半竜の心臓 第4話 竜の炎(2)
アメノは、猛禽類のような目を細める。
暗い澱みが激しく脈打つ。
澱みの中でおり重なり合う死骸が爬虫類の舌のように震え、蠢く。
黒い海を泳ぐように澱みの表面から無数の手が天を仰ぎ、暴れ、互いの身体を梯子の代わりに擦り合わせながら蛞蝓のように張って崖へと近寄ってくる。
そして彼らが崖の上に立った瞬間、瘴気が溢れかえる。
火山の煙よりも重い瘴気にロシェは気持ち悪くなりその場に膝を付きそうになる。
『耐性強化』
ヤタの頬に貼られた髪が魔法を唱える。
ロシェの身体の周りに白く光る膜が貼られ、嘘のように気持ち悪さが無くなる。
『神の奇跡ほどの効果はないので下手に動き回らないように』
紙の口が忠告する。
本来の彼の口は複雑で聞いたこともない言葉を独り言のように呟いていた。
ロシェは、崖の方、アメノに向けて目を送る。
数えるのすら躊躇うほどの数の動く死体がアメノから先を埋め尽くしていた。
そのほとんどが黒く炭化した骨になっているか肉が剥がれ掛け、臓器や皮膚が垂れ下がっている。
そのあまりに悍ましい姿に瘴気から守られているはずのロシェの胸に不快感が込み上げ、恐怖が芽生える。
『不死の王はいなそうですね』
「暴れれば出てくるだろう」
アメノは、臆した様子すら見せず、木の棒でも引きずるように刃を下に下ろしたまま近づいていく。
意思なんてまるでなさそうな動く死体達が磁石に引かれた鉄のように一斉にアメノを見る。
あらゆる感情のタガの外れた凶暴なまで飢えが光を失った目に宿る。
アメノは、ふうっと小さく息を吐く。
「夕飯前には帰りたいんだ」
アメノは、刀を持ち上げ、刃を肩の上に乗せる。
逆の手を伸ばし、人差し指をクイクイッと何度も曲げる。
「さっさと成仏しろ」
動く死体達の様子が変わる。
虚しい本能だけの食欲しかないはずの彼らの感情に何かが破裂する。
動く死体が一斉に襲いかかる。
アメノは、気怠そうに刀を振るう。
一閃。
ロシェにはアメノが一回だけ刀を振るったように見えた。
しかし、そう見えただけだった。
10を超える動く死体の首が一斉に落ちる。それだけでなく腕が、腹が、足が全て崩れるように地面に落ち、霧となって霧散する。
ロシェは、驚きのあまり目を剥く。
動く死体達は、仲間が殺されても意を返さずにアメノに襲いかかる。
アメノは、つまらなそうに、退屈そうに、しかし次々と動く死体を切り裂いていく。
首が、腕が、足が、骨が、臓物が宙を舞い、地面に落ちて霧散する。
身体が消えなくなるとアメノは、柄の先端に差した瓶を捨て、新しい物に取り替える。
それを淡々と作業のように繰り返す。
まるで道に落ちたゴミを箒で払うように。
圧倒的。
まさにそれ以外の言葉が見つからないくらいに強い。
『優秀な前衛がいると本当に戦いが楽ですね』
ヤタの紙の口が言う。
「アメノ様、お一人で倒されてしまうのでは・・」
『それは無理でしょう』
ロシェの背後で空気の抜けるような叫び声が聞こえる。
振り返ると数体の動く死体が地面から伸びた石の杭に身体を貫かれ、串刺しになっていた。
それでもロシェを襲おうと必死に手足をばたつかせる。
そのあまりの不気味さにロシェの表情は、青ざめ口元を覆う。
『戦力に対し数が圧倒的すぎますからね。必ず綻びが出ます』
紙の口が笑う。
『まあ、それでもこんな微細程度で済ませるのは流石ですが。並の前衛ならとっくに飲み込まれてます』
ロシェは、アメノを見る。
アメノは、刀を振るい次々と敵を屠っているにも関わらず数は減らない。
それどころか・・・。
「増えてる?」
崖の奥から動く死体達が膿のように湧いてくる。減る気配がまるでない。
『どれだけ殺してきたんだか』
ヤタの紙の口が呆れるように言う。
『アメノでなければ既に全滅ですね』
「アメノ様・・・」
ロシェは、目を震わせて祈るように両手を組む。
アメノは、疲れた様子も見せず刀を振るい続ける。
真っ向斬り。
胴切り。
袈裟斬り。
切り上げ。
刺突以外の刀技を振るって次々と切り裂き、霧散させる。
それでも動く死体達は暴れるのをやめない。仲間を押し退けながら単調なアメノを襲い、隙をついてロシェを襲いに行ってはヤタに反撃される。
それを1時間ほど繰り返してから変化が起きる。
あれだけ執拗にアメノを襲っていた動く死体達の動きが止まる。
糸の切れた人形のようにがくんっと首と手を垂らす。
アメノは、動きを止める。
ヤタも詠唱したまま眼鏡の奥を見据える。
ロシェは、何が起きたか分からず戸惑う。
動く死体達が空気の漏れるような叫び声を上げる。
ロシェは、驚き、口に手を当てる。
動く死体達は、緩慢な動きで崖へと向かい、そのまま落ちていく。
『来ますよ』
「ああっ」
アメノは、初めて刀をしっかりと構えた。
暗い澱みが膨らむ。
黒いドームのような泡が膨らみ、赤黒い二つの大きな光が3人を見据える。
崖の端に手が置かれる。
竜よりも、巨人よりも遥かに大きな手。
暗い水のような膜ような皮膚に覆われた手の中で動く死体が骨格のように組まれている。
黒い澱みが崖からその全貌を引き出す。
それは黒い水のような皮膚に覆われた動く死体の集合体であった。
「これが不死の王か」
『中々、育ってますね』
ヤタは、詠唱を唱えたまま紙の口で言う。
「準備は出来たのか?」
『後少しです。やはりこの魔法は難しい。司祭や神官の倍かかります』
「大司祭でも1人では行えないだろうが」
『斬れますか?』
「斬るのは問題ないが・・」
アメノは、柄の先端に差した瓶を外し、新しい物に代える。
刀身が聖水に濡れる。
「これが最後だ。なるべく早めにな」
『心得ました』
アメノは、地面を蹴り上げ、不死の王に向かう。
不死の王は、両腕を高く掲げる。
10の指先の水のような皮膚が破れ、無数の動く死体が鎖のように連なって伸び、アメノを襲う。
あまりの不気味さに少女は、小さく悲鳴を上げる。
アメノは、動く死体の鎖の海を交わし、斬り裂き、打ち落としながら本体へと迫る。
その動きはまるで岩山の隙間を潜りながら登る蛇のよう。
不死の王は、アメノの姿を捉えることが出来ないまま接近を許す。
アメノは、動く死体の鎖を蹴り上げ、上宮へと舞い上がると、脳天から刀を叩きつける。
分厚いビニールの皮を割くような音共に刃が下に滑走する。
地獄の底から湧くような悲鳴が迸り、裂けた皮膚から血流のように動く死体が流れ落ちる。
一刀両断。
不死の王の身体が真っ二つに裂け、崩れ、左右に倒れそうになる。
勝った!
ロシェは、喜びの声を上げる。
しかし・・・。
『間に合いませんでしたね』
ヤタの紙の口が舌打ちする。
アメノは、崩れゆく不死の王に目もくれず刀身を見る。
刀身の表面は乾き切っていた。
不死の王の崩壊が止まる。
左右に分かれた断面から動く死体が折り重なりあいながら糸のように伸びて互いの手を繋ぎ、引っ張り合って巨体をくっつける。
不死の王の身体裂いた跡すら残らず、何事もなかったかのように元に戻り、赤黒い目が怪しく輝いてアメノを見据える。
アメノは、聖水の効果の無くなった刀を構える。
「術はあとどれくらいだ?」
『3分くらいですね』
「腹減るにはいい時間だな」
『持ちますか?』
「問題ない」
不死の王の胸が大きく蠢き、胸を形成する動くし死体が音を立てて砕ける。
刹那。
胸の皮が破れ、砕かれた頭蓋が、腕が、足が、内臓が弾丸となってアメノを襲う。
アメノは、刀を高速で振るって刃の壁として死体の弾丸を防ぎ、弾く。
刀の壁の隙間を抜けた死体の破片がアメノの身体を打ち、傷つけるもアメノの剣速は弱まらない。
地面に落ちた死体の破片が蠢き、くっ付きあって不恰好な動く死体に変貌してアメノを襲う。
アメノは、剣の壁を形成したまま動く死体を切り裂く、が聖水の効果を失った刀は倒すことは出来ても動きを止めることは出来ない。
動く死体達は切り裂かれた部位を不器用にくっつけ、関節すら曲がらなくなった身体を無理なり動かしてアメノを襲う。
戦いでは圧倒するも浄化されることのない動く死体達は、動きを止めることなく緩慢にアメノを襲う。
アメノは、舌打ちし、身体を傷つけ、血を流しながらも死体の弾丸を、動く死体を撃退していった。