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聖母さんの隣の高橋くんは自分の心臓とお話ししてます 第八話

「マリヤちゃんの髪は綺麗だねえ」
 さくらは、柔らかく微笑んでピンクのブラシでマリヤの髪を梳かす。
 マリヤは、さくらの優しく、丁寧な櫛の手捌きに気持ち良くなりながら、(ああっこれは夢だ)と認識した。
 母親が新婚時代に父親に、買ってもらったと言う古びたドレッサーに映る二人は小学生の姿をしていた。
 マリヤは、ブラウンの髪を野球をする為に男の子のように短く刈り上げ、服装も黒い半袖にデニムの短パン、西洋的で綺麗な顔つきにブラウンの目は変わらないが、表情に柔らかさがなく、むすっとした感じの本当は嬉しいのに素直に言えない男の子に間違えられそうな雰囲気が漂っていた。
 一方のさくらは、ハープの弦のような黒い髪をふんわりと肩まで伸ばし、服装も柔らかく膨らんだワンピース、東洋的で綺麗な顔つきに夜の湖面に浮かぶ月のような金の帯びた目はお伽話に登場する巫女のようで、お淑やかで柔和な笑みを浮かべている。
 そして東洋的、西洋的な違いはあれど二人は同じ顔をしていた。
 同じ顔をしてじっと互いの顔を鏡を通して見ていた。
「もうちょっと伸ばして見たら?そしたらもっと綺麗で可愛くなるわよ」
 さくらは、にこっと微笑みながらマリヤの髪を梳かす。
「ううんっ私……このくらいの長さの方が好きだから。と、言うか似合わないし」
 マリヤは、当時の自分が言ったであろう言葉をなぞるように言う。
 さくらの夢を見る時、マリヤはこれを夢だと認識している。
 しかし、現在のマリヤとして話そうとしたことはなかった。
 もし、現在のマリヤの言葉で話してしまったら二度とさくらの夢が見れなくなるのはないかと言う恐怖と話せたとしても何を話したら良いか分からなかったから。
「私の髪……ゴワゴワでしょう?梳かすの大変じゃない?」
 小学生の頃のマリヤは女の子らしい身だしなみなんて気にしたこともなく、髪を洗う時だってリンスインシャンプーだ。
 それに比べてさくらは母に習って匂いの良いシャンプーとコンディショナーを丁寧に塗りつけるように洗っていた。
 同じお腹にいて、同じ時期に生まれた双子なのに外見だけでなく中身まで何でこうも違うのだろうと母は良く笑い、マリヤ自身もそう感じていた。
 それくらい自分とさくらは共通点がなかった。
「そんなことないわよ。言ったでしょう?マリヤちゃんの髪、とっても綺麗で大好きよ」
 さくらは、柔和に微笑んでマリヤの頬をつんっと人差し指で触る。
「ほっぺも可愛い」
 マリヤは、夢の中なのに恥ずかしさで頬が熱くなるのを感じた。
 さくらは、純真爛漫だった。
 誰にでも優しく、心が綺麗で、頭も良く、小学生だと言うのに品が良く、お淑やかで、何があっても怒らない。
 たくさんのお友達にも恵まれ、両親を始め大人たちにも愛され、母方の祖父母や親戚たちはマリヤには目もくれずにさくらに心血を注ぐように愛を向けていた。
 まさに聖女という言葉が相応しく、あんなことさえなく成長していればきっと本物の聖母のようになっていたことだろう。
 そんなさくらのことをマリヤはとても大好きでとても疎ましく思っていた。
 だからこそ思う。
 あんな事さえなければ……と。
「ねえ、マリヤちゃん」
 さくらは、優しく話しかけてくる。
「なに?さくらちゃん?」
 マリヤは、鏡越しにさくらを見る。
 次にさくらが発する言葉は分かってる。「この前の試合のホームラン、凄かったね」か「今日の漢字のテスト大丈夫?昨日、あんまり勉強出来なかったもんね」だ。
 マリヤは、どちらでも対応出来るように答えを用意して待った。
 さくらは、柔和に微笑んで鏡越しにマリヤを見る。
「マリヤちゃんは……今……幸せ?」
 マリヤのブラウンの目が小さく震える。
 そんな言葉、夢の中で聞いたことない。と、言うよりもそんな会話をした記憶もない。
「え……なに?」
 マリヤは、夢が壊れないよう無難に返す。
「さくらちゃんは……今、幸せなのかな?」
 さくらが悲しそうな笑みを浮かべて言う。
 何と答えたらいいの?
 どう答えるのが正解なの?
「……幸せだよ。当たり前じゃん」
 恐る恐るマリヤは答える。
 夢は壊れない。
 正解だ……とマリヤは胸を撫で下ろす。
 しかし……。
「嘘だ」
 さくらは、ぼそっと答える。
「えっ?」
「マリヤちゃん……嘘ついてる」
 さくらの顔が浮かぶ。
 聖女の表情が悲壮に歪む。
「嘘じゃないよ。私は幸せだよ」
 マリヤは、慌てて取り繕う。
「お父さんやお母さんがいて、さくらちゃんがいて私はとっても幸せだよ」
 そういってマリヤは笑みを浮かべる。
 聖母の笑みを。
 そして気づく。
 鏡に映っている自分がいつの間にか高校生のマリヤになっていることに。
「マリヤちゃん」
 さくらは、小さな両手をマリヤの首に回す。
 その手は血に塗れ、指は何本か欠損し、割れるように傷ついた肉の割れ目から血が吹き出し、骨が見えていた。
「ごめんなさいマリヤちゃん」
 さくらは、呟き、顔を上げる。
 その顔は血に汚れ、口元の肉が削げて骨が見え、月のような黄金の目が空虚に光る。
 あの時のように。
 マリヤは、息を飲む。
「私のせいで……私のせいで貴方に……貴方に……」
 鏡に映った死人のようなさくらの顔、月のような金色の目にマリヤの顔が映る。
「でも、大丈夫」
 さくらは、ぎゅっとマリヤの首筋に回した手に力を込める。
 血が吹き出し、マリヤの顔を赤く染める。
「私は貴方を守れない。傷つけるだけだけど、貴方を守ってくれる人は近くにいるから……だからお願い怖がらないで。泣かないで」
 血に染まったさくらの顔がマリヤの顔を見る。
 マリヤもブラウンの目でさくらを見る。
「どうか貴方が本当の貴方になって……本当の幸せが訪れますように」
 さくらの骨のむき出た唇がマリヤの頬に触れる。
「大好きよ……マリヤちゃん」
 さくらは、裂けるように、しかし、にっこりと微笑み、そのまま消える。
「さくらちゃん!」
 マリヤは、叫び、さくらの消えた宙に手を伸ばす。
 マリヤの目は、月のように金色に輝いていた。

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