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クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第三話

 オミオツケさんとみそ汁との因果の起こりは初めての離乳食の時だった。
 父は小学校の教諭、母は幼稚園の教諭という児童教育のエキスパートの間に生まれたオミオツケさんだがその子育てはとても緩やかなものであった。
 激しく叱ったりすることはなく、泣けば優しく抱きしめて、肌荒れしないよう天然素材の服を着せ、オムツとお風呂は夫婦で交代しながら行い、ミルクも母乳には拘っていたが辛い時は市販のミルクで父親が上げるなど両親にもオミオツケさんにも負担にならない子育てに力を入れていた。
 教育現場に身を置いてる両親だからこそ様々な家庭を見て、自分達とオミオツケさんに合うスタンスを選んだとも言える。
 そんな緩やか家族だが離乳食には力を入れていた。
 ミルクは身体から出るものなので父親があげる際には市販でも仕方ないにしても離乳食はやり方一つで子どもの今後の味覚や食生活に関わることが大きい。
 幼稚園の教諭である母親はそれを意識し、今日という日の為に離乳食メニューを勉強、考案していた。
 そうは言っても最初の一口ファースト・バイト
 凝ったものではなく、豆腐の味噌汁を何倍にも薄くして、ご飯と炊いておじやにしたものを準備した。
 見た目も綺麗で食欲が湧き、味は大人にとってはあまりにも薄すぎるもののほのかな旨味を感じる一品。
 一歳にも満たないオミオツケさんも母特製のおじやを見て嬉しそうに笑っていた。
 いざ実食。
 オミオツケさんを赤ちゃん用の椅子に座らせ、父が見守る中、母が離乳食の器を近づけ、スプーンで掬おうとした瞬間である。
 おじやが弾けた。
 爆竹が地面で踊って爆ぜるように。
 汁と豆腐、米を部屋一面と両親の顔に飛び散らせて爆発した。
 何が起きたか分からず、両親は唖然とし、小さなオミオツケさんは突然、起きた不可解な爆発に怖くなって大泣きした。
 我に返った両親は、何が起きたか話す前にオミオツケさんを宥めて泣き止ませ、家の中を綺麗にし、顔を洗った。
 そして改めて何が起きたのかを確認するも器には傷一つなく、飛び散った汁も米も常温。空調に変化はないし、窓は閉めてたから突風だって起きてない。
 そこまで確認して両親が出した結論は、器の持ち方が悪かったのだろう、という簡単なものだった。と、いうかそれ以上の答えは出なかった。
 二人は、オミオツケさんを落ち着かせると改めて離乳食の初めての一口ファースト・バイトを再開する。
 そしてそれがオミオツケさんとみそ汁の因果を決定づけた。
 母親がおじやの入った器を近づけた瞬間、米と豆腐と汁が震えだす。
 両親の目が驚愕に飛びださんばかりに剥ける。
 米と豆腐、そして汁はそれぞれが意思を持ってくかように動き、くっつき、まとまり、野球の球の大きさの球状にまとまる。
 そしてゆっくりゆっくり宙に浮き上がり、オミオツケさんの視線を超え、両親の頭を超え、電灯の近くまで浮かび上がった瞬間、みそ汁の球はパァーンッと弾けた。
 花火のように。
 大輪となって米と豆腐と汁を飛ばした。
 あまりにも理解出来ない現象に両親の思考は止まり、オミオツケさんは、両手を叩いて喜んだ。

「それから父と母は直ぐに近所の神社やお寺を回ったらしいの。ひょっとしたら呪われてるんじゃないかって危惧して」
 オミオツケさんは、綺麗に拭いたテーブルに座って神妙に話す。
 レンレンは、みそ汁とワカメで汚れた雑巾を綺麗に洗って干し、ついでに湯呑みにティーパックのお茶を淹れてからテーブルに戻る。
「それで……」
 オミオツケさんの前に湯呑みを置いてレンレンも向いの席に座る。
「どうだったんですか?」
 あんな不可思議な現象、何もないわけがない。
 それこそ末代まで続く死に至る呪いや神の与えた奇跡と言われても実際に目撃した人間としては疑う余地もない。が、実際にそう言われた場合、自分はどう反応すればいいのか?どう彼女に声を掛ければいいのか?まるで検討がつかなかった。
 しかし、彼女から飛び出したのはまるで予想に反した言葉だった。
「なにも……」
「えっ?」
「なにもないって」
 空いた口が塞がらないというのはこういうことを言うのか?
 そう思うくらいレンレンは、ぽっかりと大きな口を開いて唖然とする。
「なにも……ない?」
 そんなわけ……と言いかけた言葉を飲み込む。
 勝手なことを言わず、彼女の言葉を待った方がいいと判断する。
「正確には見てもらっても何にも言われなかったらしいわ」
 どんなに霊験あらたかな神社の神主、寺の住職に見せても言われるのは"可愛い赤ちゃんですねえ"、"お宮参りですか?""男の子?女の子?"等々、どこにでも転がってるようなありきたりな言葉を言われただけだったと言う。
「あんまりにも普通過ぎて父も母もお祓いを頼むこともなかったそうよ」
 そう言って彼女は"お茶ありがとう"と言って口を付ける。
 大和撫子に相応しい綺麗な所作だ。
「そんなこと……あるんですか?」
 あんな不可思議な現象が起きてるのに誰も気づかないなんて……。
 しかし、オミオツケさんは冷めた目を細めて言う。
「あるわよ」
「えっ?」
「だって君……神社の神主やお寺の住職が修行したくらいで霊力や魔法みたいのが身につくと思う?」
 オミオツケさんの淡々とした言葉にレンレンは声を詰まらせる。
 確かにそうだ。
 お寺や神社で座禅や断食、お清めをしたところで悟りは開けても不思議な力なんて身につく訳はない。
 そんなファンタジーなことが現実に起きるわけがないのだ。
 本来なら。
「父も母もそのことに気づいて神社やお寺に頼るのはやめたの。自分の娘にファンタジーが起きてるって言うのにね」
 そう言ってオミオツケさんは苦笑する。
「それで……どうしたんですか?」
「調べたらしいわよ。父と母らしい現実的な調査で」
「現実的な調査?」
 レンレンは、首を傾げる。
「不可思議な現象が起きた場面を再現して一つ一つ検証していったの。器が悪いのか?気温が良くないのか?それとも食べ物か?そして検証した結果、原因はみそ汁であることが分かった」
 オミオツケさんの前にみそ汁を持っていくたびに様々な反応を繰り返したと言う。
 鳥になって飛び立つ。
 無数のてんとう虫になってテーブルを這う。
 猫になって窓から逃げようとしてガラスにぶつかって弾ける。
 様々な目を疑うような現象が起き、父と母はその度に心臓が破裂しそうなくらいに驚きながらも検証を続けた。
 結果として分かったのは……。
「この現象はみそ汁でしか起きないということよ」
 白いご飯を持っていっても反応しない。
 コーンスープや他の汁物系を持っていっても反応しない。
 味噌を使った料理、鯖の味噌煮やもつ煮込み、味噌ラーメンを持って行っても反応しない。
 この現象はみそ汁でしか起きないのだ。
「それから我が家ではみそ汁は一切飲まなくなったの」
 食卓でみそ汁が並ぶことは無くなった。
 外食でも和食レストランに行くことは無くなった。
「学校の給食はどうしたんですか?」
 レンレンは、眉を顰めて聞く。
 そんなに多かったわけではないが給食でもみそ汁が出ることはあったはず。
 それはどうしたのだろう?
「休んだわ」
 オミオツケさんは、そう言って小さく舌を出す。
「みそ汁がある日だけ風邪を引いたとか、冠婚葬祭とかで理由をつけて休んだの。もう少し成長してからは生理痛を理由に。実際、重かったから嘘ではないんだけど親公認で学校を休めるのは嬉しかったわ」
 なるほど。
 それはある意味では羨ましくもある。
 しかし……それじゃあ。
「それでは特にみそ汁が飲めなくて困ったことはなかったわけですね」
 話しだけ聞いていると結尾一家は巧みにみそ汁との接触を避けることに成功していた。
 中学校に入れば学食のある私立にでも入らない限りはお弁当だからみそ汁との接点なんてないだろう。今だって食堂を避けたり、お昼の時みたいにテイクアウトにすればみそ汁と触れ合うことはない。
 なのに……。
「なんで……みそ汁を飲みたいんですか?」
 そう聞いた瞬間、オミオツケさんの顔が暗くなる。
 冷めた目が彷徨ってテーブルを見て、両手で湯呑みをきゅっと握る。
 オミオツケさんの雰囲気の変化にレンレンは顔を顰める。
「妹……」
 オミオツケさんは、ぽそりっと呟く。
「妹が出来たの」
 彼女は、力なく話し出す。
 彼女が中学一年生の時に母のお腹に新たな命が宿った。
 母は、元々不妊症でオミオツケさんが妊娠したのも奇跡とまで言われていたので、十三年の時を経て新たに宿った命に家族中で喜んだ。
 オミオツケさんもずっと欲しかった弟か妹が出来たことが嬉しくてしょうがなかった。
 妹は、十月十日問題なく出生した。
 父と母曰く、オミオツケさんにとてもよく似た顔立ちをしているそうだ。
 それを聞いた時はどうか自分と違って愛想良く育ってほしいと心から願った。
 妹は、本当に問題がなかった。
 スクスクと成長し、よく笑い、よくミルクを飲み、ハイハイも早く、そして何よりもどんなご飯をあげても不思議なことは起きなかった。
「父と母はなにも言わなかったけどホッとしていたと思う」
 そう本当に妹には何の問題もなかった。
 タッチが出来るようになり、歩けるようになり、言葉を覚えて、三歳になって幼稚園に通って友達もたくさん出来て、先生にもたくさん褒められた。
 そう妹に何の問題もなかった。
「問題があったのは……私なの」
 そう呟く彼女の声は冬の影のように冷たかった。

 それはオミオツケさんが高校一年生になってすぐののこと。
 母が幼稚園の先生に呼び出された。
 妹が癇癪を起こして友達を殴ってしまったのだと言う。
 妹は、とても穏やかで優しい性格をしており、友達に手なんて出す子じゃない。
 特に今日は幼稚園の畑で育てたじゃが芋をみんなで食べるんだって喜んで行ったはずなのに……。
 母は、慌ててた幼稚園に向かった。
 そして幼稚園の先生と話し、妹と一緒に帰ってきた時、母はとても暗い顔をした。
 オミオツケさんは、悲壮な顔をしている二人に思わず何があったのかを聞いた。
 妹が何の理由もなく人を殴るわけがない。
 きっと相手の子が何かしたのだと、この時までは本気で思っていた。
 しかし、悪いのは妹でも、相手の子でもなかった。
 母は、オミオツケさんの質問に言いづらそうにして目を反らした。
 しかし、妹は涙を浮かべながらこう言った。
「みそ汁知らないって言ったら笑われたの」
 それを聞いた瞬間、オミオツケさんは世界から消えたくなった。

「妹はみそ汁を知らない。うちではみそ汁は出ないし、外食しても和食のお店には行かないから当然見たこともない。見たこともないまま五歳になった。だから幼稚園の先生から作ってくれたじゃが芋のみそ汁を見ても分からなかったの」
 友達の家庭は当然のようにみそ汁が出ている。
 喜ぶ子もいればみそ汁かよーっとがっかりした子もいただろう。そんな中でみそ汁を知らない妹は当然、不思議に思うし、周りに聞きもするだろう。
 そして心の発達が未熟な子どもは無邪気に馬鹿にする……。
 レンレンは、心に言いようのない重しが乗った気分になる。
 なんでみそ汁だったのだろう?
 じゃが芋なんだからせめてじゃがバターとかポテトサラダとかだって出来たはずだ。
 それこそ手間とかアレルギーの問題だったのだろうか?
 レンレンは、あまりの的外れな怒りを顔も知らない幼稚園の教諭にぶつけた。
「それまでね……別にみそ汁が飲めないことを気にしたことはなかったんだ……」
 オミオツケさんは、視線をテーブルに落とし、教会で懺悔をするように言う。
「父と母もみそ汁が飲めないことで責めることもなかったし、学校でも部活でも友達との付き合いでも困ることはなかった」
 日本と言う国に住んでるのにも関わらずみそ汁に触れ合う場面は意外にも少ない。家庭で出なかったらほとんどは避けられると言ってもいい。だから、これまでの人生でみそ汁を飲めないことに引け目を感じることなんて一切なかった。
「でも、その弊害は私でなく妹に出た。彼女には何の問題もないに……みそ汁を飲むことが出来ない姉がいるせいであの子が辛い目にあったの……私さえいなければ何の問題もなく飲めるのに……」
 オミオツケさんは、悔しそうに歯噛みする。
 そうか……。
 それで彼女は、オミオツケと言うあだ名に異様に反応するようになったのか……。
 そしてそれが彼女がみそ汁を飲みたくなった、いや、飲まなくてはならなくなった理由……。
 アレルギーでもない。
 好き嫌いでもない。
 でも、決して食べることが出来ない。
 だから藁にも縋る思いで来たのだ。
 レンレンのところに。
 レンレン定食に。
「本当に呪いファンタジーだ」
 レンレンは、ぼそっと小さな声で呟く。
 レンレンの言葉が聞き取れずオミオツケさんは眉を顰める。
 レンレンは、柔らかく微笑む。
「分かりました」
 レンレンの言葉にオミオツケさんは、冷めた目を大きく開く。
「何をどうしたらいいのかまったく分かりませんが俺で出来ることなら協力します」
 レンレンは、穏やかに、そして力強く言う。
「……本当に?」
 オミオツケさんは、信じられないと言わんばかりに声に出す。
 レンレンは、眉を顰める。
「オミオツケさんは、俺に協力して欲しかったんじゃないんですか?」
「いや……そうなんだけど……」
 オミオツケさんは、両手を組んで指をモジモジ動かしながら上目遣いでレンレンを見る。
「本当に……引き受けてくれるなんて……思わなかったから……」
 じゃあ、何で見せたんだ⁉︎
 下手したら世界を巻きこむ大騒ぎになったかもしれないのに⁉︎
 レンレンは、思わず心の中で突っ込む。
 しかし、彼女は何でレンレンが慌ててるか分からないと行った様子で首を傾げる。
 クールで知的。
 しかし、その中身は意外と天然なのかもしれない。
 レンレンは、思わずクスリっと笑う。
 オミオツケさんは、自分が笑われてると気づき、頬を真っ赤にして膨らませる。
「みそ汁……飲めるようになりましょう。オミオツケさん」
「うんっよろしくレンレン君」
 そう言って二人は恥ずかしそうに笑う。
 かくして二人のみそ汁を飲む為の挑戦が始まった。

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