ヒエラルキーが落ちることに対して

社会的な立ち位置や役職が落ちる時に、人はどういう風に考えるのだろう。ヒエラルキーが落ちた時に、人生においてマイナスや小さい規模への変化があった時に、どう行動するのか。

ヒエラルキーとは

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基本的な意味は「階層構造」である。上記の図でいうと、ある企業やコミュニティーでの役職や立場それぞれを三角のある一列とし、組織の規模は三角の大きさに反映される。

この記事内では、この「ヒエラルキー」を同じヒエラルキー内の具体的に誰かと比較するためではく、「自分自身」の立場の変化の比較として用いる。


ヒエラルキーが落ちるとは

人生において、進学、就職、昇進などとは違う側の状況の変化が起きることがある。それを「ヒエラルキーが落ちる」と表現している。

例えば上記の三角だと、ある人の立場が右の黄色から左の青へ変化するような、ヒエラルキーの組織が変わってなおかつ新しい所属が前よりも下になることだ。この記事内では以下のような状況だと捉えている。

・大手企業でいい役職についていたが、独立して個人事業主になった、転職して役職が落ちた。

・ある企業である役職を定年退職、その後無職になった。

・あるコミュニティーにおいて権力のある役職についていたが、その役職でなくなった。

・ある地域では尊敬チヤホヤされる状況だったが、自分を全く知らないチヤホヤされない環境へ移動した。

・日本では自由に動ける権力や立ち位置があったが、異国へ行き、文化や語学の問題で人並み以下のことしかできない。

筆者は「ヒエラルキーが落ちる」こと自体は何も悪いことではないと捉えている。ただの「状況の変化」の説明であり、人生において状況が変化しないことはあり得ない。


ヒエラルキーが落ちた時

人はどう思うのか。

「新天地、新しい状況になって、ここでもう一度ここでゼロから頑張ろう!挑戦してみよう!」と前向きに捉える。

「前の方がよかった、こんなところに居ても仕方ない、自分はこんなものではない、こんなはずではない」と前の状況を好む。

「仕方ない、自分なんてこんなものだ。流れに身を任せるだけ」と他力本願。

どう考えようが、その人が思ったことが正解だ。世の中の正論ではなく、本人にとっての正解だ。

誰がなんて言おうと、その人がそう考え信じているなら考えは変わらない。他者がそれを変えさせよう、矯正させようとしても難しいことが多い。


そこに自分の意思があるのか

ヒエラルキーが落ちた時、またはヒエラルキーを落とす時に、その事やその先に自分の意思と目指しているものがどれくらいあったのか。

自分の現実を正しく充分な客観的判断ができていたのか。様々な可能性や予想外の悪化時への対処法を対策していたか。

それによって「ヒエラルキーが落ちた」後に、挑戦者になるのか、不平不満が出てくるのか、流れに身を任せることになるのかが変わる。 


ヒエラルキーが落ちた時にどうするか

現状が本当に嫌であれば、人は必死で何かを行動する。嫌でも何か行動したくなければ、そのままでいる。その場合、その人にとって現状維持の方が望むことなのである。


ヒエラルキーをどう捉えるべきか

ヒエラルキー自体や内容が自分のアイデンティティーになっていたり、非常に大事に捉えていたり、どうでもよかったり、本当に人それぞれである。

人間の多くは何かしらの社会に属さないと生きていけない。どの社会にもヒエラルキーは少なからず発生しているだろう。従って、自分に合った規模や場所のヒエラルキーか、ヒエラルキーの影響が少ない場所で生活するのがいいのだと思う。

ヒエラルキーから恩恵を受けている人は手放さなくていいだろうし、むしろ手放さない方がいいかもしれない。逆にそのヒエラルキーが合わなければ出ていけばいいだけである。

状況が変わっても自分は自分である。ヒエラルキーが変わってアイデンティティーと思っていた一つが変わっても、自分のアイデンティティー全てが消えるわけではない。またその一つのアイデンティティーに拘ると、自分の意思ではなく「ヒエラルキーが落ちた」時に危うい。


まとめ

進学、就職、昇進、といった側ではない変化がある時に、人はどうなるのか気になって書いてみた。

過去のヒエラルキーに固執するより、やりたいことのためにはマイナススタートでも挑戦者でいたい。

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