臨床試験(治験)について私見
『臨床試験(治験)』
近頃、コロナのワクチンのこともあり、ちょこちょこ目にする言葉です。
皆さんはこの言葉、どんな風に感じますか?
実は臨床試験はワクチン的なものから、抗がん剤などの“いのち”に触れるものまで様々な“デザイン”があります。
厚生労働省が伝える臨床試験の見解
一般的な見解ですが、厚生労働省は『治験』について、以下のように記載しています。
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『化学合成や、植物、土壌中の菌、海洋生物などから発見された物質の中から、試験管の中での実験や動物実験により、病気に効果があり、人に使用しても安全と予測されるものが「くすりの候補」として選ばれます。この「くすりの候補」の開発の最終段階では、健康な人や患者さんの協力によって、人での効果と安全性を調べることが必要です。
こうして得られた成績を国が審査して、病気の治療に必要で、かつ安全に使っていけると承認されたものが「くすり」となります。
https://www.mhlw.go.jp/stf/seisakunitsuite/bunya/fukyu1.html
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安全が安心とは限らない
私は看護師経験のうち10年ほど、がん専門病棟で抗がん剤の医療に関わりました。大学病院ということもあり、その中には臨床試験も含まれます。ただ意外かもしれませんが臨床試験は想像以上に【安全】に行われます。
ただね…【安全】が【安心】とは限らんのです。
医療と治療はイコールじゃない
Aさんは胃がんでした、それも悪性の。
標準治療は奏功せず、余命6ヶ月と宣告を受けます。だから彼は幼い子どものためにも臨床試験に参加されました。
その臨床試験はかくゆう有名なオプ○ーボ。
しかし無作為比較試験で、彼に選択されたのはオプ○ーボの比較対象にあたる標準治療薬でした。(臨床試験には様々なデザインがあります。この話は新薬群と従来群の比較試験で、対象者は無作為に選別されます)
でも臨床試験に入ったのに新薬が使われないときの彼の気持ち… 想像できますか?
彼には時間も手段も限られていたのです。
Bさんは3年以上、抗がん剤を受けてきました。標準治療薬が奏功したのです。でもいつかは効かなくなる。そしてその時が来ました。
外来に呼ばれた彼女はあるprofessorに言われました。『選択肢は3つです。効かないけれど今までの治療を続ける。またはもう治療自体を辞める。最後の一つは治験に入る。どうしますか?』
でも、そんな風に言われる人間の、その時の気持ち…想像できますか?
彼女にとってそれは何度目にあたる「宣告」なのでしょう…。
Aさんも、Bさんも治療が効かなくなれば退院となります。それは病院、臨床試験がより多くの人に対応するためのシステムです。意外でしょうか? そんなことない? 知ってた?。
ただ私は看護師をしながら思いました。
『医療って治療とイコールじゃないでしょ』
『AさんにもBさんにも、“医療”は必要でしょ。いやむしろ“治療”が効かない時こそ”医療”が必要じゃないの。』
“くすり”とは何か
ある若き医師が『professorは論文を書き上げ、数万人を救う』と言いました。説得力あります。科学は根拠や効率と仲良しですよね。
でもやっぱり私ゃ納得できんのです。
なんだか“人間が不在している”みたいじゃないですか。そんな言い方…。
先にあげた厚生労働省は治験を「~こうして得られた成績を国が審査して、病気の治療に必要で、かつ安全に使っていけると承認されたものが「くすり」となります。」と説明しています。
そうですよね、ただ安全な臨床試験や、安全な社会のシステムで安全な「くすり」を作っても、一人ひとりの人間に寄り添わないものは、私たちに<安心>を届けてくれない…と感じちゃうんですよ。
臨床試験から見えてきた大切なこと
“治療”は根拠を持って、効率的にしていかなければなりません。ただし“医療”はときに根拠がなくとも、非効率的でも、人に寄り添っていくものと言いたい。
私見ですが、この相反するような事柄、その双方を兼ね備えることをせなならんと思うのです。これホント、ホントに言いたい。【安全な治療】だけではなくて、【安心安全な医療】を届けたい。
そのためには効率化がどんどん進む今だからこそ、たとえ非効率でも人生を通して“医療”に関わる人が医療チームに必要だと思うのです。だから私ゃ、目の前にいる人の生きてきた時間やそこに至るまでの思いに関心を向けるのです。
そのさきへ
私みたいなのは大きなビルの中では珍しいと言われました(そうかなあ)。ただ大きなビルを中から変えていこうと思って努力しましたが。固いのね、もうほんと、固かった…。
だけど、外には世界が広がっている。こんな私に『いいと思うことはやっちゃいなよ』と言ってくれた人達がいました。そしてすでに取り組んでいる人たちがいました。だから私ゃ、外から変えていこう、そしてそんな発想を持つ仲間と一緒にいようと歩き出したのです。まだヨチヨチ歩きですが。