クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第十五話
引きこもってしまった息子を心配した両親は少しでも気晴らしになればとレンレンを旅行に連れて行った。
遊園地で遊び、海を泳ぎ、大好きなアニメの聖地を巡るなど、思いつく限りのレンレンの好きな所を回ったと言う。最後は予め予約しておいた乳製品と縁遠い和食のお店
に行き、食事をして帰ろうとした時、トラブルが起きた。
店側の手違いで予約が取れていなかったのだ。
しかも満席。
当然、空くのを待っていたら帰りの新幹線にも間に合わない。
普段は怒らない両親の怒りにレンレンが驚いていた時、「よかったらうちに来ませんか?」と声をかけられた。
四十過ぎの綺麗な女性だった。
女性は、近くの農家の人でお店に野菜を下ろしており、そこで小さなレストランもやってると言った。
普段はこんな出しゃばったことはしないがレンレン家族とお世話になっているお店がもめてるのを見て思わず声をかけてしまったと言う。
お店側は思わぬ助け舟に喜び、送迎と食べた食事の負担をさせてもらうと言った。
しかし、レンレンのアレルギーのことがあるので当然、両親は渋り、申し出はありがたいけどそちらに行くことは出来ないと告げた。
しかし、事情を聞いた女性はにっこりと微笑み「だったら尚のことうちにいらしてくださいな!」と半ば強引に自分のレストランに連れてきた。
レストランは、地方の農家がやってるとは思えないくらい小洒落ていて地元の人だけでなく、わざわざ車で遠くから足を運ぶ人もいる知る人ぞ知る人気店のようだった。
「この子のメニュー、私が決めて良いですか?気に入らなきゃ料金はいらないので」
それだけ言うと女性は両親の意見も聞かずに厨房へと引っ込んだ。その後、慌ててアルバイトと思われる若い男の子が両親の注文を聞きに来た。
両親は不安げに厨房を見て、レンレンは何が起きたのかまったく分からず呆然とした。
それからしばらくして女性が一つの皿をレンレンの前に置く。
レンレンは、目を大きく見開く。
目の前に置かれたのはアニメでしか見たことのないメープルシロップがたっぷりかかったパンケーキだった。
レンレンは、初めて見たパンケーキに大きく目を大きく輝かせる。
メープルシロップのかかったこんがりと焼け目のついたパンケーキは何ものにも変え難いくらい煌びやかで、美しくて、そして美味しそうだった。
両親は激怒した。
アレだけ息子にはアレルギーがあると言ったのにこれはどう言うつもりだ、と。
しかし、女性は、両親の怒りを無数の針のように受けても笑みを絶やさなかった。
「このパンケーキは息子さんの為に作ったパンケーキです」
そう言ってからレンレンに目を向ける。
「どうぞご賞味ください」
そう言ってレンレンに優しく微笑んだ。
その笑みはレンレンの傷んだ心を動かすには十分すぎるほどに温かいものだった。
気がついたらレンレンはナイフとフォークを使ってパンケーキを口に運んだ。
レンレンの両親はそれを見て悲鳴を上げる。
女性は、じっとパンケーキを食べるレンレンを見る。
レンレンの目が大きく、大きく見開く。
「あ……っ」
震える声が小さく漏れる。
母親は、慌てて吐き出させようとし、父親は発作時の薬を準備しようとする。
しかし……。
レンレンの目から涙が溢れる。
頬が、唇が、身体が震える。
それは発作ではなく……歓喜の震えだった。
「甘い……」
レンレンは、ぼそりっと言う。
「美味しい……」
レンレンの目に星屑のように輝く。
レンレンは、弾けるように顔を女性に向ける。
女性は、優しく微笑む。
「凄く美味しい!」
レンレンは、食べた。
人生で初めて料理をがっついた。
それ程までにパンケーキは甘く、柔らかく、そして美味しかった。
一欠片も残さず食べ終えてもレンレンの体には蕁麻疹も出なければ呼吸困難に陥ることもなかった。
両親は、驚きすぎて何も言えない。
「オーツミルクで作ったパンケーキです」
女性は、優しい声で種明かしをする。
オーツミルクとは、オーツ麦と呼ばれる麦を砕いて濾過して作った植物性のミルクだと言う。
「これなら乳製品アレルギーの人でも美味しく食べれます」
女性の発したその言葉は、レンレンに取ってはまさに神の掲示に等しかった。
生まれた時から串刺しにされ、身じろぎすることすら許さなかった杭が音を立てて緩んだ気がした。
両親は、涙を流してレンレンを見て、女性に先程まで怒りを飛ばしていたとは思えないほどに感謝の言葉を述べた。
しかし、唐突に女性の顔から笑みが消える。
「このパンケーキは確かに美味しいとは思いますが食感や風味はやはり本物とは違います。生地の甘みもどちらかと言うと淡白です。まだまだ本物には敵いません」
そう言って女性は頭を下げる。
レンレンと両親は驚く。
「これが今の私に提供できる精一杯のものです。今はこれでお許しください。そして次いらした時にはもっと美味しいパンケーキが届けられるよう精進致します」
そう告げた女性の目はあまりにも真っ直ぐで、幼いレンレンの心を強く打ち付けた。
そしてこの出会いがレンレンのその後の人生を大きく変化させていった。
「それからレンレン君はびっくりするほど元気になってったらしいよ」
文系女子は、レンレンから聞いたことを思い出しながら説明する。
女性は、都内の大学で管理栄養士として働いていたと言う。両親が高齢になったのを機に戻ってきて農家を継ぎ、以前からやりたかったオーガニックとアレルギーのある人でも食べられるレストランを始めた。
レンレン家族は、女性と交流を持ち、母親は女性とレンレンのアレルギーの相談しながら薬に頼らなくても栄養を摂ることのメニューを考案し、レンレンに提供した。
そのお陰でレンレンの身体は鎖が解かれたように成長した。身長が竹のように伸び、お肉がカンナで削られたように落ちて男の子らしい逞しい身体つきになった。引きこもっていたせいで人と接するのが苦手で気弱なのは変わらないが学校にも無事に戻ることが出来、友達とも遊ぶことが出来るようになった。
そしてレンレンは明確な夢を持つことが出来た。
自分が女性と出会って人生が変わったように自分も同じように食べたいのに食べれなくて我慢し、悲観している人達に料理を届けたい。
人生に少しでも光がさせるようにしたい。
「そう思ってレンレン君は始めたんだよ。レンレン定食を」
オミオツケさんは、目と唇が震えるのを止めることが出来なかった。
レンレンがあんなに一生懸命にみそ汁が食べられるように付き合ってくれたのはその為だったのだ。
誰よりも食べたいのに食べれない苦しみを知っているからこそレンレンはあんなにも考え、あんなにも動いてくれたのだ。
オミオツケさんが楽しく、家族と、友達と、そして自分自身のためにみそ汁が飲めるようにと願って。
それなのに……それなのに……。
オミオツケさんの目から涙が溢れる。
突然、泣き出したオミオツケさんに二人は驚く。
オミオツケさんは、両手で顔を覆って泣いた。
「私……彼の夢を……命を奪っちゃうところだった」
自分が映画になんて誘わなければ……。
コラボカフェになんて誘わなければ……。
確認もしないでみそ汁に触れなければ……。
くだらない嫉妬なんてしなければ……。
それにきっと彼は……。
「美織ちゃんは悪くないよ」
文系女子は慌てて声をかける。
「そうだよ。知らなかったんだから仕方ない」
スポーツ女子もフォローに入る。
「レンレンも怒ってなんかないし、と、いうか死んでないから、な」
二人は、優しく声をかける。
しかし、オミオツケさんの耳には届かない。
その後、どうやってクラスに戻ったのかも、授業を受けたのかも、生徒会の活動に参加したのかも覚えていない。
しかし、自宅に戻り、自室のベッドに横になってオミオツケさんは決めた。
もうレンレンと会わない、と。