「対策」を止めよう!
定期テスト対策、難関大入試対策、面接対策、、等 いろいろな「対策」がありますが、、これらの◯◯対策を止めようという提案です。
何かに備えて準備する事自体は良い事だと思うのですが、多くの場合で「対策」の意味合い(当事者の意識ともいえます)が、本来の備えて準備する事とはかけ離れてしまい「その場凌ぎ」や「誤魔化し方」のようなものに変わってしまっているように感じます。
この記事では、そのような間違った意味での対策は止めるべきだという話をしたいと思います。
定期テスト対策!?採用試験対策!?
例えば定期テスト対策を例にすると、本来であれば教科の学習内容を理解し知識を吸収する事で、基本的な問に答えられるようにするなることが大切です。ところが、生徒と接していて感じるのは、ほとんどの人にとっての「対策」は答えそのものを一時的に記憶しておく事であったり、理解せずとも無思考で解答を得るための「やり方」のようなものに変わってしまっているのです。これでは学習の意味がありません。
「学校の勉強は将来役に立たないが、点数を取るためにやっている」という間違った認識が広がるのも、間違った対策が横行していることが一因であるのではないでしょうか。
別の例も紹介します。
先日、勤務校の校長が、教員志望の学生向けに業者さんが実施しているセミナーに講師として登壇しました。オンラインでの開催だったので、校長にオンライン会議ソフトの使い方をレクチャーしたのですが、その時に参加する学生から寄せられた事前質問のリストを見ました。そこには「採用試験対策には何をしておけば良いでしょう?」「面接対策としてどんなことをしておけば良いでしょう?」という具合に「対策」という文字が踊っています。大体20ほどの質問があったですが2/3程は何かのかの対策に関する質問でした。
その質問文から感じられる「対策」の意味合いは、どちらかといえばその場凌ぎ的なものです。採用担当にウケるにはどうしたらよい?というニュアンス。
校長も「なんだかズレているよね」と少し呆れたような感想を漏らしていました。
そもそも採用する側に「対策」を尋ねる感覚がズレているなーと感じます。私自身も採用に関わるのですが、そのような対策をしてきた人を採用したいとは思いません。
誤った「対策」を広めているのは先生!?
悪い意味での「対策」が広まってしまう原因はさまざまあると思いますが、一因としては先生(というか、いわゆる学校教育)が挙げられると感じます。先に挙げた定期テスト対策など、まさに学校で起こっている事です。私の勤務している高校でも試験に出題する問題の一部(またはほぼ全部)を「テスト対策プリント」の類いとして配っている場面を見かけます。生徒は答えを一時的に記憶してなどして高得点を取るという、ゆがんだ成功体験を積み重ねています。長期的に見て知識や技術が身に付くわけでは無いので、本質的には無駄な事なのですが、どうしても目先の利益(点数を取れれば良い)を優先してしまう人が多くなるのは避けられません。
「対策」は生徒にとっても先生にとっても甘美なのでしょう。
対策プリントの類いで高得点を取る生徒が優秀であるとされ、生徒自身もそれを成功と思い込む...その繰り返しで、何でも「対策」するという癖がついてしまうのではないでしょうか。先生側もよくまとまった「対策プリント」(つまりは試験に出るところだけに絞った)を作ることで生徒から人気の「教えかたがうまい」「わかりやすい」先生と評価されやすいことになります。
これでは、知識や技術を身に付けるという本質的なことからは、かえって遠ざかってしまいます。
「対策」を止めよう!
あらためて「対策」を止めましょう!
大事なことは本質的に知識や技術を身に付けることです。安易な対策ではなく、本質的な力をつければどんなことにも対応出来るようになるのだと思いますし、そうでなければ長期的には意味がありません。
「対策」をすることでモチベーションが上がったり、一時的な記憶ではなくしっかりと習得出来る人もいるとは思います。ある意味では受け手次第といえるのですが、実態としては多くの人にとっては安易な一時凌ぎであり、長期的にはかえって害になっていると感じます。
先生に出来ることとしては安易な対策を与えないことや、対策ではなく本質的な力を評価する仕組み(テストの出題方法等)を作っていくことでしょう。
安易な対策に頼るのではなく本質的な実力をつけさせることが大切ですね。