第二次世界大戦の記憶 3 臨床スピリチュアルケア師_坂詰大輔 2022年2月25日 20:40 私は看護師をする中で第二次世界大戦の記憶に触れさせて頂くことが沢山あります。その記憶の持ち主は、ある人は認知症に、ある人は難病に、ある人はがんに罹られていました。でも今、この人たちの“眼差し”を誰かに伝えたいと思い、願いを込めて綴ります。【終戦日に母と妹が死んだ】あのとき私たちは疎開してたの。赤痢が流行っていて、母と弟を病院に連れて行ったけど『薬がない』と言われたの。それで終戦日に死んじゃったの。可哀想だった。90代女性【機銃掃射】帰り道に機銃掃射があったんです。隣にいた子が真っ赤な血を流している。私は生きている。怖くて怖くてね。80代女性【遺骨】近所の兄さんが出兵し遺骨が帰ってきた。でも箱を開けたら枯れ木が入っているだけ…。そんな馬鹿な話がありますか。80代男性【抑留】戦争が終わったと思ったらシベリアに連れて行かれた。そこで仲間がバッタバッタと死んでいく。あー、私も死ぬと思ったよ。でも死ななかった。それも運命だったんだよ。90代男性【終戦後の差別】私は終戦直前に生まれたから戦争の記憶はない。でも小学校にも行ってないと言われて随分ばかにされた。戦後は厳しかったんだよね。ただ耐えるしかなかった。80代男性反戦へのメッセージこんな話が東京の片隅にも溢れています…こんな話が日本の片隅に置かれています…戦争当事者には色々と事情があるのでしょう。でも歴史を生きてきた人間の“眼差し”に触れてほしい。そう願わずにはいられないのです。 ダウンロード copy #戦争 #昭和 #訪問看護 #悲しみ #反戦 #スピリチュアルケア 3 この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか? サポート