自分が無意識で問題なく進めていることが才能
当たり前に出来ていることは当たり前すぎて本人は気がつかないが、それが才能であり、才能を発揮させているということだと思う。才能を発掘したければ、自分の普段の行動から特徴を見つけ、才能の本幹へ近づく。
無意識で問題なくできること
人の話を素直に聞くことができる、これもそういう才能だ。人の話の矛盾点に良く気がつく、そこを議論してしまう、これもそういう才能だ。
約束の時間にはいつも間に合う、人との約束は守る、規定のルールではなく自分ルールで進めた方がいつもうまくいく、どの職場でも人間関係が円滑にいく、一日中誰とも話さなくても精神は安定している、売れそうなお店は雰囲気で何となくわかる、性格に問題ありそうな人は何となく勘でわかる。
どれもこれもその人にとっては当たり前かもしれないが、他の人にとっては当たり前ではないことが多い。こんな小さなことを才能というなんて、と思うかもしれないが、こういう特徴から才能の本幹を遡る。
毎日続けていることはなんだろう
毎日続けられる人、続けられない人がいる。まず、続けられる人はそれが才能であるし、続けられないであちこち興味が飛ぶ人は色々なことに興味を持てるという才能である。
毎日続けられる人は、何を続けているのか。
続けられないであちこち興味が飛ぶ人は、どういう状況だと興味が飛び跳ねて色んなことを思いついたりするのか。
興味も才能ないことは続けられない、才能がないことは何だろう
好きならまだしも、興味も才能がないことは長続きしない。興味と才能がないことの対側に才能が隠れていることがある。
柔軟な対応が苦手だけど、ルールを厳守するのは得意とか。人とのコミュニケーションは苦手だが、孤独耐性はあるとか。
筆者の場合は「過去を振り返って過去を基準に現在を生きる」ことがどうしても出来ない。その代わり「未来を考えてそれによって現在どうすべきか」という考えには長けている。この様に、才能がないことと才能は表裏一体であることもある。ちなみにこれに気がついたのは、クリフトンストレングス・テストというものだ。
才能かもしれない?ことは他に発揮されていないか
生活を振り返ってみる。案外、活かされているのではないだろうか。しかもそれも無意識で自分にとって当たり前すぎていたとか。
まだ活かされていない場合は、今の生活の中でもっと活かすことが出来るのではないだろうか。せっかく才能があるのだから、発揮した方がもっと楽になるかもしれない。
まとめ
当たり前のことが当たり前すぎて盲点になっているけど、当たり前にできることは素晴らしいこと。色々な方向性から自分を客観視し、無自覚な才能の本幹を辿る。