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ドレミファ・トランプ 第七話 貴方がいたから(3)

 中学生になって最初の夏が訪れた。
 制服は夏服に変わり、グラウンドは熱で陽炎を生み、スプリンクラーの回数が増えている。窓を開けるだけでは冷気を得られないので微弱にエアコンが動き、授業にプールが追加された。中間テスト、そして期末テストが行われ、その度に悲鳴が上がった。
 そして夏休みまで残り一週間を切った日の放課後……。

 部室の中を艶かしく舐めるようなギターの音が這いずるように広がっていく。
 夜空ないとがスタンドに設置したタブレットに表示された録画スイッチを入れると同時にライブ配信が始まり、画面にメッセージが次々と表示される。

『待ってました!』
『女王様〜!』
『ペスト様素敵ぃ!』
『セクシー』
Cloverクローバー様ぁ!』
『今日も最高の歌声と演奏をお願いします』

 タブレットに表示された映像がBluetoothに乗り、プロジェクターを通して壁に映される。
 そのメッセージを見て四葉の赤い唇に三日月のような笑みが浮かぶ、
 ミルクのような白い肌、両手両足に黒い炎のような刺青タトゥーに黒いタイトドレス、そして獣の爪で引き裂かれたような黒い模様の描かれた赤い双眸……。
 女王クイーンへと変貌した四葉が空を切り裂くように左腕を横に引いた瞬間、赤い長衣ローブに鳥のマスクを被ったペスト医師が真紅のギターを止める。
「ようこそ数札ファン達」
 四葉は、艶かしく微笑む。
 ペスト医師がピックで弦をリズミカルに弾き、暗くも甘い雰囲気を作り出す。
「今日も心をむさぼり震わせて上げる」
 四葉の細い指がスタンドに立てられた大きなマイクを握る。
「咽び泣け……BlueRoseブルーローズ
 四葉の赤い唇が呪文ワードように言葉を放つ。
 刹那。
 音が爆発する。
 ペスト医師のギターが縦横無尽の刃となって部室の中を切り裂いていく。
 その音に絡まるように四葉の深海の荒波のような叫びが重なり、融合していく。
 それはまさに化学反応ケミストリー
 四葉の歌声が、ペスト医師のギターがそれぞれを高め、補い、食いながら一つの音へと変わっていく。
 そしていつしか部室は音と二人の空間へと変貌し、画面越しに見ている人たちを、そして夜空を魅了した。

「いやーっ最高だったわ!」
 長い髪を後ろポニーテールにまとめ、汗だくの顔に満面の笑みを浮かべた明璃はドレッサーの椅子に座って喉を鳴らしてスポーツドリンクを飲む。
「閲覧数がまた増えたな」
 夜空は、鍛えられてゴツく、しかし、細い指先で器用にタブレットを操作する。
「五月は百程度だったけど六月には三千まで上がってる」
「今日は?」
「六千。倍に増えた」
 明璃は、唇を尖らせて口笛をカッコ良く拭こうとするが上手く鳴らず、少し恥ずかしそうにする。
「ちなみにフォロワー数だけど……」
 夜空は、指先を流線型に動かして操作し、目を丸くする。
「何人?」
 明璃は、興味深げに身を乗り出す。
「五千人……」
 その言葉に明璃は青い目を大きく見開き、にんまり笑う。
「やっぱライブ配信にして大正解だったね」
「そうだな」
 夜空は、画面をコメント欄に切り替える。
「コメントにも臨場感が凄いとか、ライブ会場にいるのかと錯覚するとか、声と音の感情が前向きに伝わってくるとかいいものがたくさんある」
「録画公開って便利だけどそれだけの実力の裏付けが必要だからね。時が経っても廃れない芸術のような?私らみたいな駆け出しにはその時、その場での発信が有効よね」
 明璃は、嬉しそうに音を立ててスポーツドリンクを飲む。
「本業でフォロワー十万越えの百万再生が言うととんでもない嫌味だな」
 夜空は、目をジトっと細めて皮肉っぽく言う。
「ピアノ教室が勝手に流してるだけよ。カワハ系列の教室だから名前も知られてるし番宣も半端ない。比較になんてならないわ」
 明璃は、ふんっと鼻を鳴らして不機嫌をアピールする。
「そんな名ばかりの数字よりこっちの数字の方がよっぽど価値があるわ。ねっ四葉」
 そう言って明璃が目を向けた先には椅子の下に頭をすっぽりと隠し、お尻を突き出す形でうずくまっている四葉の姿があった。巣穴から出されるのを拒否する兎のようにガタガタ身体を震わせて椅子の脚をがっちりと両手で握っている。黒いタイトドレスを着たままなので下着の線パンティラインだけでなく綺麗なお尻の輪郭までくっきり浮かんでいるがそんなことにも気付いていない。
 流石の夜空も視線のやり場に困り目を逸らしている。
「いつまでそうしてるのよ女王様?」
 明璃は、嘆息混じりに言う。
「出てこないとプリプリお尻に浣腸攻撃するわよ。薄い本ばりに」
 明璃がそう言った瞬間、四葉はばっと巣穴椅子から飛び出した。そして両手でお尻を押さえたまま化粧を落として真っ赤な顔を二人に向ける。
「あ……あっあっあっ明璃りり様ぁ。もうお尻を虐めないで〜」
 お尻を押さえたまま必死に土下座する。
「NTR系被虐主人公みたいに言うな」
 明璃は、目をジトっと細めて言う。
「女王様モードで歌ってる時は子宮が震えるくらいカッコいいのにギャップが激し過ぎでしょう」
 そう言って明璃は自分の隣のドレッサーの椅子を叩く。
「ほら、ミーティングするから早く来なさい」
「は……はぃぃぃぃっ」
 四葉は、グルグル目を回しながら立ち上がり、ドレッサーの椅子に座る。
 夜空が冷えたスポーツドリンクのペットボトルの蓋を開けて四葉に渡す。四葉は慌てて飲もうとしてドレスの上に溢してしまい、明璃がタオルで拭こうとすると「ご無体なぁぁ!」と大声で叫ぶ。そんなワチャワチャが十分程続いてようやく女王様乱心モードから持ち直した四葉を交えてミーティングを始める。
「改めてライブ配信お疲れ様」
 明璃は、嬉しそうに笑う。
「四葉の歌唱力どんどん上がってるわ。メッセを見てもファンが貴方に魅了されてることはよく分かるわ」
 夜空はタブレットの表示を四葉に見せる。

"女王様最高!"
"QueenクイーンCloverクローバーの歌声とお姿、まさに神です"
"貴方の歌を聞いたら他の歌なんて聞けません"
"悪魔的!蠱惑的!"
"貴方こそまさに現臨した女神ディーバです"

 賞賛の言葉の飛び交う画面。
 四葉は、赤面して俯く。
「やっぱり貴方の歌声は本物ね。私の耳に狂いはなかったわ」
「そんな……こと……」
 四葉は、指をモジモジさせて上目遣いに明璃を見る。
「明璃さんの演奏と……曲がいいからだよ」
 明璃もこの三ヶ月でギターの技術が聞いて分かるほどに上達している。しかも、明璃は部の為に作詞と作曲までしているのだ。今回歌った"BlueRoseブルーローズ"以外にも何曲か既に作っている。
「私の作った曲はあくまでバンド用。演奏だけじゃ成り立たないの。曲に魂を与えてるのは間違いなく四葉よ。自信持って」
 明璃は、にっこり笑う。
 その笑顔と優しい言葉に四葉は心が温まるのを感じた。
「ありがとう……明璃さん」
 四葉は、顔を真っ赤にしてお礼を言う。
 明璃は、満足そうに頷いて夜空を見る。
騎士ナイト様も撮影技術は上がってきてるわね」
「そりゃどうも」
 夜空は、和やかに笑って答える。
「ベースの方は?うまくいってる?」
「ぼちぼちかな」
 現在、夜空は明璃に課題として与えられた既存の曲のベース演奏の練習に取り組んでいる。リズム感がよく弦を弾く力が強く独特の音が出るので選んだが……。
「まだまだ馬場と演奏は出来ないな」
 練習すればするほど明璃との差が分かり、とてもではないが演奏セッション出来ないと感じている。
「そうかな?」
 しかし、当の明璃はまるで気にした様子はない。
 人差し指を唇の端に当てて首を傾げる。
「練習してるの聞いたけどかなり良くなってるよ」
「そりゃどうも」
 上からの発言に夜空は苦笑いしながらも礼を言う。
「夏休み明けには演奏に加われるようにして欲しいな。楽器一つ加わるだけで世界観が変わるからさ」
「努力します」
 夜空の言葉に明璃はにっこり笑う。
「さあ、来週から夏休みな訳だけど……」
 夏休み期間も部活の為に学校は解放されている。大会が近い部は当然、練習に励み、それ以外の部活も自由に活動している。だから、当然四葉も部活動するつもりだったのだが……。
「申し訳ないんだけど夏休み期間、出られて一日だけなの」
 そう言って明璃は、両手を合わせて二人に謝る。
 四葉は、驚くが夜空はさして驚いた様子は見せてなかった。
「補習か?」
 夜空の言葉に明璃のこめかみが小さく引き攣る。
「補習?」
 四葉は、意味が分からず首を傾げる。
「中間と期末で赤点を取った生徒を対象に夏休みの前半を使って行われるんだ」
「へえ」
 全然、知らなかった。
「まあ、四葉には関係ないもんね。体育以外はオール5だろうし」
 明璃は、拗ねたように唇を尖らす。
「まだ、もらってないから分からないよ」
「分かるわよ。この学年一位が」
 明璃は、子どものように首を反らし、夜空を見る。
騎士ナイト様は?補習ないの?」
「あるよ」
 何故か誇らしげに夜空は胸を張る。
「国、数、理、社、英全てある」
「そんな自慢げに……」
 四葉は、引き気味に言う。
「馬場は?」
「奇遇ね。私も国、数、理、社、英よ」
 まるで同じデパートに行くように言う。
「天才の癖に」
「才能と勉強は比例しないわ」
 明璃は、何故か勝ち誇ったように言う。
「まあ、それなら良かった」
 夜空は、後頭部を掻きながら言う。
「補習は一緒に登下校するぞ」
 夜空の言葉に二人は驚く。
「補習にはオレ以外の黒札小も当然来るからな。付いててやる」
「別にそんなの必要……」
「この前、絡まれてたろ?」
 夜空の言葉に明璃は止まる。
 四葉は、驚いて明璃を見る。
「四葉を虐めやがってとか……因縁付けられてたろ?数人に」
「見てたの?」
「ああっ助けにいこうとしたけどうまく追い払ってたな」
 夜空の脳裏に絡んでくる黒札小を言葉と迫力で牽制し、脱出した明理の姿が浮かぶ。
「烏合無象でしか動けない連中にはそれを上回る迫力と威勢でいけばいいのよ」
「毎回、通じる訳じゃないだろ」
 夜空は、肩を竦める。
「補習は一緒に行く。いいな」
「そんなの……」
 必要ないと言おうとしたが、夜空の真剣な目と四葉の不安げな目に負けて"分かったわ"と告げる。
「まあ、そんな訳で前半は補習で後半はピアノの夏期コンクールに向けての練習があるから調整しても一日しか出られないの」
 明璃は、申し訳なさそうに言う。
「まあ、オレも空手の区大会があるからな。毎回は出れない」
 夜空も腕を組んで申し訳なさそうに唸る。
「四葉は?なんか予定ある?」
「私は……」
 四葉は、恥ずかしそうに頬を赤くし、モジモジする。
「お義母さんと旅行に……」
「へえっいいわね」
 明璃は、表情を輝かせて言う。
 四葉は、ちらっと視線を上げる。
「最近ね。ようやくお義母さんと仲良くなって……ケーキ作りとか一緒にやって……お義母さん……私が明るくなったって喜んでくれて……もっと仲良くなりたいから二人で温泉行こうって言ってくれて……」
 四葉にとって母親というのは畏怖の対象でしかない。それは優しいと分かっている義母でも変わらなかった。しかし、明璃と再会し、部活を始めてから気持ちが前向きになり、義母と向かい合うことが出来るようになった。
「明璃さんのおかげ……ありがとう」
 四葉は、小さな声で、しかしはっきりと言う。
 そんな四葉を明璃は優しく微笑んで抱きしめた。
「それは私じゃない。四葉の力だよ」
「でも……」
「四葉が頑張ってるの。知ってるから」
「……うんっ」
「いっぱい楽しんできてね」
「うんっ」
 四葉もぎゅっと明璃を抱き締めた。
 そんな二人を夜空は和やかな笑みを浮かべて見ていた。
「実はね……私も……」
 明璃は、青い目で四葉を見る。
「大愛ちゃんに会えるかもしれないんだ」
「えっ……?」
 四葉は、驚く。
「一ヶ月前に退院してきてたんだって。今は自宅療養中」
「そうなんだ」
 と、言うことは怪我の具合もいいのかもしれない。
「大愛ちゃんのお母さんにね。会って欲しいって言われたの。大愛ちゃんが元気になるかもしれないからって」
 そう口にする明璃は、心底嬉しそうだった。
 四葉も嬉しいのに何故か胸が小さく痛んだ。
「すぐには無理かもしれないけど……きっと大愛ちゃんは戻ってきてくれる……」
 明璃は、祈るようにぎゅっと両手を握る。
「その時はよろしくね。四葉」
 そう言葉に出す明璃の顔は今まで以上に明るかった。
「うんっ楽しみにしてるね」
 四葉もにこやかに笑った。
 心のどこかに小さな痛みを感じながら。
 明璃は、ぎゅうっと四葉を抱き締めた。
「仕方ないから騎士ナイト様にも会わせて上げるけど惚れないでね」
 明璃は、ニヤッと笑って夜空を見る。
「知るか」
 夜空は、少し頬を赤らめて目を反らす。
 そんな感じに穏やか、そして楽しくミーティングの時間は過ぎていき、三人はお互いの予定から三人で会える日を決め、それまでの間は自主練をすることとなった。
 夏休みに入り、四葉は学校の宿題や勉強、夜空や幼馴染と遊びに出かけ、義母と旅行に行ったりと充実した夏を過ごしながら歌の練習をし、明璃と会える日を楽しみにしていた。
 そしてヴィジュアル系バンド部の練習の日、夜空と共に登校した四葉は暑すぎる部室を換気し、演奏出来る準備を整え、バッチリと化粧を施して明璃が来るのを待った。
 しかし……その日、明璃は来なかった。

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