、旋風のように浮かび上がる。
オミオツケさんは、思わず器を落とす。
その音に客と店員達が振り返り、オミオツケさんの前にみそ汁の旋風に驚きの声を上げる。
まずい!
レンレンは、慌ててたちあがる。
みそ汁は、ゆっくりと形を変えていく。
ワカメと豆腐が左右に綺麗に分かれ、汁が半分に分裂する。
豆腐の方は華奢な女性の姿へと形を変え、豆腐が鎧のように各所に浮かび上がる。
ワカメの方は背の高い男性。髪が盛り上がって鳥の巣のような髪型になる。
エガオとカゲロウだ。
オミオツケさんは、震える目を大きく開く。
みそ汁のエガオとカゲロウはお互いで見つめ合うとゆっくりと近寄り、そしてそのままお互いの口と口を合わせた。
まるであの時の映画のワンシーンのように。
オミオツケさんは、呆然とその光景を見つめる。
客と店員達は何が起きてるのか分からず悲鳴を上げる。
変化が起きる。
エガオとカゲロウを模したみそ汁が溶けるように混じり合っていく。官能的に艶かしく動きながら丸い球状へと形を成したかと思うと再び表面を波立たせ、男性の胸像のような姿へと変わる。
オミオツケさんの目が震える。
一度を形を成したみそ汁が二回変化したことなんていままでなかった。
しかも……その姿が……。
「レンレン君?」
それは見間違いのないレンレンの顔であった。
レンレンの顔を模したみそ汁は優しく微笑むと胸の部分からこぼれるように汁が流れるように溢れ、腕の形になると、そっとオミオツケさんの頬に触れる。
その感触はとても温く、気持ち悪い。
それなのにオミオツケさんは、レンレンを模したみそ汁から目を反らすことが出来ない。
レンレンを模したみそ汁の唇が小さく動く。
その口から声は発しない。
しかし、動きでオミオツケさんと囁いてたことが分かった。
レンレンを模したみそ汁の顔がゆっくりとオミオツケの顔に近づく。
オミオツケさんは、逃げようとするが何故かみそ汁の手を振り解くことが出来ない。
レンレンの顔が近づく。
レンレンの顔を模したみそ汁の唇とオミオツケさんの唇が触れそうになる。
オミオツケさんは、大きく目を震わせ、小さく涙を流す。
その瞬間。
レンレンの顔を模したみそ汁の顔が弾ける。
茶色い汁とワカメ、豆腐が飛び散り、オミオツケさんの顔と衣服、そしてテーブルを濡らす。
驚き、震えるオミオツケさんの目にレンレンの怒りに震える顔が飛び込んでくる。
大きく、伸ばされたレンレンの右手はみそ汁で茶色く濡れていた。
レンレンは、振りかぶった右腕の勢いに引っ張られるようにそのままテーブルの上に顔を見て突っ込み、そのままみそ汁に汚れた床の上にひっくり返る。
レンレンは、仰向けに床の上に倒れ、フレンチトーストの乗っていた大きな皿がレンレンの顔の上に落ちる。
「レンレン君!」
オミオツケさんは、悲鳴を上げて倒れ込んだレンレンに駆け寄る。
幸い、皿はプラスチックだったので割れてない。
しかし、頭を打ってる可能性がある。
「レンレン君、大丈夫⁉︎動かないで!」
オミオツケさんは、叫びながら言ってレンレンの顔の上に乗った皿を退かして、絶句する。
レンレンの顔は、真っ赤に染まっていた。
血ではない。
紅潮でもない。
顔中に蕁麻疹のような出来物が無数に浮かんでいる。
「レンレン……君?」
オミオツケさんは、何が起きたか分からず呆然とレンレンを見下ろす。
「アナフィラキシーショックだな」
いつの間にかオミオツケさんの隣に高齢の男性がいた。孫と妻と一緒に和食を食べていた男性だ。
「私は、医師だ。安心しなさい」
男性は、オミオツケさんに優しく言うとレンレンの喉元に指を当て、呼吸音を確認する。
「発作を起こしてる、呼吸もうまく出来てない」
男性は、オミオツケさんを見る。
「エピペンはあるのかな?」
男性は、優しく声をかける。
エピペン⁉︎
しかし、オミオツケさんは混乱して何を言われてるか分からず、震えて首を横に振るだけだった。
男性は、ふうっと息を吐き、店員に救急車を呼ぶよう指示した。
オミオツケさんは、何も出来ないまま、考えられないまま、苦しみ続けるレンレンを見ているしかなかった。