グリーフケアの話
2021年の正月
少し前に私は大好きな人を亡くした。そして今年のお正月に彼からもらったお年玉だけがずっと行き場を失ったまま私とともにいた。
行き場を失ったものは…
お年玉…と言っても大人同士の戯れのようなもので中身は2000円である。ただその2000円は彼が出す人生最後のお年玉であることをお互い知っていた。だから私にはシワのついたお札が100万円にも相当するように思えた。何かの折にそれで本人へ買って返すことも考えたが、なんとなく無粋…。むしろ私が死ぬまで持っているかとも思ったが、それも無粋…。そんなとりとめもないことを考えている内に、彼が旅立つときが訪れた。そして気がついた。行き場を失ったものは実はお年玉ではなく、私の”かなしみ”(グリーフ)だったことに。
お年玉…
ただお年玉も常に頭のにある訳ではない。でもそんな折に山谷の山友会から寄付の手紙が来た。ふと眺めていたときにお年玉を思い出した。彼は昭和の建築屋で多くの地方労働者を雇い、”東京のおやじ”と慕われていた。そしてそのシワのついたお札の逝く先が決まった。かくゆう彼の四十九日も過ぎた頃である。(山谷とは、東京都台東区北東部にあった地名。安宿が多かったことから労働者が集まり、寄せ場と周辺のドヤ街の通称として使われるようになった。Wikipedia)
これで良かったのかな
グリーフケアとは決して『こうすればいい』というものがない。だから多くの人は自問自答を繰り返す…。グリーフケアとは、こうやって私たち一人ひとりの ”心” や ”かなしみ” に影響を与える『なにか』を探し続けることだと信じている。