クールで知的なオミオツケさんはみそ汁が飲めない 第九話
玉子スープ。
コンソメスープ。
オミオツケさんは、恐々とお椀に口を付け、味を確認するとホッとして飲み干し、器をテーブルに戻した。
そして緊張する。
残りは二つ。
お吸い物と……みそ汁だ。
「レンレン……ちょっと意地悪じゃない?」
オミオツケさんは、むっと唇を突き出す。
二つや三つで来てくれたらひょっとしたらみそ汁と気づかずに飲み干せたかもしれないのに、これでは緊張で嫌でも感覚が過敏になってみそ汁に反応してしまう。
「そうじゃないと特訓になりませんからね」
そう言ってレンレンが苦笑したのが分かった。
そして次のお椀が置かれたことも。
「さあ、飲んでください」
レンレンの言葉にオミオツケさんは頷くと手を動かして器がどこにあるかを確認し、見つけるとそれをゆっくり持ち上げる。
鼻を摘んでるので匂いはまるで分からない。
やはり味で見極めるしかない。
(クール、クール)
オミオツケさんは、呪文のように胸中で繰り返し、お椀に口を付け……愕然とする。
この塩味の効いた深い出汁の味わいは……。
「お吸い物?」
オミオツケさんは、言葉固く口に出す。
「正解です」
レンレンは、和かに言う。
オミオツケさんは、思わずお椀を落としそうになる。
五択中四択不正解!
いや、不正解ではない。敢えてレンレンはこの選択をしてオミオツケさんに飲ませていったのだ。
みそ汁以外を。
でも……。
「レンレン君⁉︎どう言うこと?これじゃあゲームの意味が……」
オミオツケさんは、言いかけてハッとする。
これはみそ汁当てゲームじゃない。
特訓だ。
レンレンは、五つの汁物を見せることでオミオツケさんの認識をみそ汁当てゲームのようだ、と思わせてそして意図的に違う汁物を飲ませたのだ。
次に来るのがみそ汁である、と。
そしてそれを分かった上で心を落ち着かせて飲むことが出来るか、と。
これはオミオツケさんの心を鍛えるための特訓。
みそ汁の味を感じても、匂いを嗅いでも、見ても動じない、現象が発動しなくする為の特訓なのだ。
トライ・アンド・エラー。
ちょっと前にレンレンが口にした言葉が頭の中で蘇る中、手からお椀の感触が一瞬消え、再び感触が戻ってくる。
少し重くなって。
オミオツケさんは、レンレンが吸い物のお椀からみそ汁のお椀に変えたのだと、すぐに分かった。
その瞬間、お椀の中でみそ汁が暴れ出しているのが指先から伝わってくる感覚で分かった。
どうしよう……どうしよう……。
オミオツケさんは、みそ汁と一緒に自分の心もざわめき、泡立ち始めるのを止めることが出来なかった。
唇を噛み、心臓が激しく鳴り響き、涙が溢れそうになる。
その時、オミオツケさんの小さな肩に硬い温もりが乗る。
「……大丈夫です」
レンレンの優しい声が耳朶を打つ。
「オミオツケさんなら出来ます」
レンレンの声が静かに震える心に染み込んでいく。
心臓の音が少し静かになり、お椀から伝わるみそ汁の感覚も少し静かになる。
「その調子です」
そう呟く声がレンレンの和やかに笑う顔を想像させる。
「……レンレン君」
オミオツケさんは、静かに、しかし縋るように声を絞り出す。
「飲ませて」
「えっ?」
レンレンの驚く声が聞こえる。
「身体が緊張して……これ以上動けないの。お願い……さっきみたいに飲ませて……」
オミオツケさんの肩に乗るレンレンの手が強張る。
手のひらが汗で濡れていくことが分かる。
オミオツケさんも自分がもの凄く大胆なことを言ってることは分かってる。
でも、負けたくない。
失敗したくない。
妹の為にも……。
そして……。
「……わかりました」
肩に置かれたレンレンの手が離れる。
その次の瞬間、お椀を握るオミオツケさんの手にレンレンの手が添えられ、自分の手をゆっくりと動かしながら口元に向かっていく。
再びオミオツケさんの心臓が激しく鳴り響き、お椀の中が暴れ出す。
(お願い……落ち着いて……私の心……)
オミオツケさんは、自分の心に願った。
お椀の端が唇に触れる。
甘く、深い味噌と出汁の味が舌を通り、喉の中に流れ込む。
ごっくん。
オミオツケさんの喉が大きく音を鳴らす。
「ぷはあ!」
オミオツケさんの口から大きな息が漏れる。
レンレンの手とお椀がオミオツケさんの手から離れる。
オミオツケさんは、慌てて目隠しを外す。
LEDライトの光が目を焼き、思わず両手で覆う。
「みそ汁は⁉︎」
オミオツケさんは、両手で顔を覆いながらレンレンに訊く。
しかし、レンレンは答えない。
その代わりにテーブルの上に固い何かを置く音が聞こえる。
オミオツケさんは、両手を顔から離し、ゆっくりと目を開ける。
テーブルの上にあったのはみそ汁の入ったお椀。
その中身は……半分以上減っていた。
「成功です」
レンレンが優しい口調で言う。
「おめでとうございます。オミオツケさん」
レンレンは、大きな微笑を浮かべる。
オミオツケさんは、信じられないと言わんばかりに目を大きく震わせ、お椀を見て、レンレンを見る。
「泡吹き出して"エガオが笑う時"に出てくる鬼の姿になり始めた時はどうしようかと思いました」
そんなことになってたのか……オミオツケさんは呆然と半分になったみそ汁を見る。
「でも、流石ですオミオツケさん。見事、ゲームクリアです」
そう言ってレンレンは笑う。
クリア……ゲームクリア。
その言葉を聞いた途端、現実感がオミオツケさんを満たす。
自分は……またみそ汁を飲むことが出来た。
そして……。
「お礼……」
オミオツケさんは、ぽそりっと呟く。
「えっ?」
レンレンは、小さく声を出す。
オミオツケさんは、冷めた目をレンレンに向ける。
「お礼……付き合ってよね」
その言葉にレンレンは大きく目を開く。
オミオツケさんの冷めた、しかし、力強い目がレンレンを下から覗き込む。
それだけで彼女がいかに今回の特訓を真剣に受けていたかが伝わってくる。
(本当にみそ汁が飲めるようになりたいんだな)
妹のために。
そしてこんなに頑張ってるオミオツケさんがお礼をしたいと願ってるのだから自分もしっかりと答えなければ……。
「いつ行きますか?」
そう口にした瞬間、オミオツケさんの冷めた目と表情が輝く。
「今度の日曜日!チケットは私が取るから!」
オミオツケさんは、小学生が先生の質問に挙手して答えるように大きな声で言う。
「約束だからね!」
「……はいっ」
レンレンは、小さく笑って頷いた。