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任意団体ORIZURU<KODAMA>

グリーフ(かなしみ)サポート・プログラム


KODAMAは金子みすゞさんの『こだま』という詩にインスピレーションを受け、私が実践している対話型グリーフサポートプログラムです。
去年から始めたこのオンライン・プログラムには9か月間で延べ29名の方が参加されました(定員5名/月)。ここでは広義のグリーフを対象としているので、参加者は死別経験者だけに限りません。むしろ病を抱える方や生きづらさを抱える方が多く参加しています。そして8割近い方に満足して頂いています。

「遊ぼう」っていうと「遊ぼう」っていう。
「ばか」っていうと「ばか」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「遊ばない」っていう。
 そうして、あとでさみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。
 こだまでしょうか、いいえ、誰でも。


”こだま”の物語


私は昔、働いていた病院であるお坊様を担当しました。彼は大腸がんで余命1ヶ月。奥様と二人暮らしでした。お子さんはいないと言うことでしたが、実は若い時に事故で一人息子さんを亡くされていたそうです。多くのご友人が面会に来られ、いつもユーモアたっぷりに会話される不思議な方でした。
私は彼と対話を繰り返しました。『あんたは何か他の人と違うね?』『私は看護師でもあり、スピリチュアルケアの専門家も目指しています』『ふーん、そういうのは大切とは聞いていたけど初めて見るよ』
私たちは、時間があるとき、今までお互いが生きてきた時間や、それぞれの苦しみに耐える術、自分の支え…そんなことを対話しました。
そんなある時、彼は私に言いました。『ようやく分かった!、俺は自分と対話しているんだな! 有難う! これでお浄土にいける』
いやはや…背中まで見透かされているような心持ちでした…。彼はその後、ホスピスへ転院されていきました。



声だけでなく聲(こえ)を聴くために


現代はビデオやスマホで自撮りすれば、自分の声を聞くことはできます。ただ自分の声を聞いた時、ちょっと驚きませんか? 「あれれ、私の声ってこんな声だったの?」と…
それは私たちは自ら背中を見ることはできないように、自らの聲(こえ)も聴くことができないからです
それは心理学上でも「自分だけが知っている自分」「他者だけが知っている自分』「自分と他者が知っている自分」「自分も他者も知らない自分」がいると言われています(ジョハリの窓)。
だから、かなしみを背負った時、別の方法で自分の聲を聴いてみると、かなしみに別の見方が現れたり、新たな意味に気がつくことができるかもしれないのです。


KODAMAに込めた願い



死別や生活の中の生きづらさ、マイノリティ… 誰にも語れずに抱えているかなしみ、これらは“傷つき”やすい心に触れることでもあります。だから自分で何とかしようとしたり、心の奥の引き出しにしまい込んでしまうことが多くあります。
ただ新たな“気づき”は、もしかしたらそこにあるのかもしれません。私は私自身がしてほしかったこと、してもらって嬉しかったこと、それを「KODAMA」というプログラムに込めています。

https://orizuru.qloba.com/

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